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第六話 アネットの悩み


「はあ……昨晩も何もなかったわね」



 アンソン辺境伯夫人となって、早くも二ヶ月。

 順調な滑り出しを見せた新婚生活に陰りが差している。


 私は、辺境伯夫人として、屋敷の管理や領地についての勉強に励んでいる。


 クロヴィス様も辺境伯を継いで間もないため、毎日忙しくされている。書類仕事で執務室に篭る日もあれば、早朝から領地や国境の視察に向かうことも多い。

 最近は視察頻度が増えており、眠い目を擦りながらお見送りをする私とフィーナを見かねたクロヴィス様に、「しばらく見送りはいい。寝ていろ」と言われてしまった。


 私は、幼い頃からアンソン辺境伯夫人となるため、マナーや教養だけでなく、軍事や国交についても深く学んできた。

 だからこそ、クロヴィス様の担う任の重さは人一倍理解している。


 丸一日の休みを取れるのは月に一回。戦争の時代が終わって国家間の関係も良好だとはいえ、いつ何時何が起こるかは分からない。

 隣国の動向に目を光らせ、国境の警備を怠らない。

 広大な辺境伯領地や領民の管理、農作物や森の恵み、天候や街道の整備まで、クロヴィス様の仕事は多岐に渡っている。

 フィーナの実の両親を襲った不幸な事故が二度と起きないように、山沿いの道を中心に地盤の調査も進め、補強が必要なところは人員と予算を割り当てて改修工事を計画している。

 やるべきことは山積みなのだ。


 夜は変わらず三人で眠っているけれど、クロヴィス様が寝台にいらっしゃる頃にはフィーナはとっくに夢の中だ。週に一度の二人の夜だって、クロヴィス様にゆっくりとしていただきたくて、夫婦の触れ合いも自然と控えるようになってしまった。


 せっかくフィーナが気を使って作ってくれている時間だというのに、クロヴィス様に触れたい気持ちと、しっかりと睡眠を取って欲しいという気持ちが混在してうまく言葉にできない。



「アネット、今日はどんな一日だった?」


「あ……はい。変わらず、領地について学んでおります。フィーナも熱心に字や絵の勉強をしているんです。クロエがとても上手だと感心していましたわ」


「そうか。それはよかった」


「はい」



 そして今日もクロヴィス様と二人きりの夜。


 二人並んで布団に潜り込み、自然とフィーナがいつも寝ているスペースを開けて二人して天井を仰ぐ。そして差し障りのない会話をいくつか交わす。



「……では、その、おやすみ」


「はい……おやすみなさい」



 やはり今日も、何もないのね。


 クロヴィス様はお疲れだもの。そう頭では理解していても、こうも触れてもらえないと妻としての自信も無くしてしまいそうになる。


 もしかすると、これまでの触れ合いの中で、何か粗相をしてしまったのだろうか。至らぬことがあったのだろうか。気にはなるものの、そんなことを聞けるはずもない。


 クロヴィス様の支えとなるべく勉強に励んでいるのだから、そのクロヴィス様の負担になるようなことはしたくない。


 私はギュウッと目を閉じて、ぐるぐると悪い方向にばかり向かってしまう思考を遮断した。そのままジッとしていると、ゆっくりと意識が沈んでいく。


 クロヴィス様が物言いたげにこちらを見ていることには、全く気がつかないまま眠りに落ちていった。







 ◇◇◇



「ふう……」



 勉強の息抜きにと、執事のセバスチャンが中庭のガゼボにティーセットを用意してくれた。

 せっかくなので、フィーナを呼び出してもらって、今はひとりベンチに腰を下ろしてそよそよ揺れる草花をボーッと眺めている。


 すると、チカチカッと視界の端で何かが煌めいた。



「あれは……」



 吸い寄せられるように光が見えたあたりに近づくと、綺麗に咲いた薔薇の周りで遊ぶように光の玉が浮いているではないか。



「これは……もしかして、精霊?」



 ライラット王国は古くから精霊と共に暮らしてきた王国である。


 誰もが精霊を見ることができるわけではなく、精霊に認められた者のみ、その姿を拝むことができる。

 アンソン辺境伯領は、自然豊かな土地ということもあり、昔から精霊が多く暮らす場所だった。


 幸い、私は精霊が見える。

 特に木の精霊に好かれやすいようで、精霊の祝福を受けている。精霊たちの気分次第ではあるけれど、木々の成長を早めたり、作物を豊かに実らせたりすることができる。

 ちなみにクロヴィス様は風の精霊の祝福を受けている。


 アンソン家に嫁いで来て、初めて精霊と邂逅した。

 私の前に姿を現してくれたということは、少しはこの家の人間として認めてもらえたのだろうか。


 余裕を無くしていた心に、わずかに心地よい風が吹き抜けた気がした。



「おかーたまー!」



 その時、屋敷からフィーナが手を振りながら駆けてきた。



「フィーナ。転んではいけないわ。慌てなくてもお菓子は逃げないわよ」


「むふふ、はやくおかあたまにあいたくて! むぎゅーっ」



 そう言うと、フィーナは勢いそのままに私の胸に飛び込んできた。



「まあ、うふふ」



 嬉しそうな声を漏らすフィーナを抱きとめ、私も幸せな気持ちに満たされる。


 そんな私たちの周りを、精霊たちも戯れるように飛んでいる。


 私だけじゃなく、フィーナのことも見守ってくれているのかしら? 流石にまだフィーナには精霊は見えないはずだけれど……


 そう思って視線を下げると、フィーナは私と精霊が飛んでいる辺りを交互に見ていた。そして、「ふへっ」と息を漏らしてふにゃりと頬を緩めた。



「あら、どうかしたの?」


「はっ! いえ、おかあたまのむすめとなれたよろこびをかみしめてまちた」


「まあ」



 フィーナはまだ四歳だというのに、色んな言葉を知っていて驚かされる。



「私もあなたのような可愛い娘ができて、とても嬉しいわ」


「おかあたま……! ウッ、後光が……!」



 フィーナへの愛情を目一杯込めて微笑みかけると、フィーナはクシャッと眉間に皺を寄せて、低い声でまた何か奇妙な言葉を発した。



「ごこう? なあに、それは」


「いえ、なんでもないでちゅ! おかちをたべましょう!」



 フィーナは慌てた様子で誤魔化すと、そそくさとガゼボのベンチへと向かった。



「気になるわね……」



 私もフィーナに続いてベンチに腰を下ろしたタイミングで、セバスチャンとクロエが現れた。給仕をしてくれるようだ。いつもありがたい。


 用意されたのは色とりどりの動物が可愛く描かれたアイシングクッキーと愛らしいマカロンだ。私にはミルクをたっぷり入れた紅茶が、フィーナには花の蜜を溶かしたミルクが用意された。


 

「ん~! おいちいれす~」



 早速クッキーを堪能しているフィーナは、モチモチのほっぺいっぱいにクッキーを頬張って、まるで小動物のような可愛さだ。


 フィーナの姿に癒されながら、私もマカロンを手に取った。



「ん、甘くて美味しいわね。疲れまで溶けていくようだわ」



 アンソン家のシェフの腕は本当に素晴らしい。

 時間が取れるようになったら私もお菓子作りを教わろうかしら。私が作ったお菓子を差し入れに、クロヴィス様の執務室を訪れても……いいのだろうか。


 そんなことを考えながら目を閉じて最高の甘味を味わっていると、刺さるような視線を感じたのでそっと目を開けた。



「なあに?」



 視線の主は、隣に座るフィーナだった。穴が開くほどジッと私の顔を見ている。



「おかあたまがわらっているのがうれちくて……さいきん、おもいつめたようすでちたので……」



 そう言って、フィーナは悲しそうに眉を下げてしまった。


 ああ、なんてこと。

 娘にまで心配させてしまうなんて、母親失格だわ。



「ごめんなさい。辺境伯夫人となってまだ日が浅いから、早く仕事を覚えてクロヴィス様のお役に立たなくちゃって、無理をしていたのかもしれないわ」



 本当はそれだけではなく、クロヴィス様のお心が読めず、夫婦関係についても悩んでいるとは口が裂けても言えない。


 私たちは、結婚前も、結婚後も、二人で出かけたことがない。もちろん、新婚旅行なんて夢のまた夢だ。フィーナを連れて三人で、ピクニックに行くのもとても楽しそう。


 でも、そんなことを言ってしまえば、優しいクロヴィス様のことだもの、仕事量を増やしてでも家族時間を増やそうとする。私はクロヴィス様の支えにはなりたいけれど、重荷や負担にはなりたくない。


 だから、私は笑顔を携えて、わがままな欲望は心のうちにそっと仕舞い込むのだ。



「フィーは、おかあたまとおとうたまがなかよちだとうれちいです。ギクシャクしていると、かなちいです。こころからのえがおがみたいれす」



 当たり障りのない回答で誤魔化したのだけれど、ただの子供ではないフィーナには、私の隠し事は全て見透かされているようだ。



「おかあたまは、がまんしすぎです! もっとわがままになっていいんでちゅよ? きっと、おとうたまもおかあたまにがまんさせるよりも、ほんねではなしてほちいとおもいましゅ」

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୨୧┈┈┈┈┈┈ 6月10日頃発売┈┈┈┈┈┈୨୧

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