第四十九話 フィーナのいない朝 ◆sideクロヴィス
「アネット、おはよう。よく眠れたかい?」
「クロヴィス様、おはようございます。ふふっ、おかげさまで」
フィーナたちがソナスの実を求めて旅立った翌朝、俺とアネットはいつもより少し早く目が覚めた。いつもなら、「おはようございましゅ!」と元気よくフィーナが突撃してくるのだが、今日はその気配がない。
「フィーナがいない朝は、こんなにも寂しいのですね」
「そうだな。俺も同じことを考えていた」
フィーナは今、アネットのために栄養価の高い幻の果実を探している。
元々一泊の予定のため、果実が見つかったかどうかに関わらず今日の夕方には戻ってくるはず。
「フィーナ……無理をしていないといいけれど」
「クロエやリューク殿下、それにカロライン嬢もついているんだ。俺たちはフィーナを信じて待とう」
「クロヴィス様……ええ、そうですね」
アネットは自分のためにフィーナが国境間際の村に赴いていることを気にしている。言葉には出さないが、アネットの性格を考えればそれは明らかだ。
だからこそ、俺は努めて明るく振る舞わねばならない。俺まで不安な姿を見せてしまえば、アネットはもっと自分を責めてしまうだろう。ただでさえ情緒が不安定な時期なのだと、カロライン嬢に言い含められているのだ。
それに、信じて待たねばフィーナにも悪い。無鉄砲で突拍子もないことをする子ではあるが、その行動原理にはいつも家族への愛がある。それは俺たちが胸に抱いているものと同じ思いだ。
心配ではないのかと問われれば、それは心配に決まっている。だが、それ以上に、俺はフィーナが必ずソナスの実を手に入れて帰ってくると信じてもいるのだ。
「さあ、セバスチャンを呼んで朝食の用意をしてもらおうか。今日は日差しが柔らかだ。気温もさほど低くないし、テラスで食べるのはどうだろう」
「まあ、素敵。ぜひそうしましょう」
アネットが快諾してくれたため、俺はセバスチャンを呼び出して部屋のテラスに朝食を用意してもらった。
朝食を済ませ、アネットの手足を丹念にマッサージした俺は、後ろ髪を引かれながらも彼女の部屋を後にして執務室へ向かった。
まもなく本格的な冬を迎える辺境伯領は、冬に備えて蓄えていた作物を工面して冬を越さねばならない。幸い今年は豊作だったので、十分な備蓄ができている。領内の街や村の状況をこまめに確認しつつ、場合によっては屋敷の蓄えも分配する必要がある。
仕事はそれだけではない。ちょうどフィーナが向かったナヴェル村の公共事業の件がある。
進捗は順調であるが、雪が深く降り積もれば作業は中断せざるを得ないだろう。雇用の創出のためにも、その期間の代替策を講じなければならない。雪かきや雪下ろし、狩猟や炭作りに人手を回すつもりだが、こちらも状況をこまめに観察せねばなるまい。
報告書や計画書に目を通しつつ、俺は仕事に没頭した。
そして気が付けば、正午を回り、昼食の時間帯となっていた。
集中しすぎると昼食を取ることも忘れてしまうため、いつもセバスチャンが知らせにやって来てくれる。
それを合図にアネットの部屋へ向かい、一緒に昼食を取る。アネットの食事量は日によるのだが、最近はミルクで煮たパン粥が喉を通りやすくていいようだ。
空腹になると臍の奥から気持ち悪さが迫り上がってくるらしいので、こまめに飴や果物を口に含んでいる。とはいえ、妊娠前と比べると、やはり少し痩せたように見える。
「気分転換に少し中庭を歩いてみないか?」
今日は比較的顔色がいいように見えるため、アネットの様子を伺いながら提案してみた。
「はい、ぜひ」
アネットは朗らかに微笑んで、俺の手に彼女の手を重ねてくれた。
妊娠が発覚してすぐはアネットに遠慮しすぎていたが、お互いに遠慮をやめて本当に良かった。フィーナやカロライン嬢に改めて感謝の気持ちを抱く。
セバスチャンも俺たちの様子を微笑ましげに見守ってくれている。たまになんともいえない表情で胸を押さえている時があるので病気か何かではないかと心配なのだが、本人は「問題ございません。むしろ元気いっぱいでございますゆえ」と食い気味に否定してくる。セバスチャンも少しフィーナに似て来たような気がするのだが……いや、考えすぎだろう。
俺は余計な考えを打ち払うように頭を振ると、アネットの手を握って中庭へと向かった。
「いいお天気ですね」
「ああ、そうだな。だがまだ雪が残っている。俺のそばを離れないように」
「ふふ、心配しすぎですよ」
万が一にでもアネットが転ばないように、グッと腰を引き寄せて歩く。
辺境伯領の冬は雪の日がほとんどなので、今日は珍しい晴天だ。
雪対策はバッチリなので、俺もアネットもスノーブーツを履いている。
サクサクと雪を踏み締める音が耳を楽しませてくれる。
「王都ではあまり雪は積もらないので、とても新鮮です」
「そうか。大雪が降ると大変ではあるが、俺はアンソン領の雪景色はとても美しいと思う」
「はい、とても綺麗です」
地面や木々に降り積もった柔らかな雪は、日の光を反射してキラキラと輝いている。一面銀世界とはよく言ったもので、一年中過ごしている場所なのに、まるで別世界に迷い込んだように錯覚する。
そんな美しい景色を前に、雪よりもキラキラと目を輝かせているアネットは、雪の精霊かと見紛うほどに綺麗だ。
思わず見惚れていると、アネットが視線に気付いたのかこちらを向いた。
「クロヴィス様? 何か付いていますか?」
そう言いながら不安げに口元や頬をペタペタと触るアネットが可愛い。
「いや、君の美しさに見惚れていただけだ」
「えっ⁉︎」
瞬時に頬を真っ赤に染め上げる様子も愛らしい。どうして俺の妻はこんなにも可愛いのか。
思わずこめかみに唇を寄せると、アネットは一層顔を赤くした。
「んぎゃっ! 帰ってきて早々供給過多!」
二人で照れ笑いを交わしていると、背後からカエルを踏み潰したような声が聞こえた。
慌てて振り向くと、そこには両手で顔を覆ったフィーナが佇んでいた。




