番外編 クロエの一日<前編> ◆sideクロエ
王都に向かう前のとある日のこと
窓の外が明るくなってきた気配を感じ、パチリと目を開けた。
極力音を立てずに身体を起こすと、隣でもぞりと布団の山が動いた。
「むにゃむにゃ……」
スヤスヤと気持ちよさそうに眠っているのは、私が誠心誠意お仕えしているフィーナお嬢様である。
「ぐふふ……たまらん……推しカプ最高」
夢の中でも推し活に余念がないのかと、思わず笑みが漏れる。
私はフィーナお嬢様の涎をそっと拭い、するりとベッドを抜け出した。
お嬢様の足元ではウォルが丸くなって眠っている。
私はお嬢様とウォルを起こさないように気配を殺しながらクローゼットを開け、着慣れたメイド服に素早く袖を通す。
朝食は家族みんなで召し上がるので、お嬢様が起きてくる前に今日のドレスと顔を洗うためのお湯を用意しておく。
お嬢様は訳あって屋敷を駆け回ることが多いので(廊下を走らないと口うるさく伝えているが、なかなかどうして言うことを聞いてくれない)、ドレスは軽くて動きやすいものを選ぶのがポイントだ。
クローゼットを開け、しばし逡巡した後、淡いピンクのドレスを手に取った。
奥様が最近新しく誂えたものだ。このドレスを着たお嬢様はきっと天使のように可愛らしいに違いない。
そうこうしている間に、お嬢様の起床時間が近づいてきた。
私はそっとカーテンを開けて室内に爽やかな朝日を取り込んだ。
こうすると、大抵先に起きるのはウォルだ。
「ファオ〜……」
やはりいつも通り、ウォルが大きなあくびをしながらのそりと身体を起こした。ベッドから軽やかに降り立ち、グッと全身を伸ばしている。
朝日を浴びて輝く白銀の精霊は今日も気高く美しい。
「ウォル。おはようございます」
「ウォルゥ」
ウォルはまだ少しトロンとした目で私の足に擦り寄ってくれる。
フッと笑みを漏らしながら、準備していたブラシで軽く毛を整えてやる。
ウォルはブラッシングが大好きなので、グルルと喉を鳴らしながら気持ちよさそうに蕩けている。
「よし、いいですよ」
「ウォルッ!」
ウォルはキリッとキメ顔(お嬢様に教えてもらった言葉である)をしてから、ふわりとベッドに飛び乗ってお嬢様のもっちりとした頬を舐めた。
「うう〜ん……ふふっ、ウォルったら、くすぐったいわ」
お嬢様は身じろぎをしながらベッドから起き上がり、ウォルのふわふわの毛に顔を埋めた。
寝起きのお嬢様も天使のように愛らしい。
「おはようございます。お嬢様」
「おはよう、クロエ」
ふにゃりと笑みを浮かべるお嬢様のそばに、適温に調整したお湯が入ったボウルを運ぶ。
パシャパシャと顔を洗い、お日様の香りがするタオルで水気を拭き取る。
しっかりと保湿をしてから、御髪を整え、寝衣からドレスに着替える手伝いをする。
「うん、今日もバッチリ! 最高に可愛いわね」
「大変お似合いでございます」
「うふ、ありがとう。クロエ」
ドレスを着て満足げに微笑むお嬢様。
その笑顔が見られるだけで、どれほど私が幸せを感じているのか当の本人は知らないのだろう。
ご両親を亡くされてまだ半年ほど。
アンソン家に引き取られた当初のお嬢様は、それまでキラキラと好奇心に満ちていた瞳は翳り、俯くばかりだった。
けれど、ある日を境に溌剌と元気に、そして謎めいた言動をするようになった。
始めはついに寂しさの限界を超えておかしくなってしまったのかと胸が張り裂けそうに痛んだものだが、どうやらそういうわけではなさそうだった。
お嬢様は毎日活き活きと暮らし、アンソン家の当主であるご主人様と奥様の関係を紡ぐために心血を注いでいた。
お嬢様曰く、推し活と言うらしいのだが、推し活に励むお嬢様はとても楽しそうだ。
元傭兵だった父を護衛として雇ってくれたフィーナお嬢様のご両親には恩を返しきれなかったが、お嬢様の幸せのために誠心誠意仕えることを誓っている私にとって、お嬢様の笑顔は何物にも変え難いものである。
「さて、行きましょうか。お父様とお母様を待たせてしまうわ」
「はい。参りましょう」
ウォルと戯れていたお嬢様は、スックと立ち上がるとスキップをしながら扉へと向かった。
私は素早く扉を開けてお嬢様と共に食堂へ続く廊下を歩く。
お嬢様はご両親――もとい推しカプに会えるのがさぞかし嬉しいようで、鼻歌まで口ずさんでいる。
食堂に到着すると、すでにご主人様と奥様も到着していて各自席についていた。
「おとうたま! おかあたま! おはようございましゅ!」
ご主人様と奥様の前ではしっかりと年相応の振る舞いをするお嬢様。
その切り替えの早さにはいつも感心させられる。
お二人は穏やかな笑みを浮かべてお嬢様を愛おしげに見つめながら口を開いた。
「ああ、おはよう」
「おはよう、フィーナ。昨日はよく眠れたかしら?」
「はいっ! おふたりはたっぷりよふかしされましモガモガッ!」
「え? 今なんて?」
「何でもございません」
お嬢様はすぐに余計なことを口走る悪癖があるため、私はご主人様と奥様の尊厳を守るべくお嬢様の口を塞いだ。
そのまま素早くお嬢様を席につかせて食事の準備を整える。
「ハッ! ちょっとクロエ! 大変よ!」
「どうなさいましたか?」
ニコニコとお二人に笑顔を向けていたお嬢様が突然、私にだけ聞こえる声で話しかけてきた。
「お母様の首筋に……あ、あれはそういうことよね!? ヒェッ! 推しカプがラブラブで今日も昇天しそう……神に感謝を」
お嬢様は悟りを開いたような表情で合掌して天を仰いだ。
私はなるほどとお嬢様の言葉の意味を理解し、こんなこともあろうかと用意していたスカーフを取り出した。
そして素早く奥様の後ろに控え、断りを入れてからそっと例のものが隠れるようにスカーフを巻いた。
「あ……クロエ、その……あ、ありがとう」
「とんでもございません」
奥様は聡い方なので、私の行動の意味を瞬時に理解したようだ。
ほわりと頬を染めて、ご主人様に聞こえないように私に礼を言ってくれる。
恥じらうように頬を染める奥様は大変可愛らしい。女の私でも胸がギュンッとときめくほどの破壊力である。
私は眉間に皺が寄りそうになるのをグッと堪え、一礼してからフィーナお嬢様の後ろへと戻った。
「さすがね、クロエ」
「恐縮です」
朝食は終始和やかな雰囲気で終了し、お嬢様は自室へと戻った。
今日は午前中は家庭教師と王国の歴史の勉強。
午後はいつも通り絵を描く時間に充てられる。
屋敷に到着した家庭教師をお嬢様の部屋に迎え入れ、私は勉強の息抜き用のおやつを準備するために厨房へと向かった。
お久しぶりです!
初めてクロエ視点で書いてみました!楽しかったです!
長くなりそうなので後編へ〜続く!(12/30に更新予定です)
そして本題……
なんとこの度、本作が第12回ネット小説大賞の小説部門で入賞いたしました!!!
フィーナが本になります!!! えっ!!!
元々短編だった本作を長編化できたのも、応援くださる読者様のおかげでした。
そんな大切な作品が素敵なご縁に恵まれて幸せな気持ちでいっぱいです。
WEB版からパワーアップさせるべくモリモリ加筆修正頑張りますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!




