第三十話 人生の楽しみ方 ◆sideフィーナ
ウォルとともに降り立った部屋は、壁一面に本棚がある落ち着いた部屋だった。
第二王子は七歳と聞いたけど、子供らしくない部屋ね。
とにかく、今は第二王子であるリューク殿下を保護することが先決だわ。
「さあ、掴まって!」
ウォルに跨ったまま、呆然とコチラを見上げる殿下に手を差し伸ばす。
「お、狼……!?」
あら、この子もウォルが見えるのね。
精霊の良き隣人として歴史ある王家だものね。祝福を受けていてもおかしくはないわ。
「安心して、この子は精霊だから。私もウォルも殿下の味方です。さあ、男たちが起き上がってくる前に逃げるわよ」
ウォルの風により、壁に打ち付けられていた男二人は、呻き声をあげて蹲っている。あまり悠長にはしていられない。
けれど、肝心のリューク殿下が一向に私の手を取ってくれない。
服を握りしめて俯く殿下は、ボソボソと何かを言っている。
「いい。逃げたところで、また同じことが起こる。兄上の未来の邪魔になるぐらいなら、ここで亡き者となってつまらない人生を終わりにしたい」
「はあ!?」
たった七年しか生きていないのに、なに人生諦めてるのよ!
ピキッと額に青筋が浮かぶのが分かったが、ふう、と息を吐いて気持ちを落ち着ける。
リューク殿下は見たところ随分とほっそりとしていて生気が感じられない。生きる気力を失っているように見える。
王子として生まれた彼の気持ちを推し量ることはできないけれど、きっと、悪意ある大人に囲まれて生きてきたのだろう。
もしかすると、人との関わりを避けて一日のほとんどをこの部屋で過ごしているのかもしれない。
そして少しずつ、幼い王子の心は削られていったのだ。
……全くもって、勿体無い!
「なにを言っているの。人生これからじゃない! 身体が成長すればできることだって増えるし、努力すれば体力だってきっと戻るわ。人生ってね、目まぐるしいのよ。そうやって後ろ向きに物事を考えて立ち止まっている暇はないの」
「だが、僕はもう疲れてしまった」
そう言ってリューク殿下は項垂れてつま先に視線を落としてしまった。
もう、世話のかかる王子様だこと。
私は遠慮なく大きなため息を吐き、バサリとサラサラツヤツヤな銀髪を手で払ってみせた。
「はぁ……いいわ。私が人生の楽しみ方を教えてあげる!」
この世界は楽しいことに満ち溢れている。
カメラやデジタル機器はないけれど、十分な時間も、画材もある。
それに、私には最愛の推しである両親がいる。
推しがいるだけで、世界は輝き、毎日は鮮やかに色づく。そう、推しは人生。
きっと悲劇のヒロインの如く悲壮感漂う王子も、推しさえ見つかれば人生は輝く。
推し活の先輩として、私が導いてあげるわ!
私の言葉に、驚愕したように目を見開くリューク殿下。
その背後では、咳き込みながらもゆっくりと立ち上がった二人の男が、ふらつきながらもこちらを睨みつけている。
「ほら、時間がないわ。行くの? 行かないの? どっち?」
「で、でも……」
リューク殿下は戸惑ったように瞳を揺らしている。
ええい、もどかしいわね!
「あんたの人生でしょう! どう生きたいかはあんたが決めなさい!」
「っ! ぼ、僕は、僕は……! 生きて広い世界を見たい。兄上の隣に立つにふさわしい男になりたい……!」
弾かれたように顔を上げたリューク殿下は、喉奥から絞り出すように彼の心の一部を曝け出してくれた。
「そう。いいじゃない。じゃあまずはここから生き延びなきゃね。ほら、手を取って」
「あ、ああ……うわあっ!」
小さく震えた手が遠慮がちに私の手に重ねられた。そのままグイッと引き上げて、私の後ろに座らせる。
「ぐっ……おい、待て!」
「お、おい、浮いてるぞ! 怪奇現象か!?」
男二人は諦めが悪いようで、尚もリューク殿下を狙っているけれど、珍妙なことを言い出した。
「ああ、あなたたちにはこの子が見えないのよね。ねえ、ウォル、一時的に姿が見えるようにできる?」
『ウォルルッ!』
ウォルは私の声に反応して、モフモフの尻尾を一回転させた。途端に空気が変わる。
みるみるうちに男二人の様子がおかしくなり、暗闇でも分かるほどに顔面蒼白となった。
「な……お、狼ィィ!?」
『グルルルル……ガウッ!! ガウガウガウッ!』
「うわああっ!」
ウォルに威嚇された男たちは、情けない悲鳴をあげて尻餅をついた。
「ウォル、その辺にしてあげたら? さ、外へ出るわよ!」
『ウォルッ!』
私の掛け声で、ウォルはふわりと浮き上がると、ベランダの柵に着地した。
「お、おい……あいつらを放っておいてもいいのか? 依頼主に繋がる大切な証拠だぞ」
遠慮がちに私の腰に手を回しているリューク殿下が、不安げに問いかけてくる。
第二王子擁立派を一掃しなきゃまた同じことが起こるかもしれないものね。殿下としては実行犯をしっかりと捉えて、手を汚さずに悪巧みを企てた人物を引き摺り出したいのだろう。
「大丈夫よ。この子があの人たちの臭いを覚えているわ。それに、きっとお母様とクロエが警備兵を呼んでいるでしょうし、すぐに兵がなだれ込んで来るんじゃないかしら。とにかく今はここを離れるわよ!」
何処に刺客が潜んでいるか分からない城内に隠れるより、ウォルに乗って上空に避難するのが一番安全だ。
そう判断した私を乗せて、ウォルは軽やかに跳躍をして夜の空へと舞い上がった。
「わ、わあああっ、た、高すぎないか!?」
「何よ、男のくせに怖いの?」
「なっ」
背後でリューク殿下が不機嫌になるのが分かった。
ようやく見られた年相応の反応にくすりと笑みが漏れる。
本当に、まだまだ幼い子供なんだから、目一杯子供らしくいればいいのよ。
私たちはベランダから離れた空中に留まり、室内の様子を見守る。
まもなく、ガタガタッと激しい物音と、「なんだお前たちは……!」「ぎゃっ!」「ぐわっ!」と先ほどの男たちの悲鳴が聞こえてきた。




