第三話 転生幼女の目覚め ◆sideフィーナ
「嘘でしょ? 前世でどれだけ徳を積んだのよ、私」
小さくてモチッとした紅葉のような愛らしい手。
ふっくらとしてきめ細やかな白い肌。
サラサラツヤツヤな絹糸のような銀髪。
薄桃色の目はぱっちりクリックリ。
「美少女すぎん?」
鏡を前にそう溢してしまうのも仕方がないというもの。
目の前にいたのは、生前擦り切れるほど読み込んだ大好きなシリーズの主要キャラクター。それも推しカプの義娘であるフィーナだったのだから。
「え? 待って、私死んだの?」
最後の記憶は定かではないが、現にこうして推しの娘になっているのだから、そういうことなのだろう。ああ、最終回を見届けられなかった作品たちを思うと涙が止まらない。
とにかく状況を整理しよう。
今、鏡に映っているのは間違いなくフィーナだ。
小説は実用、観賞用、布教用でしっかりと複数冊を揃えていたし、特典はフルコンプしていた。特に推しカプであるアネットとクロヴィス夫婦のイラストカードは店舗をはしごして十枚集めた。その私が間違えるわけがない。
混濁していた記憶が徐々に明瞭になっていく。霧が晴れていくように、頭の中が晴れやかになっていくのを感じる。
フィーナとしての記憶も、自分が経験したことのように思い出せる。
えーっと、フィーナの記憶によると……
……
…………
………………えっ!?
今日から正式にアネットとクロヴィスの子供になるの!?
ってことは、あの日ということじゃない!!
なんてこと!!!
めちゃくちゃ大事な日じゃないの!!!
そう、何を隠そう私の最推しであり尊き推しカプ、それが今日からフィーナの両親となるアネットとクロヴィスなのだ。
本日、養子縁組の書類が受理されて、晴れて二人の義理の娘になったフィーナ。
不慮の事故で突然実の両親を失って、アンソン家に引き取られた四歳の少女。
胸を締め付けるような痛みと寂しさは、両親を思うフィーナのものなのだろう。
それと同時に、アネットとクロヴィスを信頼する気持ちも確かに芽生えていることが分かる。
アネットは屋敷に来てから毎晩フィーナと一緒に寝てくれていたようね。
優しすぎる……聖母なの?
さすが私の大好きなキャラクターね!
今朝はもうフィーナの部屋にいないところを見ると、この後に控える結婚式に向けて早起きをして既に準備中ってことかしら。
「ん? 結婚式?」
そうよ!!!
今日が養子縁組成立の日ということは、二人の結婚式でもあるということ。
私もこの後、専属侍女のクロエに身なりを整えてもらって参列する予定になっている。
原作では結婚式はつつがなく執り行われ、とても美しく感動的なものだった。挿絵も最ッッ高だったわ。
で、問題は夜よ。結婚式の夜、そう、つまり初夜!!!
私は急いで勉強机に駆け寄って、バタバタと紙とペンを取り出した。
そして猛烈な勢いで覚えている限りの原作の知識を書き出していく。
アネットとクロヴィスは幼い頃から手紙で交流を重ねて、顔を合わせたのはデビュタントの時だけ。お互いにその時に一目惚れして、祖父同士が決めた政略結婚とはいえ、二人の間には愛がある。
でも、そのことに当の本人たちが気づいていない。
想い合っているのに、お互いの気持ちを尊重しすぎるがために一線を踏み越えられないときた。家が決めた結婚で、気持ちの伴わないものだと思い込んでいる。
それもまた尊いんだけど、原作だと、初夜を逃した二人はそのままタイミングが掴めずに白い結婚が続いてしまうのよね。
貴族の付き合いや様々な思惑が蔓延る夜会にも、王家主催など、どうしてもパートナーの同伴が必要な時を除いて、クロヴィスはアネットを連れて行かなかった。他の男たちの不躾な視線に晒したくないという独占欲もそこには絡んできてたまらんのだが、その気遣いがアネットを悩ませることになるわけよ。
クロヴィスはフィーナに対してもどう接していいか分からずにぎこちない関係が続き、フィーナから苦手意識を持たれていると勝手に解釈をして距離を置いてしまう。
果たして二人は自分と家族で幸せなのかと考えるまでになる。いや、会話が足りなさすぎるだろう。
そうして小さなボタンのかけ違いが続き、お互いのためにも身を引くべきなのでは、と二人が考えていたタイミングで原作小説のヒロイン登場!
王都までアネットを連れ出すことを躊躇い、領地にフィーナを一人にしないようにと一人きりで王家主催の夜会に臨んだのがいけなかったわ。
宰相の娘でもあるヒロインを蔑ろにはできず、そして誰にも言えなかった心のうちをクロヴィスは打ち明けてしまうのよ。クロヴィスの事情を聞いて、愛しい妻を自由にするために自分を利用しろと言い寄ってあれこれ吹き込むのよね。とんだ女狐よ。泥棒猫め!
最終的にアネットとクロヴィスは互いを愛するが故に離縁してしまう。
クロヴィスはアネットとフィーナを辺境の地から解放するために、アネットはクロヴィスが真実の愛を貫けるように身を引くの。
そしてクロヴィスはヒロインと結ばれるっていうクロアネ推しにとっての最悪の結末。全私が泣いた。
しかも、夫に捨てられた妻は由緒正しき侯爵家には帰れないと、アネットはフィーナと二人、田舎町に身を寄せて慎ましい生活を始める。間も無く、二人は流行病で命を落としてしまう。
クロヴィスも数年後にそのことを知り、猛烈に後悔し、そんなクロヴィスを健気に支えることでヒロインと真の夫婦となり、クロヴィスも前を向いて生きるようになるというエンディング。クソかよ。バッドエンド以外の何物でもないじゃない!!! このエンディングについては、ファンの間でも物議を醸したのよね。
その原作ファンの間でも、根強い人気を誇る二人。
何度でも言おう。かくいう私もクロアネ夫婦が最推しである。
一息に大まかな物語の流れを書き殴って、私は満足してペンを置いた。
ちなみに日本語で書いたから誰かに見られても問題はない。
さて、このままだと原作通りの展開を迎えてしまうのだろう。
でも、今ここには、二人を愛してやまない私がいる。
「私がフィーナに転生したのは何か意味があるのよ、きっと。そう、これはもはや天啓? 神様の思し召し? ふふふ……すべてまるっと理解したわ!」
原作小説を読んでいた時は、すれ違いにすれ違いを重ねる二人に、どうにか私の声が届かないかと何度も思ったものだ。それが今は叶うのだ。もはやこれは神に課せられた私の使命。運命。デスティニー!
私が二人の義娘になったからには略奪エンドとかいうバッドエンドは断固阻止よ! 推しカプは私が幸せにしてみせる!!!
まずは今日、無事に二人の初夜を成立させるんだから!!!
「目指せ! 甘々の初夜! 滅びよ! 白い結婚!」
「……フィーナお嬢様?」
気合を入れて、「えいえいおー!」と仁王立ちで拳を突き上げたタイミングでクロエが部屋に入ってきた。自分の世界に入り込んでいてノックの音が聞こえなかったわ。
「あ、クロエ。おはよう」
「お、おはようございます……ええと、どこか具合でも悪いのでしょうか?」
にっこりと愛らしい笑顔で挨拶をしたのに、優秀な専属侍女は、当惑した様子で私の額に手のひらを当ててきた。失礼な。元気モリモリ気合十分よ。
クロエは、フィーナが生まれた時から彼女のお世話をしてきた侍女だ。アンソン家にお世話になるにあたり、クロエもフィーナについてこの家にやって来た。
いつも凛としていて感情を顔に出さないクロエはクールで頼り甲斐がある。それだけではなく、どことなく只者ではない気迫を感じる。栗色の髪を高い位置で綺麗にお団子にしていて、身長もスラリと高い。
フィーナの記憶からも、クロエが忠義に厚く、信頼のおける人物であることは間違いがない。
「ねえ、クロエ。フィーはおとうたまとおかあたまのむすめになれてうれしいのです。ふたりにはなかよしでいてほしいの」
「お嬢様……ええ、ええ。そうですね。私もアンソン家の一員として、お二人の幸せを願っております。そしてもちろん、お嬢様の幸せも」
クロエの言葉には嘘偽りはなく、心からのものだった。
「クロエ……!」
思わずジーンとしちゃったわ。
よし、決めた。クロエを私の協力者にする!
儚い幼女一人じゃ出来ないこともきっとあるもの。大人の協力者は必要よね。
兎にも角にも今夜が最重要な分岐ポイントなんだから!
フィーナちゃん、頑張る!