第二話 初夜の行方
「だ、旦那様……その、本日は結婚初夜ではありますが、フィーナを一人きりにするのも憚られますし、今日から正式に親子となるのです。親子としての絆を紡ぐためにも、今夜は三人で寝るのはいかがでしょうか?」
「そ、そうだな。フィーナは今日から俺たちの娘だ。共に過ごす時間は大切だ。うん」
アンソン辺境伯家にやってきて一週間。王都にいた時から必要な準備は進めていたため、本日、つつがなく結婚式を終えることができた。
そして同時に、フィーナとの養子縁組の手続きも無事に終わり、本日付でフィーナは私たちの娘となった。
真っ白なタキシードはクロヴィス様の美しい銀髪を引き立たせ、それはもう素敵だった。私の薄紫色の髪に、純白のドレスがよく似合うとクロヴィス様も言ってくれたけれど、クロヴィス様には敵うはずもない。それぐらい素敵で、式の間中ずっとポワポワと心が浮き足立ってしまった。
ようやくクロヴィス様の妻となれた。その喜びを噛み締めることで精一杯だった。
結婚式で疲れた身体をやけに丹念に侍女が磨き上げてくれたため、気になって問いかけたところ、「うふふ、何をおっしゃいますか。本日は初夜でございますよ」と言われてようやく結婚式後に待ち受ける夫婦としての一大イベントに思い至った。
もちろん、教育の一環として初夜について学んできた。
けれど、辺境伯家にやってきてから目が回るほどに忙しく過ごしていたため、すっかり失念していたのだ。
つまり、心の準備が全くできていない。
それに、ここ一週間私はフィーナと一緒のベッドで眠っていた。遠慮がちに私の服を掴んで眠るフィーナはとても可愛い。いつも不安げに瞳を揺らす彼女が、少しずつでも心を開いてくれているのだと感じられる瞬間は愛おしいものだった。
初夜の覚悟が決まっていないこともあるが、そんなフィーナに一人寂しい夜を過ごさせることはしたくない。そう思って、初夜にあるまじき提案をしてしまったのだが、どこか落ち着かない様子で部屋を歩き回っていたクロヴィス様も私の提案に同意してくれた。
そう、今日は夫婦としての門出の日でもあるが、私たち三人が親子として迎える初めての夜なのだ。そう無理矢理正当化して、私たちはフィーナ付きの侍女であるクロエを呼び出した。
クロエは、いつも冷静沈着で感情を顔に出さない優秀な侍女だ。フィーナもよく懐いていて頼りになる。
流石に初夜となる夜に呼び出されたことで怪訝な顔をしていたが、フィーナを連れて来てほしいと頼むと、一層眉間に皺を寄せてしまった。
分かっているわ。分かっているのよ。初夜がとても大事なことは。でも、心の準備ができていないのよ! それに、フィーナが心配だというのも本当の気持ちなの。
納得していない様子のクロエだったけれど、主人の言葉に背くことはできないと、すぐにフィーナを連れて来てくれた。
だが、そのフィーナの言動に私もクロヴィス様も大いに驚かされることになる。
「ダメですわっ! しょやは! きょうかぎり! ダメダメ! ぜったいしょやのほうがたいせつでちゅから! フィーはクロエのへやでねますの! ですのでごゆっっっっくりしょやをおすごしくださいませ」
夫婦の寝室に連れられてきたフィーナは、なんとも驚きの発言をしたのだ。
え? 昨日まで口数も少なくて、俯きがちで儚げだったフィーナは何処へ?
目の前のフィーナは薄桃色の目を爛々と輝かせて、ふんすふんすと鼻息荒く両手を胸の前で握りしめている。
というか、ええ?
この子、まだ四歳よね……?
まるで初夜がなんたるかを理解しているような口ぶり……
あ、もしかして屋敷の侍女たちに初夜が夫婦にとってとても大切なものだと言い聞かされていたのかしら?
あり得るわね。今夜私と寝られない理由を聞かされていたとしてもおかしくはないもの。
それにしても、フィーナがこんなに溌剌と話すところを初めて見たのだけれど……
戸惑いと、フィーナが自分の意思をしっかりと述べてくれたという嬉しさ。
複雑な胸の内に困惑している間に、ふすーっと鼻を膨らませたフィーナはクロエの手を引いて寝室を出て行こうとしている。
慌ててフィーナに駆け寄って膝を突き、語りかけるように瞳を覗き込む。
「フィ、フィーナ? いいのよ、気を遣わなくても。私たちはあなたと早く本当の親子になりたいの。だから、ね? 一緒に寝ましょう?」
「いやでしゅ! フィーはクロエとねましゅ!」
視線の高さを合わせて宥めるように手を差し出したものの、フィーナはぎゅっと後ろに控えていたクロエのスカートにしがみついてしまう。
フィーナが初めて拒絶したわ!
これが反抗期というもの? でも、四歳で反抗期ってあるのかしら? 分からないわ。
思い悩んでいる間にも、フィーナはクロエの腕を掴んでグイグイ引っ張りながら扉へと向かう。
「あっ、待って……!」
「では、おやすみなさいませ~! あちたのちょうしょくも、クロエとたべます。おきになさらず、ゆっくりおからだをやすめてくださいね、おかあたま」
「っ!」
は、初めて「お母様」って呼んでくれたわ!
感動に打ち震えている間にも、フィーナは「むふふ」と含みのある笑みを浮かべながら、困惑顔のクロエを引き連れて寝室を出ていってしまった。
残されたのは、呆気に取られた新婚ホヤホヤ夫婦の私たちだけ。
「……驚いた。急に流暢に喋り出したかと思ったら、初夜を優先しろとは……」
「え、ええ。本当に……四歳児って、随分と博識なのですね……それに、初めて『お母様』と呼んでくれましたわ」
「ああ。俺たちを親として認めてくれたということだろうか。嬉しいものだな」
微笑み合いながら視線を合わせた私たちは、ハタと今置かれている状況に思い至った。
こ、これは……
フィーナによって外堀を埋められてしまったことに、ようやく気がついた。
この後のことを考えて、途端に身体中が熱を発し始め、屈んだ姿勢のまま硬直してしまう。
慌ててクロヴィス様から目を逸らして絨毯の美しい模様に視線を落とす。
「あー……そういうわけだ。その、俺はフィーナのこともそうだが、アネット……君のことももっと知りたいと思っている」
衣擦れの音がして、びくりと俯いていた顔を上げると、目の前に私と同じように腰を落としたクロヴィス様がいた。
照明はベッドサイドのランプが灯されているだけ。それでも、クロヴィス様がとても真剣な目をしていることは分かった。
私はごくりと喉を鳴らすと、覚悟を決めて震える声で応えた。
「は、はい……私も、同じ気持ちです」
「そうか……よかった」
少し照れくさそうにはにかむクロヴィス様の笑顔に、心臓がムギュッと鷲掴みにされてしまった。
――ああ、やっぱり、私はこの人が好きだ。
胸の内で確かに育まれている愛情を感じて嬉しくなる。
高鳴る胸を押さえていると、ふわりと身体が浮いた。
「ひゃ、旦那様!?」
「アネット、愛している。今宵は君と夫婦になれた喜びを噛み締めさせてほしい」
そして軽々と運ばれたのは、もちろん夫婦の寝台で――
初心な私たちは、フィーナの大人びた気遣いのおかげで、無事に夫婦として結ばれたのだった。