第十七話 王都
「ふわああ! すごいでちゅ!」
「ふふっ、窓から顔を出してはいけないわよ?」
王城で開催される夜会に向けて、私とクロヴィス様、そしてフィーナは十分な余裕を持って領地を出発した。
十五日間の長旅の道中、宿場町でしっかり休息を取って進んできた甲斐もあり、なかなかに快適な道のりだった。
フィーナのためにクッションをたっぷり積み込み、座面も皮を張り替えて乗り心地を追求した。フィーナがどうしても連れて行くと言って聞かなかったウォルも、私たちの足元で気持ちよさそうに丸くなっている。
ほとんど王都に出てこないアンソン家は、王都にタウンハウスを持たない。だから今回は私の実家であるランディル侯爵家が所有する屋敷を間借りすることになっている。
次期侯爵の兄も、両親も、今回の滞在を心待ちにしてくれている。夜会に着ていくドレスも頼んでいるので受け取りが楽しみだ。
今回、王都に滞在できるのは十日間。
その間、侯爵家への挨拶を兼ねた食事会、王城での夜会はもちろん、この機にやりたいことがあった。
「着いて早速だが、今晩はランディル侯爵家での食事会、そして二日後にはフィーナと同年代のご令嬢を募ってのお茶会を開催する」
「はいっ! たのちみです!」
クロヴィス様が直近の予定を確認し、フィーナも笑顔を弾けさせる。
そう、滞在期間中にフィーナのためにお茶会を開く予定なのだ。
辺境伯領ではフィーナと同年代の貴族令嬢はおらず、歳の近い友人を作る機会がない。せっかく王都まで来たのだから、フィーナにもお茶会の楽しさを知ってもらいたい。
フィーナはまだ五歳になったばかりだし、社交界の縮図とも言われるお茶会も和やかで穏やかなものとなるように取り計らっている。招待客もランディル侯爵家と馴染みの深い家門に留め、気兼ねなく楽しめるように配慮した。
初めてのお茶会とあり、フィーナは目をキラキラ輝かせて頬を紅潮させている。
「ふふっ、まさか早速布教の場を設けてもらえるなんて僥倖だわ……! 屋敷に着いたらすぐにスケッチブックを出して最終調整しなくっちゃ。ぐふ、ぐふふ……」
フィーナはよほど楽しみなのか、少し涎を垂らしながら恍惚な表情をしている。ブツブツと何やら早口で捲し立てるのは、どうやら嬉しいことがあったり、楽しみなことがあったりする時のフィーナの癖のようなものらしい。多分。
ぐふふ、と肩を振るわせて心ここに在らずといった様子のフィーナを前に、私とクロヴィス様は顔を見合わせて苦笑したのだった。
◇◇◇
屋敷に到着して荷物を下ろして少し休んでから、私たちは再び馬車に乗り込んだ。
ランディル侯爵家は王都の中でもとりわけ大きな屋敷を構えている。立派な庭も有しており、ちょっとしたガーデンパーティを開けるほどの規模感だ。二日後のお茶会もこの場を借りることになっている。
植物の管理は、庭師とともに私の母も手を加えている。昔から園芸が好きな人なのだ。
街が茜色に染まる頃に侯爵家に到着し、気候もいいということでその自慢の庭で立食形式の食事会が開かれることになった。
私の父と母、そして兄に会うのは結婚式以来だ。
侯爵家のシェフ自慢の料理はどれも懐かしい味で、胸がジンと熱くなった。クロヴィス様もフィーナも「おいしい」と顔を綻ばせている。
「フィーナ、遠いところをよく来たね。アネットの娘である君は私たちにとっての孫というわけだ。改めてよろしく頼むよ」
料理を楽しんでいると、父と母が連れ立ってやって来た。
改めてフィーナにそう言ってくれて、私も嬉しく思う。
フィーナはキョトンと目を瞬いた後、パァッと笑顔を咲かせた。
「まご……! はい! おじいたま! おばあたま!」
「んぐっ」
二つ上の兄には婚約者がいるが、まだ婚姻していないため、フィーナが二人にとっての初孫ともいえる。
愛らしいフィーナに「おじいさま」「おばあさま」と呼ばれた二人は胸を押さえて数歩後ろによろめいた。
「ははっ、フィーナは可愛いな。困ったことがあればいつでも頼りなさい」
「はいっ!」
「いい返事だ」
ビシッと手を挙げるフィーナの頭を撫で、父と母は親戚の輪に包囲されて困り顔のクロヴィス様の元へと向かった。
「はぁ……さすがお母様のご両親ね。とても素敵だわ」
「あら、ありがとう」
また大人びた声音で呟くフィーナ。もう私も慣れてしまったので、特に気にすることなく返事をした。
そんなフィーナは誰かを探すようにあたりをキョロキョロし始めた。
「おかあたまのおじいたまはいらっしゃらないのですか?」
「え? 私のおじい様?」
フィーナに袖を引かれて腰を落とすと、おじい様の所在を尋ねられたので驚いた。今まで接点はなかったと思うのだけど、何か気になる話でも語って聞かせたかしら?
これまでのフィーナとの会話を思い返しながら、周囲を見渡す。
私のおじい様も王都に居を構えているのだけど、何せ多趣味な人なので、古い知り合いの領地に遊びに行ったり、山に入って狩りを楽しんだりと行動が掴めない人なのだ。昔は戦場で剣を振るっていたこともあり、どうもジッとしていられない血気盛んなところがある。
すでに六〇歳は迎えていたはずだけど、鍛え抜かれた身体は腕が衰えていないことを誇示しているようでもある。幼い頃によく遊んでもらったものだ。高い高いが本当に高くて激しくて、母がよく悲鳴を上げていた。私は楽しかったのだけれど。
見渡す限り、均整の取れたダンディな筋肉は目に入らない。今日もどこかに出かけているのかもしれない。
「ええっと……そうね。来ていないみたい」
「そうでちゅか……あいたかった……」
しょんぼりと肩を落とすフィーナに視線を合わせて微笑みかける。
「そう言ってくれて嬉しいわ。おじい様には手紙を出しておくから、王都にいる間に予定がつけば会いに行きましょうか」
「ほんとでちゅか!? ありがとうございましゅ! フィー、どうしてもおれいがいいたくて……」
残念そうに指を咥えたフィーナは独り言を溢す。耳ざとく聞きつけた私は、やはり首を傾げながらフィーナに問うた。
「ん? お礼? 何の?」
「あ、いえ。なんでもありません」
フィーナは慌てて手を振って話題を変えたけれど、もしかして、私とクロヴィス様に内緒でフィーナにプレゼントを贈っているとか……? あり得なくもないけど、まだ面識はなかったはずなのよね……
疑問は残るけれど、今は食事会を楽しむことにしましょう。
食事会は終始和やかな雰囲気で進み、とても楽しい時間を過ごすことができた。
旅の疲れもあるだろうと、良き頃合いでお開きとなり、案の定フィーナは帰りの馬車でスヤスヤと寝入ってしまったのだった。