第十四話 ウォルとフィーナ
「今日は驚きましたね」
「ああ、そうだな。まさかフィーナも精霊の祝福を授かるとは……それにあの狼。俺も初めて見た」
怒涛の一日が終わり、就寝時。
私とクロヴィス様は寝支度を整えてベッドに腰掛けながら、今日のことを思い返していた。
フィーナは狼の精霊と一緒に寝ると言って自室に帰ってしまった。クロエが付き添ってくれるから大丈夫だとは思うけど、少し心配ね。
それにしても、フィーナがあの狼の介抱をしていただなんて、知らなかったわ。
精霊だとはいえ、狼に臆することなく手を差し伸べたフィーナの心根の優しさに感動した。
「でも、一言相談してくれてもいいのに……」
聡いフィーナのことだから、狼の面倒を見たいと言って私たちに心配されるのではと判断したのだろう。とはいえ、私はあの子の母親なのだから、困ったことがあったら何でも話してほしいし頼ってほしい。
ちょっぴり唇を尖らせていると、クロヴィス様がククッと喉を鳴らした。
その色気のある低い音に、どきりと心臓が跳ねる。
「アネットもすっかり母親だな」
「まあ、クロヴィス様だって、素早くフィーナを抱き上げていて、すっかり立派な父親でしたよ」
お互いにおどけ合い、そして微笑み合った。
クロヴィス様の前で肩肘張ることを止めたおかげで、最近では背伸びをせずに自分らしく過ごすことができている。クロヴィス様も私と過ごすときはリラックスしている様子で、このひと時にとても安らぎを感じている。
「さて、フィーナはきっとこれからあの狼と共に寝るようになるだろう。となると、夫婦の時間が増えるわけだが――」
「あっ……」
クロヴィス様の目がすうっと細められ、その鋭い眼差しに射抜かれたように固まってしまう。
「えっと、クロヴィス様……?」
すでに胸元をくつろげ始めて色気を漂わせているクロヴィス様に戸惑いの視線を向けるも、クロヴィス様は口元に微笑を携えたままジリジリとこちらに身を寄せてくる。
「明日の朝は少しゆっくりできるんだ。一緒に夜更かししよう」
「ちょ、ええっ……っ」
クロヴィス様は私を押し倒しながら手を伸ばして器用にベッドサイドの照明を落とす。
もう……と思いながらも、私はクロヴィス様の広い背中に腕を回した。
◇◇◇
フィーナが精霊の祝福を受けて五日。
すっかり狼と中庭を駆け回ることが習慣になったみたい。
狼に「ウォル」という名前をつけたフィーナは、名前が決まった時、とても嬉しそうに報告をしてくれた。
「『ウォル』ってなくからウォルなのでしゅ!」
「んぐっ……そ、そう。いい名前ね」
目をキラキラ輝かせて教えてくれたフィーナが可愛すぎて喉の奥から変な声が出てしまったのよね。
その時のことを思い返すと笑みが溢れる。
そして私は今、ガゼボで刺繍をしながら元気に駆け回るフィーナとウォルの様子を眺めている。
「奥様はウォルが見えるのですよね?」
ティータイムの用意をしてくれていたクロエが、不意に尋ねてきた。
「ええ。青みがかった白い毛色で、日の光に当たると白銀に輝いて見えるわ」
「左様ですか……」
クロエはフッと微笑んだ。私に向けられた目には羨望の色が滲んでいる。
フィーナに眩しそうな視線を向け、笑みを深めるクロエ。
そうよね、クロエには見えないのよね……
「はあ、つかれまちた!」
クロエの準備が整った頃を見計らい、走り回って顔が真っ赤になったフィーナがガゼボへ戻ってきた。
フィーナが席につき、その足元にウォルがやって来る。クロエが準備した果実水を美味しそうに飲んでいる。
このタイミングで、ポンッと軽快な音がして、フィーナに祝福を与えた精霊が姿を現した。
この精霊はあの日以来、たまにこうして私たちの前にやって来るようになった。フィーナとウォルの様子を見に来ているのかしらね。
精霊は『やっほー』と軽い挨拶をすると、フィーナ、ウォル、私、そしてクロエに順に視線を移した。
そしてしばし考えるように顎に指を当てて、フィーナに問いかけた。
『いつも一緒にいるけど、この子はフィーナのお友達?』
「え? クロエ? そうよ!」
「お嬢様……!」
即答するフィーナに、クロエは片手で口元を押さえて感激している。
私が屋敷に来た当初は、ポーカーフェイスで表情が読めない印象だったけど、今はかなりいろんな表情を見せてくれるようになった。こちらまで嬉しくなってしまう。
『ふーん、そうなんだ』
私が密かにしみじみしていると、精霊は何かを見定めるようにクロエの周りを飛び始めた。
精霊が見えないクロエは当然だけど、そのことに気づいていない。
「クロエもあなたたちのことがみえるといいのだけど……そんなことはできるのかちら?」
そんな精霊に、フィーナが両手を合わせておねだりした。
そうよね。クロエもウォルの姿が見えた方がお世話もしやすいものね。でも、祝福はそう簡単に得られるものでは……
『できるよお』
「えっ!?」
精霊があまりにもあっさりと肯定したものだから、思わず声を上げてしまった。
精霊の行動は早かった。私が驚いている間に、片手をお皿のようにして、ふうっとクロエに息を吹きかけた。
「えっ……こ、これが精霊……? ああ、ウォル……あなたはこんなにも凛々しく気高い顔立ちをしていたのですね」
数度目を瞬いたクロエが、ウォルの傍に腰を落とし、首元を撫でている。ウォルも嬉しそうに目を細め、クロエも同じように微笑を携えている。どうやら見えているらしい。
「わあっ! クロエ、よかったわね! せいれいさんも、ありがとう!」
『ふふっ、いいよお』
和やかな空気が流れるけれど、静かに立ち上がったクロエが戸惑いがちに口を開いた。
「あ、あの……大変ありがたいことなのですが、そんなに簡単に祝福をいただいてもよろしいのでしょうか……? ましてや一介の侍女である私が」
『いいのいいの。精霊は気まぐれだから。気に入った子には祝福を与えるよ~それに君はいつもフィーナたちに献身的に仕えているからね。君の作るお菓子は絶品だしぃ』
そう言いながらクロエが用意したクッキーを手に取り『あーんっ』と頬張った。もしかして、胃袋を掴まれたから……?
私たちは思わず顔を見合わせて――プッと吹き出した。
「せっかくだから、今日はクロエも一緒に楽しみましょう」
クロエに空いている席を勧めるも、クロエはギョッと目を見開いてものすごい速さで手を振った。
「いえ、私はただの侍女ですので……」
「あら、いいじゃない! せいれいきねんびよ!」
フィーナが「ね、おねがい」とキラキラした目でクロエを見つめる。
ああ、これは折れるわね。そう思いながら様子を見守っていると、思った通り、クロエは胸を押さえて一歩後ずさった。
「う……では、本日だけ……」
「やったあ!」
『アオーン!』
こうしていつもより一層賑やかな午後のひとときは、ゆったりと幸せな時間が流れていた。