第十二話 狼の精霊② ◆sideフィーナ
驚いて振り向くと、怪訝な顔をしたクロエが警戒心を顕にしている。両手を前に構えて戦闘体勢ってやつね。
うーん、クロエに見えないってことは、この狼も精霊ってこと……?
精霊ってどうやって介抱すればいいのかしら?
とにかく四歳児一人じゃ何もできないわね。クロエに正直に話して協力してもらいましょう。
「あのね、ここに狼がいるの。とっても辛そうだから、介抱してあげたいんだけど……」
「狼……!? なるほど、精霊、なのでしょうか……」
一瞬息を呑むも、すぐに何か手立てはないかと考え込んだ様子のクロエ。うちの侍女、切り替えが早い。優秀すぎる。
「庭師の小屋を借りましょう。少しの間でしたら問題ないでしょう。それで、その狼は大きいのですか?」
庭師の小屋ならここから見える距離だし一角を借りてタオルを敷けば簡易ベッドぐらいにはなるかしら。
「いいわね! 私より少し大きいぐらいよ。あっ、どうやって運べばいいかしら……」
大事なことを忘れていた。精霊は見える人にしか見えないけど、実体はある。
この狼の状態だと自分で動くことはできないでしょうし、台車を借りて運ぶ?
か弱いフィーナちゃんにできるかしら……
「お嬢様、その狼はどこにいますか?」
「え? ええと、ここよ。左側が顔で、首、前足……ここが後ろ足で、尻尾ね」
クロエに問われるがまま、目の前のどこに狼がいるのか詳細に伝えた。
「承知いたしました」
「ん? どうするの? って、ええっ!?」
狼のサイズから、手配する台車のサイズを推測しているのかしらと思っていたら、徐にしゃがみ込んだクロエが手探りで狼に触れて素早く持ち上げた。
「さ、参りましょう」
「え、ええ……クロエ、あなたすごいわね……」
子供とはいえずっしりと重みがあるであろう狼を軽々と持ち上げる侍女って……クロエあなた一体何者なのよ。
「とんでもございません。侍女としてこれぐらい当然です。まあ、私は父が元傭兵で幼い頃からあらゆる格闘技を叩き込まれ、森でサバイバルや狩猟の経験もふんだんに積んで参りましたが」
とんでもないわ。この侍女、とんでもなかったわ。
「万一、この狼がお嬢様を襲うようなことがあれば……精霊であれ容赦はいたしません。狼ごときに遅れをとる私ではございませんゆえ」
「やだ、頼もしすぎる」
「光栄です」
そしてクロエの協力で無事に庭師の小屋に狼を運ぶことができた。
小屋にあった綺麗なタオルを床に広げてその上に狼を横たえてもらった。頭の下はタオルを重ねて、頭が少し高くなるように調整した。心なしか狼が、ほうっと息をついたように見えた。
「とにかく、水かしら……」
「そうですね。身体を拭くタオルやお湯もあるといいでしょう」
私とクロエは屋敷に戻って必要と思われるものを集めて小屋に戻った。
「ほら、飲んで?」
「ウォル……」
始めは警戒心を顕にしていた狼だったけど、私たちに害意がないと理解したのか、素直に身を委ねてくれている。
頭を上げて、少しずつ水を含ませる。身体も汚れているので丁寧に清めていく。一人じゃ時間がかかるから、クロエにも手伝ってもらった。見えないので手探りだったけど、手際よく拭き清めていた。
「ふう、こんなところかしら。いい子ね」
「ウルル」
あごを撫でると、わずかに手に顔をすり寄せてくれた。可愛いわ。この子の目は澄んだ夜空のような深い藍色をしている。とっても美しいし、特別な精霊なのかしらね。
「ああ、今晩一緒に眠れたらいいんだけど」
「流石に奥様に心配をかけてしまいます。寝る前に一度だけ、私と一緒に様子を観にくるということで妥協してください」
「分かったわ。ありがと」
それから、クロエに取ってきてもらったスケッチブックに狼の絵を描いてクロエに見せたり、頭や身体を優しく撫でたりして夕飯の時間が来るまで狼と過ごした。
約束通り、就寝前に小屋に顔を出すと、狼はすやすやと眠っていた。呼吸は安定しているみたい。よかったわ。
「また明朝、様子を見に来ましょう」
「ええ。ありがとう」
両親には、今日はクロエと寝ると伝えているので、クロエに甘えて明日は早起きして朝食前にもう一度様子を見に来よう。
「狼さん、おやすみなさい」
「グルルル……」
寝息が返事をしているようで、私は思わず笑みを漏らした。
◇◇◇
翌朝、夜が明けてすぐに目が覚めた私は、むくりと身体を起こした。
「おはようございます」
「おはよう。もう起きてたのね」
「はい」
早朝だというのに、とっくにクロエは起きて身支度を整えていた。
私も手早く着替えを済ませて、静かに廊下を歩いて庭師の小屋へと向かった。
途中で厨房に寄り、人肌に温めたミルクを分けてもらった。
「狼さん、起きてる?」
小屋を覗き込むと、昨日までは身体を起こせずにぐったりしていた狼が上体を起こしてこちらを見ていた。
うわ……やっぱりすっごく綺麗な狼ね。
朝日を受けて淡い水色を帯びた白い毛がキラキラと光って見える。
そっとミルクが入った器を前足付近に置いてあげると、クンクンと匂いを嗅いでから嬉しそうに舌で飲み始めた。
「どうぞ、いっぱい飲んでね」
ピチャピチャと美味しそうにミルクを飲んだ狼は、「ウォルッ」と一声鳴いて鼻先をチョンと私の額につけた。
恐らく精霊である狼が見えないクロエは首を傾げながらも、ジッと壁際に控えて見守ってくれている。
狼はスリッと頬擦りをしてくれて、ふわふわの毛が肌を撫でてくすぐったい。
「うふふ」
私も手を伸ばして狼の首元をもふもふと触らせてもらう。なんという幸せなひと時なのあろう。もふもふ、最高。
ひとしきりもふもふを堪能し、狼がゆっくりと私から離れて数歩下がった。どうかしたのかと見守っていると、突然ブワッと旋風が起こり、目を閉じた一瞬のうちに狼はいなくなってしまった。
「あら……行ってしまったわ」
「そうなのですね。元気になったようでよかったですね」
「ええ。もう倒れなければいいのだけど」
私とクロエは借りていた小屋を簡単に掃除して、空になったお皿を返すべく厨房へと足を向けた。