第十話 家族で視察へ
そして視察同行の日がやってきた。
「フィーナ、とっても素敵よ」
「おかあたまもすてきでちゅ!」
お揃いの服に袖を通し、ふふふと微笑み合う。
サイズの微調整も無事に済んで、身体のラインにピッタリなシャツは伸縮性もあってとても着心地がいい。
胸元には花柄の小さなブローチをつけた。アメジストの石が嵌め込まれていて、言わずもがなクロヴィス様の瞳の色を表している。
「本当にマジでたまらんのだが……あのブローチ、お父様の瞳の色、よね? うっわ、やっばい。流石にお父様も気づくわよね……えっ、なんでビデオカメラがないわけこの世界」
身だしなみを整えながら玄関に向かっていると、なにやらブツブツと低い声が聞こえてきた。
周りを見渡すけれど、特に不審な人物はいない。空耳かしら……風の精霊の悪戯とか?
玄関に着くと、ネイビーのパンツとジャケットを優雅に着こなしたクロヴィス様が待っていた。いつもおろしている髪を左側の耳の上の辺りだけ後ろに撫で付けていて、男らしさと色気が内在する破壊力抜群の出立をしていた。
思わず見入ってしまい、立ち尽くす私に気づいたクロヴィス様が、パァッと表情を明るくした。
「アネット! それにフィーナも。二人ともとても似合っている。外に出したくないほど愛らしい」
「クロヴィス様も、とても素敵です……」
私たちの元に駆け寄ってきてくれたクロヴィス様は、嬉しそうに目を細めている。
目が合い、はにかみ合ってから照れくさくて視線を逸らす。そしてまた、惹かれ合うように視線を合わせて――を繰り返していると、後ろから「ぐっふう」という唸り声が聞こえた。
慌てて振り返ると、胸を押さえたフィーナが片膝をついて蹲っていた。
「フィーナ!? 大丈夫!? 大変、クロエッ! すぐに来て! ああ、やっぱり体調が優れないんじゃない? 今日はお留守番を――」
「だいじょうぶでしゅ! あまりにも甘酸っぱい波動を直浴びして立っていられなくなっただけで……」
「お嬢様、落ち着いてください。素が出ております」
「はっ! うふっ」
音もなく現れたクロエが、フィーナを立たせて身だしなみを整える。
フィーナって、たまに驚くほど流暢に喋ることがあるのよね。たくさん本を読んでいると聞くし、きっとものすごい勢いで言葉を吸収しているのね。
呆気に取られていると、クロヴィス様が私の肩を抱いてフィーナに声をかけた。
「フィーナ、本当になんともないのか? お前の体調が一番だ。無理はしないでほしい」
「おとうたま……はい、フィーはウソはつきません! げんきいっぱいでしゅ!」
「ご主人様。フィーナ様は平常運転でございます。本日は私も同行いたしますので、少しでも様子のおかしいところがあればすぐに連れ帰ります。ですので、どうか同行をお許しくださいませ」
フィーナだけでなく、クロエまでそう言うものだから、クロヴィス様と私は顔を見合わせて頷き合った。
「分かったわ。少しでも不調を感じたら必ず教えてちょうだいね。約束よ」
「はい!」
そうして私たちは三人で馬車に乗り込んで、街へと向かった。
◇◇◇
「アネット、足元が不安定だ、手を」
「は、はい」
馬車から降りる際にエスコートしてもらったのは、アンソン家に輿入れしに来た日以来でドキドキする。
初めて手を差し伸べてもらったあの日は、馬車を降りてからお互い気恥ずかしくてすぐに手を離してしまったのだけれど、今日は馬車を降りてからも繋いだ手を離してくれなかった。
どうしたのかしら、と様子を窺っていると、クロヴィス様はこちらを見ずにスルリと私の指に自身の指を絡めてきた。
「えっ、あ、あの……?」
「……この街を案内するのは初めてだから。活気ある街だ。その、はぐれないように……」
そう言って気まずそうに視線を外すクロヴィス様の耳が赤い。つられて私も真っ赤になる。
もう夫婦だというのに、付き合い始めの恋人同士のようでどうしても初々しさが抜けない。
「◯月×日、お父様とお母様、夫婦になって初めての恋人繋ぎ……っと」
ホワホワとした幸福感に浸っていると、背後から小さいながらも真剣な声がしたので慌てて振り向いた。
フィーナがどこから取り出したのか、ものすごい速さで手元のメモにペンを走らせている。
四歳児ってこんなにスラスラと文字を書けるものなの!? 凄いわね!? 文字を読むのは教え始めていると聞いていたけれど、もう書けるなんて知らないんだけど!?
待って、シャッシャッと小気味よいそのペンの動き……スケッチ? まさか、スケッチをしているの?
フィーナは手元のメモを満足げに見ると、いそいそとスカートのポケットにメモとペンを収納していた。針子と何かコソコソしていると思ったら、まさかポケットをつけていたなんて……
フィーナのお世話を任せているクロエはもう見慣れた光景だと言わんばかりに動じずに隣に控えているので感心する。
「まったく……何をしている。フィーナも、ほら」
フィーナの様子を呆れた様子で見ていたクロヴィス様だったけれど、その目はとても優しい。私と繋いだ手と反対の手をフィーナに差し出している。
「……! おとうたま!」
フィーナは目をまんまるに見開いてから、パァッと花が咲いたような笑顔でクロヴィス様の手を取った。
領地内で最も栄えているこの街は、アンネローデという。煉瓦造りの家が立ち並ぶ風情ある街だ。
領地で取れる野菜の直販や、色々な種類の花から抽出した香水など、名産品も多く並び活気がある。
「あ、クロヴィス様!」
「領主様だー!」
街を歩いていると、住民から親しげに声をかけられている様子から、クロヴィス様が領主として認められ、信頼されていることが伝わってくる。
「調子はどうだ? 変わりないか?」
「ああ、今年も豊作だよ。街道の整備をしてくれているおかげで、物流の販路の見直しも話が出ているぐらいだよ」
「そうか、それはよかった。何か困ったことがあれば気軽に申告してくれ」
「頼りにしているよ」
なんて会話を聞いていると、クロヴィス様の妻としてとても嬉しく、誇らしい気持ちになる。
フィーナも「むふん」と得意げな顔をしていて楽しそう。
親子三人で並んで歩く街は、流行最先端で豪華絢爛な王都よりもキラキラと輝いて見えた。
そしてお昼時、事前に予約していたレストランへ向かうと専用の個室へと案内された。アンソン家御用達のレストランらしく、「ここに連れて来れて嬉しい」とクロヴィス様が言ってくれた。
料理も季節に合わせてシェフが腕によりをかけてくれるそうなので、すべてお任せした。
料理の到着を待つ間、私たちは街で見た物や人の話に花を咲かせた。
「旦那様」「おとうたま」という私たちの呼びかけに、クロヴィス様はどこか嬉しそうに笑みを深めている。そんなクロヴィス様を見て、私も自然も笑顔になってしまう。
「――旦那様と呼ばれるのも悪くはない……けれど、やはり普段から名前で呼んで欲しいものだ」
和やかな団欒の雰囲気の中、一瞬生じた沈黙を破るようにとんでもない言葉が耳に届いた。
「なっ」
「えっ」
クロヴィス様!? と一瞬でかあっと顔が真っ赤に染まる。た、確かに二人きりの時以外は「旦那様」と呼んでいるのだけれど……って、さっきのは本当にクロヴィス様の声だった? 声を似せていてもその声音はとても愛らしいもので――
「んんっ、フィーナ? 今のはどういうつもりだ?」
咳払いをしたクロヴィス様が、彼の声真似をしたであろうフィーナを諌めている。
フィーナは、くふふっと可愛い笑い声を漏らしてから、真っ直ぐにクロヴィス様を見つめて答えた。
「おとうたまのこころのこえをだいべんいたちました!」
「ゴッホゴッホ!」
「ずぼしでしたか?」
盛大にむせ返るクロヴィス様に追い打ちをかけるように、フィーナは不敵な笑みを浮かべている。四歳児の表情ではないわね。
「お、お前……いや、間違ってはいないが……あっ! いや、その」
フィーナに呆れるやら感心するやらでポケッとしていると、クロヴィス様が真っ赤な顔をしてこちらを向いた。せっかく熱が引いていたというのに、伝染したように私の頬も再び熱くなっていく。
「え、えっと……いつもお名前でお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「~~っ、ま、まかせる」
お互い真っ赤に顔を染めながら、気恥ずかしさに目を逸らすと、フィーナが両手で顔を押さえて天井を仰いでいる様子が目に入った。
「フィー?」
目にゴミが入ったのかと心配になり呼びかけるも、
「ぐう、尊い……」
「とうと……え?」
また何やらおかしなことを言っている様子。
首を傾げる私に、話題を変えたいらしいクロヴィス様が露骨な咳払いをした。
「あー……フィーナ? もうすぐ五歳の誕生日だろう? 何か欲しいものはあるか?」
「はい! フィーは、おとうとかいもうとがほちいです!」
「げっほげっほ!」
「クロヴィス様!? 大丈夫ですか!?」
せっかく話題をかえたのに、とんでもないカウンターを食らったクロヴィス様がガタン、とテーブルに肘をついてしまった。
「あ、ああ……すまない。ごほん、フィーナ? その、なんだ。ぜ、善処はするが、他にも何か考えておきなさい」
「ぜんしょ! むふふ……わかりまちた!」
望む答えが得られたようで、フィーナは今日一番の笑顔を見せた。
ああ……やっぱりフィーナの笑顔には敵わないわ。
不器用ながらも優しい夫に、不可解な行動や大人びた言動をする愛らしい娘。
素敵な家族に恵まれた私は、本当に幸せ者なのだろう。つい最近までの悩みが馬鹿らしくなってくる。私は私らしく、家族を大切にすればいい。単純なことなのだ。
このあと、続々と運ばれてくる料理に舌鼓を打ち、私たちは再び三人手を繋いで街へと繰り出した。私は長く伸びる影を見ながら、今この時の幸せを噛み締めた。