150歳まで生きたい
犬のおなかの毛に埋もれながら考えました。
僕は自分にしか興味がない人間だ。
普段は他人を気遣うふりをしているくせに、家でいるとき、追い詰められたとき、自分本位な本性が現れる。他人を気遣うのだって他人からの”自分”の評価を気にしているに過ぎない。
中学生の時、自分に好意をもっていそうな女子に好きでもないのに告白をしたことがある。
恋愛をしてみたいと思った。
人を好きになるのはどんな気持ちだろうと思った。
1週間たらずで別れてしまったあの子に今は少し申し訳なく思う。
家で飼っているトイプードルが愛おしい。
愛くるしい瞳でこちらに甘えてくる犬を見て、もじゃもじゃの毛並みに顔をうずめると少し獣臭いラーメンのメンマのような匂いがする。
人を好きになるのも犬を好きなるのも同じようなものかも知れない。
もう10歳くらいになるうちの犬は、たぶん僕が生きているうちには死んでしまうんだろう。
犬が死んだとき僕は泣いて悲しむことができるだろうか。分からない。分からないけど、もし悲しめたなら、中学の時から人を好きになることに抱いていた罪悪感も少しは軽くなるのだろうか。
「人の幸せは後の世にどれだけのものを残せたかで決まる」誰かが言っていた気がする。もしかしたら勝手に僕が作った言葉かも。
例えば、人を好きになって子供を作ってその子を大切に育てたり、
例えば、形に残る芸術作品を作ったり、
例えば、後の人々に語り継がれる偉業を成し遂げたり、
22年間生きてきた中で何も僕は残せていない。
そもそも後の世なんて正直どうだっていい。
ただ、
自分が死ぬときに「幸せじゃなかったな」と後悔はしたくないから、自分の幸せの形はずっと考えていくつもりだ。
22年間生きてきてまだ何も掴めてないんだ。もっと沢山の時間考えないとダメそうだ。 だから僕は