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詩[思索]

ひび割れたジョハリの窓

作者: 日浦海里

時折自分を見失う


どんなことを考えていたのか

どんな言葉を書いていたのか

どんな事柄を描きたかったか

どんな(ともがら)が絡んでくれてたか


忘れてしまうのとは違って

分からなくなると言えばいいのか


一つ一つはそこにあるのに

一つ一つが繋がりを持たず

意味ある何かに変わらない


そうすると

自分自身がふわりとなって

解けて崩れてしまいそうになる


いくつもの文字や言葉や映像が

頭の中を駆け抜けてくけど

それは少しも留まることなく

文字通りに駆け抜けてくだけ


記憶や感情を揺さぶりながら

それが何かを認識できずに

ただ何かだけが残されていく


自分とは一体なんなのか

見えているものは本物か


そんな思考も形にならず

考えてるようで何も残らない


何かだけは残っているのに

それが何かも説明できない


分からないまま突然に

自分が『戻って』くる


でもそれは本当に自分なんだろうか

他人から見た自分が

自分であると認識されているから

きっとそれは自分なんだろう


そう思うけれど


他人の見てる自分が

自分の知る自分と同じであるか

それを知る自分が既にいないのなら

元の自分と今の自分が同じだとは

言えないんじゃないだろうか


今の自分は

何人目の、どんな自分なんだろうか

本作だけでは内容が分かりづらすぎるので

あとがきで補足を。


タイトルにあるジョハリの窓とは

他者とのコミュニケーションにおいて

自分をどれだけ公開し、隠しておくのか(隠しているのか)を明らかにしてコミュニケーションを円滑に進めるための自己分析ツールです。

(少し間違ってるかもしれませんが、大枠はそんな感じです)


自分の知る自分

自分も他人も知る自分

自分は気づいていない他人から見た自分

自分も他人も知らない自分


自分とは上記4つの領域に分かれていて

それら全てを合わせて自分が出来ている

というモデルです。


自己を見失うと

他人の知らない自分を知っているのは

自己を見失う前の自分だけになります。


自分も他人も気付いていない自分は

双方が気づいていないために

失われても「気付いていないから問題ない」と思えるかもしれませんが、それ自体が知られている自分の行動原理を成している場合、変わってしまえば自分らしさは失われているのかもしれません。


自己というのは、そんなあやふやなものの上にある

そう思って描いた作品です。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  心理学のようであり哲学のようにも感じました。  わたしたちは日々生きていく中で答えを演算し続けます。何度答えを出してもまだ満足せず、再演算を繰り返します。そうした中、他人からみた自分と…
[良い点]  本当の自分なんて自分にもわからないのであれば。  たとえ何人目の自分だとしても。それでもその時その時を問題なく生きられればそれでいい。  そう思いはしますし、誰かにはそう答えるとだろう…
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