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入生想談  作者: 上代朝哉
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 真琴と付き合うことになったと実鳴に告げると、案の定大号泣されてしまった。芳日町のツースターの店内だったが、そんなの関係なかった。実鳴は思いきり泣いた。お店の人も見に来たけれど、ケンカしているわけではないし、実鳴の嗚咽も和らいできた頃合いだったので退散してもらった。


 僕はもう一度「ごめん」と頭を下げる。実鳴の気持ちを察していたからこその謝罪だ。実鳴を選ばなかった場合、避けては通れない道。


 実鳴はハンカチで目元を拭いながら鼻を啜る。それから「終わっちゃった」と言う。「また一人だ、わたし」


「一人じゃないよ。ずっと友達でいるよ」と僕は応じる。


「でも統太くんは二度とわたしのものにならないよ?」


「…………」

 統太? あれ? 実鳴のやつ、誰かと僕を混同しているぞ?と思ったけど、統太って僕の名前じゃないか。統太……与時統太。やばい。こんなの、忘れるとかいうレベルではなくて、抜け落ちている。欠落じゃないか。


「統太くんだけが唯一わたしといっしょで、唯一わたしのことをわかってくれる人だったのに」


「それは違うよ」と僕は言う。「や、違わないのかもしれないけど……実鳴。魂の入れ替わりはたしかに特別で、不安で、心細い体験だと思うんだけど、だからって共に生きる人が必ずしも同じ体験者じゃなくたっていいんじゃない? 僕は、僕のことなんてなんにも知らない人達に囲まれて生活してるけど、その人達に隔たりは感じないよ? そりゃ、入れ替わったのに気付かれもしない斎川くんに対しては思うところもあるし、体を借りてて申し訳なくもあるけど、こうなってしまった以上、もうやってくしかないでしょ?」


「…………」


「それから、僕は実鳴のことなんてまだ全然わかってないよ? 僕が知ってることなんて、実鳴が入れ替わりの体験者だってことくらいだよ。何が言いたいかっていうと、入れ替わりなんてどうでもよくて、実鳴の本当の部分をちゃんと見て、それで実鳴を好きになってくれる人はいっぱいいるよってこと。だって実鳴、可愛いもん」


「もう……」と呻いて実鳴はまたしくしく泣く。「しばらくなんにも手につかないよ……」


「ごめん」

 今は僕の言葉なんて、ただの言い繕いにしか聞こえないだろう。でも落ち着いてからで構わないから、僕のこの思いが実鳴に届いてほしい。同じ入れ替わりを体験した事実っていうのは、運命的なんかではないのだ。それは同じ体験をしたってだけの話に過ぎなくて、運命的というのは、もっと別の、もしかしたらショボい規模かもしれないけれど、それでももっとお互いをどうしようもなく打ち震わせるはずのものなのだ。僕はそう思う。


 ツースターを出て実鳴と別れ、僕は芳日町の大通りを歩く。歩き慣れた道で、生まれてからずっと歩いている気さえする。いや、斎川くんに入り込んだ瞬間が僕の誕生日だったとするなら、生まれてからずっとという表現に間違いはなくなる。


 真琴は僕を斎川くんの別人格だと疑い、僕は否定したけれど、突き詰めると真偽はわからないのだ。なぜなら、僕が斎川くんに入り込む前の曖昧な記憶なんて、斎川くんの脳味噌が再現できる程度でしかないのだ。そして斎川くんの記憶を僕が少しも引き継いでいないのだって、斎川くんがそう望んだだけの話かもしれない。わからないのだ。すべてが。別人格かもしれないし、入れ替わりかもしれない。ひとつ言えることは、どうあったところで今の僕にはあまり関係がないということ。


 コンコン、と窓をノックする音が聞こえ、立ち止まって見遣るとハンバーガーショップ『イーディーバーガー』の通り側の座席に真琴がいて、ハンバーガーを食べながら僕を呼んでいる。


 僕は入店する。「おはよう」


「おはよ」真琴はハンバーガーを置く。「刺されなかった?」


「え? ああ……実鳴か」刺されてもおかしくなかったかもしれない。「うん。無事で」


「無事に別れられた?」


「もともと付き合ってないから」


「ふん」と真琴は可愛く鼻を鳴らす。実鳴とのことはけっこう真琴の嫉妬を買った、というか半ば怒りを買った。


「隣、座っていい?」


「彼女と別れたばっかりのクセに?」


 憎まれ口を叩いている真琴を無視して、僕は強引に座る。「別れたんだし、これで二股じゃなくなったでしょ?」


「最低~。ダメ男」


「真琴がいつまでもブーブー言うからだよ」


「からかってるだけじゃん」


「僕もだよ」


 真琴は肩をすくめ「なんか食べないの?」と訊いてくる。


「今はお腹いっぱい」食べる気にならない。「真琴が食べるの見てるね」


「えー」


「意外とハンバーガーとか食べるんだね」


「運動さえしてればハンバーガーなんてたいしたことないよ」と真琴は澄ます。「まあ別に好きでもないけど。樂斗を待ち伏せするためにここで時間潰してただけだから」


「ああ……待っててくれたんだ?」


「心配でしょ? もしかしたらそのまま二人で駆け落ちするかもしれないし」


「しないよ」今度は僕が肩をすくめる番だった。


 真琴には実鳴とツースターで話をするとだけ伝えていた。だから真琴が心配してイーディーバーガーで張っていたのはたぶん本当だ。駆け落ちするとまでは思っていないだろうけど。思われていたら、それはそれで悲しいし、問題だ。


 最近は樂斗と呼ばれている。真琴はけっきょく一度も僕の本名を呼ばなかったけれど、結果的には大正解だった。僕は本名の方をすぐに忘却してしまうし、もはや斎川樂斗が本名だとすら錯覚してしまうときがある。いや、嘘だ。ほとんど日常的に斎川樂斗が本名だと思い込んでいる。僕は斎川樂斗で……えっと、なんとかじゃない。だから真琴に樂斗と呼んでもらえると嬉しいし、それで自然なのだ。


 体にも心にも変化はない。新しい情報もないし、平和なものだった。ときどき、僕は自分が消えてしまうような恐怖感に囚われて叫び出したい衝動に駆られるが、そうなったら真琴に慰めてもらうしかない。真琴も僕が消える想像をして病んだりするが、その場合は僕が真琴を慰める。不思議なことに、二人いっぺんに病むことはない。だけど、僕が消える確率なんて、人が交通事故に遭う確率と同じようなもんじゃないか?とも思う。僕は突然消えるかもしれないけど、他の人だっていきなり死ぬのだ。何も変わらない。


 あらゆる点で、僕は他人と何も変わらない。


「僕ってけっきょく、なんなんだろうね」

 どうして芳日町の斎川樂斗くんの中にいるんだろう?


「なんでもいいんじゃない?」と病んでいないときの真琴は大雑把で気持ちいい。「自分がどうしてこの世に生まれてきて、なんで生きてるのかなんて、あたしだってわからないし。樂斗にだけ答えが簡単に与えられたら、ずるいでしょ」


「でも僕は、少なくともひとつはわかってるよ」


「なに」


「僕がここに来たのは、真琴に出会うため」


「痒い」と言われる。


 痒くていい。痒ければ掻けばいいし、手が届かなかったり、もしくは甘えたくなったんだったら、僕が代わりに掻いてあげる。

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