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入生想談  作者: 上代朝哉
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 真琴の主張を茜に伝えると、茜は勝手に行ってこいと観光地の情報だけをいろいろと教えてくれた。鷹座駅発の特急の時刻も確認して、僕は計画を進める。旅費は充分にあるのだが、でもそれは斎川くんのお小遣いで、僕としては非常に心苦しい。いつか僕が斎川くんとして稼いだお金は、返済分を貯金箱にでも入れておこう。斎川くんが戻ってくる気配は一向にないが、それでも僕はそういうのがまだ気になるのだ。


 とはいえ、再び入れ替わりが起きても、それはそれで困る。真琴、実鳴、茜……僕はこちらで親しい友人をたくさん作り、正直全然ここを離れたくない。仮にもとの体に戻ったとしても、僕はすぐさま芳日町へ舞い戻り、みんなと会おうとするだろう。だけど、この入れ替わりは当事者達の記憶を奪うんだろうか? だから僕だけでなく斎川くんの方も自分の故郷に戻れないでいるんじゃないか? だとしたら恐ろしい副作用だ。僕は二度と別の体へは移りたくない。


 そうなってくると、そもそも宇羽県への旅行自体が完全に無意味だ。無意味というか、逆効果だ。自ら、もとの自分に近づいてどうする。まあ宇羽県へ行ったからといって再び入れ替わりが起こるとも思えないけれど、でも何もしないよりかは危険性が増す気はする。


 無意味・逆効果であっても旅行自体は楽しいイベントなのでままならない。どうしたもんかなと思いつつも、夏休みのある日、僕は真琴と待ち合わせて、いっしょに芳日駅から鷹座駅へ行き、そこから特急に乗って宇羽を目指す。


 真琴は「焼けるから」ということで長袖の服だったし、スカートも丈の長いものだったけれど、それでも久々の私服姿はやっぱり眩しかった。でも僕はいつの間にか「綺麗だ」「可愛い」などとストレートには真琴を褒められなくなってしまっていた。最初の頃は恥じらいもなく口にできたのに。僕は成長していた。成長なのかは微妙だったが、とにかく心境に変化があるのは間違いなかった。


「伝説上の話だけど、宇羽県はあとから作られた場所らしいね」と真琴がスマホの画面を僕に見せる。「全国各地に設置された六体の地蔵が見聞きした物語をもとに、神様が宇羽県を創造した……って書いてある」


「宇羽県ってそんなに高尚なんだ?」僕は感心する。「田舎っていうイメージが強いけど」


「まあ伝説上の話だから。言ったもん勝ちなんじゃない?」


「そういうもんかなあ」


「ただ高尚なだけじゃないから」引き続きスマホを見せてくる真琴。「六体の地蔵は宇羽県が出来た際、見聞きした物語と引き換えに破壊されてしまった、だって」


「ふうん」

 要するに、神様はあらかじめ六体の地蔵を任意の土地に配置し、その土地のエネルギー……物語を吸収させ、最終的にその地蔵を壊してエネルギーを回収し、宇羽県の創造に当てた、ってことだ。生け贄みたいな感じで、あまり後味はよくない。


「この話聞いて、何かピンと来る?」


「来ないな」何も感じない。そもそも宇羽県に対しても僕の直感は発動しておらず、斎川くんや茜が読んでいた雑誌で頻りに紹介されていたから運命的な意味合いがありそうだとちょっと思っただけなのだ。「あの、真琴。今日は観光メインで、僕自身のことは後回しな感じで行くから」


 真琴は僕をしげしげと見てから「わかったよ」と頷く。


「楽しみ?」


「ん、楽しみにしてるよ」


「へえ」と僕はちょっと嬉しい。「楽しみにしてて」


「うん」


 真琴はいつもよりリラックスしているふうで、僕としては喜ばしい。学校で僕に近づかれるのは友人から冷やかしを受ける(もと)になるから嫌で、それで必要以上に不機嫌そうな雰囲気になっているだけなのかもしれない。


「家族にはなんて説明してきたの?」と僕は訊く。


「ん? 出掛けてくるって」


「それでいいの?」


「いいよ。ウチ、基本自由だから」


「そうなんだ」


「斎川くんちは?」


「僕もまあ、すぐに許可はもらえたよ。気をつけていってらっしゃいって」


「そか」


「たぶん僕、斎川くんよりも斎川くんのお母さん達と仲いいから」


「家族と仲いいのは、いいことだよ」


「うん」


「斎川くんは……ああ、今の斎川くんね? 斎川くんは、いい子だと思うよ」


「えっ?」


 僕が真琴をパッと見ると、真琴は「んー?」と小さく笑っている。「なに?」


「ううん、ありがとう」僕もお返しに言う。「真琴もいい子だよ? すぐムッとしたりプリプリしたりするけど、根はいい子だと思う」


「しないって」と言われる。「斎川くんが勝手にそう感じ取ってるだけでしょ? あたし怒ってないから」


「うーん」


「表情にあんま出ないからかも。だからいつも機嫌悪そうっては友達にも言われる」


「そうでしょ?」


「機嫌悪くないよ。ぼーっとしてるだけ」


「そうかなあ」


「今も楽しんでるし」


「ふうん」まあいいや。


「どこ連れてってくれるの?」


「釜沢のお城、お庭、それから時空美術館」


「ああ、いいねえ。そういうしっとりしてるの好きだよ」


「ホント!?」しかもしっとりって、茜いわく、まさしく僕じゃないか。


「本当」真琴は笑い、少しだけ僕の方に寄る。「SNSに写真載せてもいい?」


「もちろん」


「二人で自撮りする?」


「それ載せたら真琴が困るでしょ? 友達もみんな見てるんでしょ?真琴のSNS」


「見てたり見てなかったり」


「風景の写真だけ載せたら?」


「自撮り載せられたら恥ずかしい?」


「僕は別に。真琴が嫌がるんでしょ?そういうの」


「そうだね」と変な真琴。


「そういえば僕のこと、SNSを使って探るって言ってたでしょ? 何か動きあった?」


「なんにも。匿名掲示板の方はほぼ書き込みなし。SNSはメチャクチャバズったけど、有益な情報はナシ。上手くいかなかった」


「そっか」でもそれでいい。「ありがとう」


「どういたしまして」


 真琴が近くに寄るとものすごくいい匂いがする。香水みたいな強い香りじゃないから、シャンプーとかかな? とにかく鼻が幸せになり呼吸量も増える。そして横顔も綺麗。頬にかかってくる黒髪も綺麗。なんでモテないんだろう?と思うけど、そんなの思ってみただけで愛想が悪いからに決まっている。もったいない。


 宇羽県の釜沢駅で降り、そこからバスで十分とかからず釜沢城へアクセスできる。宇羽県に降り立っても僕には何もピンと来るものはなかったが、城と庭を続けさまに見学していると、時間と共に熾烈さを増す夏の日差しに押し負け、僕は具合が悪くなってくる。熱中症かもしれない。顔だけでなく衣服の内側も汗でびっしょりで、手先も震えてくる。僕は真琴に謝り、日陰になるベンチで休憩させてもらう。真琴は飲み物を買ってきてくれ、僕は少しずつそれを飲む。こまめに水分補給をおこなわなければいけないのは重々わかっていたはずだったが、真琴との観光に夢中になりすぎていつの間にか失念していた。


「救急車呼ぶ?」と訊かれる。


「いや、大丈夫」

 僕は断る。せっかくの旅行で救急車はないだろう。しかもまだ序盤で。最悪だ。


「無理しないの」


 真琴がバッグから躊躇なくスマホを出してきて連絡しようとするので、僕は慌ててその手を押さえる。僕は力が入らず、真琴の半身に寄りかかるようにして体重をかけてしまう。汗だらけの体で真琴に密着してしまい申し訳ない。だけどスマホだけは操作させない。救急車は呼ばせない。

「大丈夫だから。少し休ませて」


「何かあったら困るよ、あたし」


「休憩したら復活するから」


「心配してるから。わかってないと思うけど」


「わかってるよ。ありがとう」心配してくれている顔だ。わかる。「でもこんなところでおしまいにしたくない。楽しみにしてたのに」


「また来ればいい」


「もう来れないでしょ」


「なんで? 何度だって来れるでしょ」


「そんなに何回も誘えない。悪いし」


「別にいいよ。何度誘ったって」


「嫌だ」僕は譲らない。「今日を成功させるんだ。絶対に救急車は呼ばないで」


「頑固すぎ」真琴はあからさまにため息をつき「救急車呼ばないから黙って休憩して」とあきらめる。「そのまま、体預けてていいから」


「うん……」僕は安心してさらに脱力し、真琴の体にめり込みそうなぐらい傾いてしまう。傾いて、重力に負けて潰れて溶けてしまいそうだ。「ごめんね、真琴」


「ううん」


「こんなの、イチャイチャしてるみたいに、見えるかも。周りからは」


「いいよ。どうせ旅行先だし」真琴が僕の手をそっと握る。「早く寝なさい」


「もったいない」と僕は譫言を漏らす。「真琴がこんなに近くにいてくれてるのに……」


「治ったら続きすればいいから。静かに寝てて」


 僕は眠るというよりも意識を失う。だけどその延長で、現実の地続きであるかのように夢を見る。僕は体育館ほどのサイズの巨大なスライムになっていて、その半液体半固体の体であらゆるものを押し潰す。僕に乗っかられたものは、僕の重みでぺしゃんこになり、それから僕に侵食されて跡形もなくなる。僕はそんなことしたくもないが、家々を次々に圧縮し、そして逃げ惑う人間をも手にかける。友達も潰し、茜も真っ平らにし、この世から消す。実鳴も逃がさない。実鳴は僕に殺されて本望だろう。スライムの体で覆い被さると、笑いながら死ぬ。僕はスライム。だけどこのスライムの体は全然僕の意思通りには動かないし、濁流のようにとりとめなくすべてを壊していく。僕はスライムでありながらも、スライムに縛りつけられた無力な意識だ。コントロールが利かない。とうとう僕は自分自身を見つけ、襲いかかる。いや、何を言っているんだ。あれは僕じゃなくて斎川樂斗くんだ。いつの間に僕は斎川くんを僕と見なすようになったんだ。おこがましい。僕は自分の姿を忘却し、斎川くんを自分にしてしまおうとしていた。斎川くんの私物にはできるだけ手をつけないなどと言っておきながら。あんなのはただのポーズだったのだ。アピールだったのだ。愚かしい。でももういい。斎川くんは今、この場で消去する。これで僕こそが唯一無二の斎川樂斗だ。僕のスライムボディが斎川くんを潰す直前、稲妻のような影が走り込んできて、斎川くんを突き飛ばす。斎川くんが僕の攻撃範囲から外れる。斎川くんを庇って、代わりに僕の真下に現れたのは、真琴だ。なんで? どうして真琴は斎川くんなんかを庇うんだ? 斎川くんより僕の方がいいと言ってくれていたのに、なんで僕より下の斎川くんを助けるんだ? 真琴は僕の味方だと思っていたのに。真琴だけはずっと僕の味方でいてくれると信じていたのに。僕は失望に任せて何もかもを殺し尽くす。どうなったっていいと思うと気が楽だし、プチプチ潰して消していくのも快感があっていい。死ね死ね死ね死ね死ね。斎川くんだけが逃げ隠れてしまい不満だが、いずれ必ず圧死させてやる。なぜなら僕はどんどんと巨大化しており、いずれ斎川くんの逃走速度を上回って攻撃できるようになる自信があるからだ。斎川くんがどこへどんなスピードで逃げようが、僕が地面で寝返りを打てば確実に始末できる。さあ、楽しみだぞ?


 僕は泣きながら目を覚まし、体を起こす。


 真琴がビクッとなる。「うわ、もう起きた?」


「……おはよ」


「全然寝てないじゃん。寝てなって」


「いや」僕は立ち上がる。「体はもう平気だよ」


 跳び跳ねる僕を見て、真琴は呆然としている。

「十秒ぐらいしか寝てないじゃん」


「え、十秒しか経ってないの?」

 もっと長く寝た感覚がある。見ていた夢も延々と続いていたような気がする。


「痩せ我慢してない?」


「してないしてない」

 さらに跳び跳ねて見せる。何事もなかったかのように体は快調なのだ。


「ええ……?」


「行こう」

 でも僕は、今度は悪夢を思い出してまた泣いてしまう。思い出すというか、内容自体はもうさっぱり忘れてしまったのだが、恐ろしかった感覚の記憶だけがあり、それを思うと涙が零れてしまう。


「うわあ、情緒不安定。大丈夫?」


「大丈夫」と強がりながらも涙は止まらない。「怖い夢見た」


「はあ」と真琴はため息をつくが、面倒臭いというよりはしょうがないなあといった感じで、少し笑う。両手を広げる。「来る? いいよ」


「いや、恥ずかしいよ」観光客がいっぱいいる。


「あっそ」


「あとで、もしよければ」


「ダメだよ。今だけに決まってるじゃん」


「だよねえ……」


 真琴もベンチから立ち上がる。

「元気になったなら行こっか。その代わり、もう一本スポーツドリンク飲んで。買ってあげるから。わかった?」


「自分で買うよ」


「いいからいいから」

 真琴は僕の腕に自分の腕を回し、腕を組んで僕を自販機の方へ引っ張る。僕の涙もどっか行く。


 スポーツドリンクを買ってもらい、それを飲まされながら改めて庭を歩く。腕は組まれたままだ。


 手入れされた木と池が織り成す景色を眺めながら、僕は告げる。「真琴のこと、好きなんだ」


 真琴は前方を眺めたまま、僕の方は見ずに「あーあ」と言う。「あたしなんかが好きなの?」


「うん」


「動地さんは?」


「…………」実鳴のことは大好きだった気がする。実鳴は素直で可愛らしくて、僕のこともわかりやすく好いてくれる。僕だって実鳴のことだけを好きでいられたらどんなにいいだろうと思うのだが、簡単にはいかない。実鳴は可愛いし好きなんだけど、その『好き』は今僕が真琴に伝えているものとは別種だと感じる。真琴は綺麗だけど何を考えているかイマイチわからなくてときどき恐かったりもするけれど、でも好きなのだ。この【好き】は僕が言葉にして伝えなければと思う好きなのだ。言葉にして伝えたい好きなのだ。愛されるより愛したいとかではない。「真琴が好きなの」


「ふうん」


「それだけ言いたかっただけなんだけど」


 真琴は目線を変えずに「あたしも好きだよ」と言う。「斎川くんのこと」


「え」


「なに? あっさりしすぎ?」


「斎川くんって、どっちの?」


 腕を組まれたまま、軽く体当たりされる。

「斎川くんはあなたでしょ?」


「僕は」

 あれ? 僕の名前は……そうそう! 与時統太だ。危ない。すんなり出てこなかった。これが記憶の薄らぎなのか……? すんなり出てこなかったせいで名乗り損ねる。


「好きだよ。で、どうするの?」


 どうする?「つ、付き合う……?」


 真琴はちょっと笑い「付き合いたい?」と訊いてくる。


「も、もちろん」


「付き合ったら何したいの?」


「またこういうとこを旅行とか。できたら」


「ひとつ約束して」真琴がようやく僕と目を合わせる。「どこも行かないでよ? 絶対に」


「あっ」それは実鳴も言っていた……。「もとの自分の体に戻るなってことだよね?」


「それも当然だし、さらに別の人の体に移るのもダメってこと」


「わかった」と僕は即答する。


「できる?」


「うん」

 努力はする。強い気持ちでいる。弱音なんて吐いてもけっきょく意味ないし、僕には頷くしか選択肢がないのだ。


「ずっとそこにいてね? 前の斎川くんに戻られたら、あたし無理だから」


「うん……」そうか。僕は気付く。真琴に告白するということは、斎川くんに二度と体を返さないという意思を固めることとほぼ同じなのだ。この体で大切なものを作ったとき、その瞬間から、僕はここを離れることが許されなくなってしまうのだ。だから真琴は『あーあ』と言ったのか? 「不安?」


「超不安」と真琴は正直だ。「だから斎川くんのことは好きになりたくなかったなあ」


「ごめん」


「責任取ってね」


「うん」


「じゃ行こ」本当に不安なのかどうなのか、真琴はスッと切り替えて観光を再開する。「初デートになったね」


「……真琴が僕のこと、その、好きでいてくれてたなんて思わなかったんだけど」


「は? じゃあ告白してフラれるつもりでいたの? そしたら旅行はどうなってたの?」


「ああ……わかんない」


「ぷ」と吹き出される。「なんにも考えてないんだね!」


「ごめん。すいません」


「そこが可愛いんだけど。ほら、行くよ」


「う、うん」


「二人きりで旅行に来てる時点で、察して」


「あ、うん。勉強になります」


「そこはもう勉強しなくていいけど」


 で、僕と真琴は庭を最後まで見て周り、近くのごはん屋さんで昼食を摂り、次いで時空美術館に向かう。美術館はイベントなどもやっておらず、常設展示のみでお客さんは少なかったけれど、真琴にとってはその方が嬉しいようだった。しっとり好き。


 それからファッションビルなんかで買い物をして、そろそろ釜沢駅まで戻ろうかというとき、真琴が言う。「泊まる?」


「いいの?」


「いいよ」


 とはいっても夏休みなのでリーズナブルなホテルはどこも空いていなくて、とてつもなく汚いビジネスホテルでなんとか一部屋だけ借りることができた。比較的新しい、綺麗な建物に左右を挟まれたその細いビジネスホテルは両側からの圧力で磨り潰されそうなほど古びていた。


 コンビニで夕食を買ってきて、食べ、シャワーを浴び、寝る。真琴はSNSの更新とかをやっていたが、僕は疲れが溜まっていたからか、いつの間にか寝落ちてしまう。


 また怖い夢を見る。今度はみんながスライムだった。でも、巨大なスライムじゃない。みんな等身大なのだが、頭が透けていて、なんだなんだと目を凝らすと、そこからだんだん溶けてきて、パシャッと弾けて地面に散らばってしまう。茜が「よかったな、樂斗。河口さんと付き合えて。俺も誰かと付き合いたかったー」と苦笑しながら弾けて消える。友人達も溶け消える。僕はみんなが消えてしまうのを見たくなくて走って逃げるが、みんなはいつの間にか傍らに立っていて、僕に見せつけながらパシャッと弾ける。僕は泣きながら走る。目も閉じる。しかし目を閉じていてもなぜか見えていて、とうとう僕の前に真琴が現れる。真琴は「あーあ。いなくならないでって言ったのに。やっぱり嘘つきだね、斎川くんは。あたし、嘘つきは嫌いなんだ」と言って、透明な頭部を破裂させて消える。真琴が消えた跡から、サイケデリックな文房具みたいなものがたくさん溢れ出てきて、こんもり山となり、真琴の墓になる。


 僕は「ああっ!」と叫んで目を覚ます。声を上げながら起きるだなんて初めての経験だ。


 真琴が隣に寝転がっているけど眠ってはおらず、僕を見ている。「うなされてた。大丈夫?」


 鼓動が鋭くて速い。「びっくりした……」


「また怖い夢見た?」


「見た……」でも相変わらず内容は思い出せない。ただ、悪夢のたびに真琴を失っている気になる。「はあ……つらい」


「起こそうかと思ったけど、うなされてる人を起こすのってよくないんでしょ?」


「……寝言に返事するのはよくないって聞いたけど」


「あー、それかな? ごっちゃになってたかも」真琴は少し笑う。「起こせばよかったね」


「ううん」僕は改めて体を横たえる。「真琴の笑ってる顔見たから元気になったよ」


「うー、痒い」と真琴は苦笑する。「よくそんな台詞言えるね。恥ずかしくない?」


「恥ずかしくないよ」


「そうなんだ」


「好きな人にしか言えないけどね」


「それも痒い」と言われるけど、僕は真琴がストレートに指摘してくれてなんだか楽しい。


 好きなんだな、という実感が湧いてきて「好きだよ」とそのまま伝える。


 真琴は返さず、「こっち来る?」と誘ってくる。「今だけだよ」


 僕は台詞とかよりもそっちの方が恥ずかしくてまごまごしてしまうのだが、真琴が腕を伸ばしてポンポンと体をさすってくれると気持ちよくなり、自然と真琴の方へ転がっていけるようになる。


「恥ずかしくないの?」


 僕が訊くと「恥ずかしいよ」と返ってくる。「でも、せっかくじゃん?」


「せっかくって」


「旅行だし、好きなんだし」


「うん……」

 僕は痒くはならないけれど、居心地が悪くなる。


「このあとどうする?」


「このあと? 寝て、明日になったらまた行きたいとこ二人で決めよう」


「そうじゃなくって」と言われる。「こうしてくっついて寝てるだけでいいの?」


「…………」


「斎川くんって何歳?」


「……何歳なんだろうね」


「最初は子供なのかなと思ったんだよね。子供が斎川くんの脳味噌使って喋ってるのかなって。でも途中から、あれ?やっぱ年上かな?って思ったんだけど、やっぱ年上じゃないよね? けっきょく年下っぽいよね」


「わからない。なんとも言えない」

 斎川くんの脳味噌を使う……か。僕の思考は斎川くんの影響を受けているんだろうか? もともとの僕を僕は鮮明に思い出すことができないので、客観的に比較しようがない。だけど茜は僕を斎川くんっぽくないと見ているようだったし、僕は僕であって斎川くんとは混じっていない。そう思いたい。


「で、斎川くんはこのまま朝を迎えてもいいの?」


「……わからない」


「わからないばっかだね」


「そういうのは二人で考えるものだから」


「斎川くんはどうしたい?」


「真琴の嫌がることはしたくないよ」


「そう言うってことは、知識はあるんだね。やっぱり大人なのかな?斎川くんは。……ねえ、斎川くんは誰かと付き合ってた?」


「付き合ってないと思うよ」


「そこは『わからない』じゃないんだ?」


「あんまりそういう記憶がないっていうか……他の曖昧な記憶に関しては、思い出そうとするときに迷いが生まれるんだよね。例えば年齢の場合、僕はもともと子供だった気もするし大人だった気もする。どっちかわかんないし、どっちもありえそう。でも恋愛経験の場合、迷わないんだ。はっきりと、ない!って思える。悲しいことに」


「悲しくないよ」と真琴が微笑む。「取っといてくれたんでしょ?あたしのために」


「…………」


 僕がぼんやりすると、真琴が「ぷっふー」と吹き出す。「今のは痒かったね! ごめん! 斎川くんといるとあたしまでおかしくなる」


「いや、はは。全然! 真琴が笑ってくれて僕嬉しいよ」


 心を許してくれている真琴は可愛らしくて、二人で笑っていると僕は幸せだ。僕は真琴が大好きで、正直、真琴のことは今夜全部もらいたいくらいだ。でも付き合ったばかりだし、そういう気持ちははしたないとも思える。だけど二人が思い合っているなら別に付き合った日数なんて関係ないんじゃないかとも思えるのは、ただ単に僕の感情が高ぶっていて言い訳が欲しいだけなんだろうか?


 真琴が笑いながら言う。「可笑しいし、気分も高揚してるし、大胆になってる」自分の状態を説明する。「でも、だからこそあとで後悔するかも。けど、このまま何もせずに寝ても後悔するかも。わかんない。判断できない。斎川くんが決めて」


「ええ……そんな大事なこと、僕一人じゃ決めれないよ」


「決めていいんだよ? あたしが決めてって言ったら、斎川くんは自由に決めていいんだよ。だって斎川くんはあたしの彼氏だし、彼氏の決めたことならあたしは後悔しないよ」


 僕は真琴の彼氏なのだった。その言葉の重量に、僕は改めて気が引き締まる。体の下のベッドが少し沈んだ気がした。

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