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入生想談  作者: 上代朝哉
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 昼休みは第二体育館の軒下だったり、雨が降っていたら体育館のギャラリーだったりで実鳴とごはんを食べる。実鳴は僕の分のお弁当も作ってきてくれるので、僕は斎川お母さんに言って弁当を取り止めてもらっている。斎川お母さんは僕に弁当を作ってくれる女の子ができて嬉しそうだったが、僕は複雑な気分だ。斎川お母さんのことも人として好きなんだけれども、それもまた複雑。とにかく僕が斎川樂斗じゃなくて与時統太だってことで、いろんな面でなんともいえない気分にさせられてしまう。そういう点では、実鳴といっしょだと落ち着く。実鳴は僕の現状を把握しているし、自分も同じ境遇なので理解も正確だ。


「毎日すごいね」と僕は実鳴のお弁当を眺めつつ言う。「全部自分で作ってくるの?」


「最初はお母さんに教えてもらってたけど、今は全部自分だよ」と実鳴は少し得意そうに微笑む。


「お母さん……」


「あ、動地実鳴のお母さんね?」


「うん。お母さんと仲良くやれてる?」


「まあねえ。最初は嫌だったけど、だんだんと。お弁当作りも教えてもらったし……仲いいよ」


「そっか。じゃあよかった」


「統太くんは? まだこっち来たばっかりだし、慣れてないよね」


「そうだね。知らない家族の中に僕が単身で入り込んでるわけだし、違和感はあるよね。でも、斎川家の人達はみんないい人だよ」


「じゃあ、統太くんもよかったね」実鳴はお弁当を僕に向けてくる。「食べてね?」


「いただきます」手を合わせて食べ始める。


「統太くん、どこも行かないでね」


「どこもって?」


「ここからいなくならないでねってこと」


 もとの体に戻るなってことか。「まあ、そればっかりは僕の意思じゃどうしようもできないし。斎川くんに入ったときも、ホントに何の予兆もなかった気がするから」


「統太くんの体だったときのこと、まだ覚えてる?」


「はは。実はあんまり」

 記憶が薄らいでいるわけではなく、最初からぼんやりだったのだ、僕は。


「どこも行かないで」


「行かないよ」と僕は確約できないがそう言っておく。「帰るときは、実鳴も連れてってあげる」


「……わたしって、もとの体のときにも統太くんの傍にいたのかな?」


「わからないけど……でも僕は実鳴の名前に間違いなく反応したんだよ」


「でも以前のわたしは、動地実鳴じゃないはずだよ?」


「そうなんだよね……」

 不思議だ。辻褄が合わないというか、捻れている。


「でも、統太くんの第六感がそういう次元を超えてわたしを見つけてくれたのかも」と実鳴はポジティブだ。「ただ、統太くんがわたしを見つけ出してくれただけなんだよ。それ以外の意味とか理由なんてないんだよ。きっとそう」


「ふふ。実鳴は前向きでいいよね」

 いい子なんだろうと思う。


「統太くんに会えたからだよ? わたしは自分の境遇をずっと嘆いてたし、こんな、知らない土地の知らない人達となんか絶対に仲良くなれないと思ってたけど、統太くんに会えたから全部どうでもよくなっちゃった。このためにわたしはここに来たんだったら、それで全然構わないよ」


「そっか。実鳴を励ませたならよかったよ」


「励ますどころじゃないよ。……あ」実鳴が僕の顔辺りに手を差し伸べる。「ごはん粒ついてるよ?」


「あ、ごめん」


 実鳴は僕の口元からごはん粒を回収し、自分で食べる。あ、これが漫画とかでよくあるやつだ、と思う。その漫画を僕は具体的に思い出せないし、読んだかどうかも定かじゃないが、でもなんとなくわかる。漫画でよくあるやつだ。


 実鳴は僕の頬に自主的にごはん粒をくっつけてきて「またついてるよ」と言いながら、今度は唇でそれを取る。チュウされた。いや、頬についたごはん粒を唇で取り除いただけか。いやいや、そんなのチュウといっしょだ。


 実鳴が今度は僕の唇にごはん粒をつけてくる。あ、あ、あ、これから何をされるのかすぐにわかるけど、僕は微動だにできない。固まっていると、実鳴が僕の唇のごはん粒を食べ、そのままそこで唇をもぞもぞさせる。唇同士が長時間触れ合う。


「うう」と僕が呻くと、ようやく実鳴は顔を離す。


「ごめん。嫌だった?」と実鳴は言うが、表情はイタズラっぽくて、紅潮している。


「嫌じゃないけど……」

 でも付き合ってないのに、と僕は思う。付き合ってないのにキスされてしまった。けれど、僕の……というか斎川くんの体中の毛穴は開ききり、実鳴のキスに喜び狂っている。この斎川くんの肉体的な喜びは、僕の精神的な喜びを反映しているんだろうか? そんなの当たり前か。斎川くんの体で勝手気ままに生活しているクセに、こんなときだけ斎川くんに責任を押しつけようとするのはよくない。


「ごはん、口移ししてあげる」

 実鳴はとても積極的で、そんなふうに言われただけで僕は心身ともに打ち崩れてしまいそうになる。


 実鳴のことばかり考えてしまう。それは実鳴が魅力的だからか、実鳴にチュウされてしまったからかはわからないが、とにかく頭が実鳴でいっぱいになる。たぶん実鳴の方は僕のことが好きだ。たぶんっていうか、あんなことをしておいて好きじゃないはずがない。でも僕は実鳴が好きになるだけのことを何もしてあげていないような気がして、なんとも居心地が悪い。境遇が同じというだけだ。それなら相談はし合えるけれど、それだけで、別にそれが理由で好きになることなんてありえない。


 七月になり、夏休みが近づいてきて、僕ははたと気付く。真琴と全然話していない。まあ話しかけても嫌がられるし、取り立てて話すこともないのだが。僕自身に関する進展も特にないし。僕はいつの間にか斎川くんとして生活することに慣れてしまい、それより外側のことなんかどうでもよくなってしまっていた。ときどき真琴と目が合うが、なんだか気まずくて僕はすぐに見えてないフリをして顔を背けてしまう。


 茜が休み時間に雑誌を読んでいる。


「なに見てるの?」と僕も背後から覗く。


「夏休みのオススメ観光地特集だよ。いっしょにどっか行くか?」


「え、子供だけで?」


「親がいたらつまんねえだろ」と茜は強気に笑む。「俺達だけでも楽勝だよ」


「へえ……面白そうだけど」


「河口さんも誘えよ」


「え、無理だよ。いいよ」


「最近仲良くなくねえ?」


「だから言ってるでしょ? 別に仲良くないんだって。真琴はどっちかっていうと僕から話しかけられたくないんだから」


「そりゃ河口さんがそうなんだとしても、お前はどうなんだよ? ホントは話したいんじゃねえの?」


「僕だけが話したいと思ってても仕方ないし」


「でもそんなもん、河口さんの方だってわかんねえじゃんか。お前と喋りたいと思ってるかも」


「ないない。……もう、茜は面白がってるだけじゃん。僕と真琴を無理矢理セットにしようとしないでよ」


「いいのかねえ。夏休みに入ったら顔も見れなくなるぞ? そしたら終わりだぞ」


「……終わりって?」


「いや、新学期になってももう以前のように仲良くできないと思うけどな、俺は。だって一ヶ月以上も顔も見ず、音信不通なんだからよ。そんなの気持ちも冷めるだろ」


「気持ちって……最初からないよ」

 それに僕には実鳴がいるんだ……と反射のように思うが、自分で自分にドキッとする。こんなタイミングで実鳴を引っ張り出してきて盾のように使って、僕はどういうつもりでいるんだろう? 実鳴が好きなんだったら好きで、そもそも真琴と比較なんてしなくていい。真琴の話の最中に実鳴を差し込む必要もない。僕は真琴をどう思っているんだろう?


 僕の思考を無視して、茜が雑誌のとあるページを指す。「ここは特にイチオシらしいぜ」


 宇羽県。僕は思い出す。そういえば、斎川くんの部屋にあった雑誌も宇羽県をピックアップしていた。あの雑誌はまだテーブルの上で開かれたままになっているのだが……なんなんだ? 宇羽県に何かあるんだろうか?


「宇羽県かあ」

 口に出してみてもピンとは来ない。だけど何かを感じないこともない。いや、僕も斎川くんとしての自分に慣れすぎており、もうセンサーなんてあってないもののような気もするけれど。


「行きたいか?」


「茜は?」


「河口さんも呼ぶなら、手配してやってもいいぞ?」


「なんで茜はそうやって僕と真琴をひとまとめにしようとするんだよ……」


「だって、もったいねえじゃん」


「何がさ」


「お前の気持ちがだよ」


「どういうことだよ」


「いいから河口さん誘え。わかったな? 誘ったら連絡しろ」


「いいけど、来ないよ?たぶん」


 その日の部活後、たまたま真琴がまだ残っていたので声をかける。たまたま? わからない。茜が何か仕組んでいるような気もしないじゃないけど、僕は一応茜との約束を果たす意思を見せる。


 真琴は億劫そうに「久しぶり」と言う。「斎川くんとの会話の仕方、もう忘れたかも」


「う、ごめん」


「いや、単にあたしが忘れただけだから。謝らなくていい。責めてないし」


「あのー……元気?」


「元気だよ」


「よかった」

 二週間ほど話していないだけなのだが、なんかぎこちない。いや、二週間だとそこそこ長いか? 半月口を利いていないことになる。


「何か変わりある?」と真琴が訊いてくる。


「僕のこと? ないよ」


「斎川くんが戻ってくることもなさそうだね」


「ごめん……」


「あ」と真琴が珍しく少し大きな声を上げる。「変な意味じゃないよ?」


「あ、うん」


「あたしはあなたの方がいいから。どっちかというと」


「そんな言い方、斎川くんが可哀想じゃない?」


「え、そっち……?」真琴はしばらくうつむいて、「あたしは斎川くんとほぼほぼ交流なかったし。あなたとしか交流してない。あなたの方がいいなんて、当たり前じゃない?」と早口で言う。


「うん」


「……なんか元気ないね」


「そう? 別に」なんで元気がないのか、我ながら意味不明だ。


「ちょっと落ち着いたからじゃない?」と真琴。「状況が固まってきたから、安心して気が抜けたんじゃない?」


「そうかな」


「最初はエネルギッシュだったしね」


「そうかも」いっぱいいっぱいだったからなあ。


 どん、と肘で小突かれる。「もうわざわざあたしに話しかけなくてもいいよ。もうあたしのお役も御免でしょ?」


「…………」そうじゃない。そうじゃないんだ。別に真琴が高校生活を営む上で便利だから話しかけていたわけじゃない。正直、サポートという点においては悪いけどそもそもそんなに役に立ってないし。「……宇羽県」


「ん?」


「宇羽県に何かあるかもしれないんだ。僕に関係する何かが」


「ふうん。何か? 漠然としてるね」


「だから夏休みに宇羽県へ行きたい」僕はじっと真琴の目を見る。「いっしょに行かない?」


「……二人で?」


「茜も来るかも」


「櫻田くんが来ないんだったら行ってもいいよ」


「え、僕と二人の方がいいの?」


「ていうか、櫻田くんがいる方が嫌だよ。喋ったことないし」


「わかった」

 とりあえず了解して見せておく。茜にはあとで相談する。


「……あたしでいいの?」


「えっと……」いいのか? 茜に言われて誘ったはいいものの、断られるだろうと高を括っていたから、いざ実現するとなるとおののいてしまう。鷹座から宇羽まで電車で二時間ちょっと。そのあとはバスやタクシーで移動になるんだろうか? そんな長時間、話すネタある? 不安。「……楽しくなさそうだと思うんなら来なくていいよ」


「なに?それ」


「別に僕関連の件だからって無理矢理真琴を誘ってるわけじゃないから。楽しく感じないようだったら断ってくれていいって言ったんだ」


 僕が真琴をさらにじっと見ると、真琴は目を逸らす。でも負けじと返してくる。「楽しませてくれるんでしょ?斎川くんが」


「ええ……?」ずるい返し。「も、もちろんだよ? 真琴が楽しむつもりで来てくれるんだったらの話だけどね」


 でも僕は真琴が何かを心から楽しむ姿なんて想像できない。真琴はいつも気だるそうだし、どこかつまらなさそう。


 しかし「いいよ」と真琴は頷く。


「じゃあ約束して」僕は小指を差し出す。


「何を」


「旅行中はプリプリしないって」


「プリプリなんて、いつもしてないでしょ?あたし」真琴がようやく少し笑う。「もういいよ。帰ろ?」


 指切りはしなかったけれど、真琴はプリプリしないらしいので僕はそれで満足する。

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