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日曜日も月曜日の朝も僕は変わらず斎川くんの中にいて、ついに登校しなければいけなくなってしまった。時間割りを眺めながら教科書やノートを準備する。高校二年生の授業内容をあらかじめ確認したんだけど、なんとなくわかるようなわからないような……といった具合だった。まったくのちんぷんかんぷんではない以上、僕は以前に高二レベルの勉強を済ませてしまっている可能性もある。あるいは、教科書を読んでただ理解している気になっただけなのかもしれない。まあ勉強のことはおいおいでいい。まずは高校生活内における人間関係だ。そこに細心の注意を払いつつ、僕自身の『斎川樂斗』としての安定化を図りたい。
などと思いながらも、初登校を果たした僕は、二年五組の教室へ入るなり真琴に真っ先に「おはよう」と挨拶してしまい、廊下に連れ出されて怒られる。
「話しかけてこないでって言ったじゃん」
僕は「え」と衝撃を受ける。「挨拶もダメなの?」
「斎川くんはあたしに挨拶しないから」
「あ、ああ……」僕は真琴に挨拶したいけど、『斎川樂斗』は真琴と仲良くないから間違っても挨拶なんてしないということか。「たしかに、真琴の友達も驚いてたね」
僕が暢気に笑うと「驚いてたねじゃないよ」と真琴は珍しく声を張るが、すぐにうなだれて「恥ずかしいから話しかけないで」と注意してくる。
「わかった。ごめん」
「うん。いいけど」
「今日から頑張るよ」と僕は切り替える。「何かあったら、お願いね」
「あたしにできることならね」真琴は僕と目を合わせて「ん」と頷くと、僕を置いて先に教室へ戻っていく。
僕も時間差をつけて教室に入ると、櫻田茜くんに捕まる。
「おはよ、樂斗。お前、河口さんとなんかあったのか?」
「あ、いや、何もないよ」
クラスメイトの顔と名前は真琴のSNSで予習をしているから、全員バッチリとまではいかないが、斎川くんに親しい生徒ならかろうじて押さえられているはずだ。真琴のおかげで助かった……はずなんだけれど、その真琴に挨拶をしたせいで僕は詰め寄られてしまっている。真琴が嫌がっていたのは、要するにこういう展開か。
「何もなかったら廊下でこそこそ話さないだろ。隠そうとしてるってことはもう、あれしかないな?」
「あれ……?」
「付き合いだしたか?」
「い、いや、ないよ」
「土日の間に何かが起こったな?」
鋭い。いや、そんなのバレバレか。「何もないよ……」
「それにしても河口さんとは、渋いとこ行ったな。樂斗。なかなか見る目あるんじゃねえの?」
「渋いってなんだよ?」僕は反射的に言ってしまう。「真琴は綺麗でしょ?」
茜はポカンとなる。それからニンマリする。「あっあー。わかったわかった。もういいよ。察したわ」
「や、ち、違うって」
「渋いって、別に悪口じゃねえだろ。俺も真琴ちゃんのことは綺麗だと思うよ」
「からかうなよー」
「ただ、クールビューティ感あるからさ? 近づきがたいっていうか、向こうも俺らのことなんてガキ臭く思ってるんじゃねえかな?って、俺は思ってたから」
「ふうむ」
まあ、そんなイメージかな?と僕も思う。気だるそうというか、いろいろ面倒臭いと思っていそうというか、そういうアンニュイさは感じるかもしれない。
「でもそんな河口さんを、まさか樂斗が射止めるとはな。今夜はパーティだ」
「射止めてないよ」ようやく友達になったという程度だ。しかも、挨拶すら禁じられた仲だ。「本当に。なんでもないんだ」
「ふうん? ま、お前がそういうスタンスなら別に口出ししねえけどよ。っていうかお前、なんかキャラ変わったな?」
「ぶ!?」今更そこ? 一難去ってまた一難とはこのことか。
「なんか、しっとりしてねえ?」
「しっとりってなんだよ」けどやはり、斎川くんらしくないということだよな? 僕はイメージ上の斎川くんをなぞる。「してねーよ!しっとりなんて!」
「ははは」と笑われる。「大丈夫か? なんか可愛らしいぞ?お前」
「ええ……」
「まあいいけど。あ、河口さんこっち見てる。あ、目ぇ逸らした」茜は楽しそうだ。「やっぱあっちも気にしてるねえ、お前のこと」
「うーん」真琴の場合、僕が余計なことを口走らないか警戒しているだけだと思う。
まあ、いかに親友の櫻田茜といえど、まさか斎川くんに別の人間が入り込んでいるとは勘付けないようだった。さすがにありえなさすぎて、勘付く勘付かない以前の話だよな。想像力すら及ばないというか。漫画の世界ではありふれているが、十六年間普通に生きてきて、それが急に自身の身の回りで起こるだなんて夢にも思うまい。僕だってそんなのチラリとも考えたことなかった。だけど、起こるときはあっさりとしたもんだった。あっさりとしすぎていて、日常の延長線上のノリみたいで、劇的でもなんでもなかった。こうすればもとに戻れる!みたいな目標とかも存在しない。ただ僕が斎川くんに入り込んでしまっただけ。そして斎川くんの魂の方は無事なんだろうか? もともとの僕の体の中に斎川くんがいるかもしれないと真琴は予測したが、二日経っても斎川くんが芳日町に帰還する気配はない。やはり僕と同様に記憶が混濁しているんだろうか?
記憶に関して、ひとつ気になることがある。僕はそれを真琴に確認したくて真琴が一人になる瞬間を狙い済ましているのだが、真琴はなかなか一人にならない。トイレにもあまり行かないし、行っても友達といっしょだったりする。しかし昼休み、僕が単独でトイレへ向かった際に、逆に真琴から接触してくる。
自分から接触してきたのに「なに?」と問うてくる。
「えっ」一言目がそれ?
「ずっとあたしのこと見てるでしょ?」
「いや……え、でも僕、真琴とは目が合ってないんだけど?」
「友達があなたのことずっと監視してるんだよ」
「ええ、なんで?」
「面白がってるからに決まってんじゃん。あたしとあなたに何かあると踏んで、あなたのことを見てるの。そしたらあなたが、ずっとあたしの方を見てるって言うからさ。あのね? 喋りかけないでほしいのは前提なんだけど、見つめたりするのもやめて」
「はい……」
「関係を疑われそうな行動をしないこと。わかった?」
「わかった」僕は意気消沈する。「ごめん」
「うん。で、なに?」
「え」
「なんかあるんでしょ?用事」
「ああ……うん」僕は斎川くんのスマホを真琴に見せる。電話帳に『動地実鳴』という名前がある。「この人、知ってる?」
「あんま知らない」と言われる。「同級生だけど、あたしは同じクラスになったことないし」
「でも斎川くんの電話帳には登録されてるね」
「一年のときにいっしょだったんじゃない?」
「ああ、そっか」
「その人がどうかしたの?」
「いや、信じられないことなんだけど」僕は言葉を溜める。「この名前に覚えがあるんだ。知り合いかもしれない、僕の」
何を見てもピンと来なかった僕だが、土日でいろいろと調べたり確認したりしている中で唯一反応できたのが、この『動地実鳴』という名前だったのだ。顔は浮かんでこない。そして相変わらず男なのか女なのかわからない字面だけど、それでも僕には感じるものがある。いや、感じるなどという曖昧な言葉以上の確信がある。動地実鳴は僕にとっての何かだ。
「ふうん」とだけ真琴は言う。
「いま何組にいて、どんな子だかわかる?」と僕は訊く。
「わからない。一組から順番に探したら? 教卓に座席表が貼ってあるから、それ見たらどの子かもわかるよ」
「なるほど。わかった。行こう」
僕は意気揚々と一歩を踏み出すが、真琴は「あたしは行かないよ」と出鼻を挫いてくる。
「えー……」
「いや行かないでしょ。二人で順番に教室を覗いてくの? バカじゃん」
「あ、それに二人の関係も疑われる」
「そうだよ」真琴はやれやれと息をつく。「じゃ、あたしは教室戻るね」
なんか寂しいなあと思うけど、仕方ないのだ。高校生は恋愛に対して敏感で、男女が二人で行動していると付き合っているとまず考えてしまう生き物なのだ。真琴は僕とセットにされるのを嫌がっているため、校内での僕との接触はできるだけ避けたがっている。至当だ。
気を取り直して僕は一人、一組から順に生徒をチェックしていく。真琴の言う通り、教卓には小さな名簿が貼りつけられており、実際の座席と連動して割られたコマの中に生徒の名字が書かれている。一組に『動地』の名はない。
二組、三組……と調べていき、六組でようやく『動地』を発見する。同姓なんていなさそうな名字なので、この子で間違いないだろう。座席表を参照すると、『動地』の席には女の子が静かに座っている。あの子が動地実鳴さんか? ミディアムショートで、毛先がまっすぐに切り揃えられている。前髪もぱっつんだ。目がくりっとしていて可愛らしいが、華やかという感じではない。落ち着いている。茜じゃないが、それこそしっとりとしている印象だ。
僕はゆっくり近づき、声をかける。「動地実鳴さん?」
「あ……斎川くん……?」
そうだ。電話帳に登録があるんだから、顔見知りなのだ。「久しぶり。ちょっといい?」
「うん」
僕は動地さんを連れて人気のないところを目指すが……あんまりない。昼休みなのでそこらじゅうに生徒がいる。
「誰も来ない場所ってないかな?」
「誰も来ない場所?」
「あ、別に変な意味じゃないよ?」
「斎川くん……?」
「うん?」
動地さんは僕を不思議そうに見つめてから「こっち」と進行方向を変える。
けっきょく生徒玄関から外に出ることとなり、僕と動地さんは第二体育館の軒下に腰を下ろす。
「あの、動地さん」僕は早くも本題に入る。「与時統太って知ってる?」
「ヨジトータ?」
「人の名前だよ。時間を与えて、太いを統べる」
「ううん……わからない。ごめん。誰?」
「今、斎川樂斗に入り込んでる僕の名前」
僕がそう言うと、動地さんは目を見開き、それから唇を噛み、うつむいて僕の手首をきゅっと握る。「斎川くんじゃない……?」
「土曜日の朝、起きたら僕が斎川くんの体に入ってたんだ。記憶があやふやなんだけど、動地実鳴さんっていう名前だけが頭にあるんだよ」
「でもわたしは動地実鳴じゃないよ」と動地さんが言う。
まさか。「嘘でしょ?」
「ホントだよ。わたしも、動地実鳴に入り込んだ魂だから」
「!」僕は驚愕するが、同時に納得もする。動地実鳴さんも僕と同じ状態なのだ。そうじゃないと、それくらいじゃないと僕がピンと来た理由がない。「すごい! 動地さんはいつから入ってるの? 土曜日から?」
「もっと昔」と動地さんは苦笑混じりに言う。「一年生のとき、斎川くんとおんなじ教室で授業受けてたときから、わたしはもう動地実鳴じゃなかったよ」
「あ、そうか。君の名前は?」
「名前は……わからない」
「え」
「動地実鳴として暮らしてる間に、忘れちゃった」
「え、僕も忘れちゃうかな? 僕は既に記憶がいろいろと曖昧なんだけど、これ、斎川くんとして生きてたら忘れちゃう?」
「忘れちゃう」と動地さんははっきり頷く。「わたしも忘れたもん」
「へえ……」
「わたしの場合、どうでもよくなっちゃったからかもしれないけど。斎川くんは、忘れないよう自分を保てば、もしかしたら忘れずに済むかもしれないよ?」
「なるほど」与時統太。この名前をいずれ忘却するだなんて信じられないけれど、まあ、既に自分の年齢や家族のことなんかは思い出せそうで思い出せないからな。この名前もいずれ頭の中から消えてしまうかもしれない。「どうでもよくなっちゃったって?」
「え?」
「動地さん、どうでもよくなっちゃったって、何が?」
「あ、ううん」動地さんは寂しげに笑う。「わたし、動地実鳴に入り込んじゃったんだけど、誰にも気付かれなくって……。中身が入れ替わってるのに誰にもわかってもらえないなんて、わたしも動地実鳴も、一体なんなんだろうなって、思っちゃって。だって、それって誰だろうとおんなじってことでしょ?」
「うん……もしかしたら君と動地さんはすごくよく似てたのかもしれないよ?」
「優しいね。斎川くんじゃないなって、わたし、言われる前から気付いてたよ」
「え、そんなにわかりやすい?僕」
「全然違うよ」と動地さんはくすくす笑う。
「僕や動地さんは実体験があるから入れ替わりを疑えるけど、普通の人はそんなこと想像もしないでしょ?中身が入れ替わってるだなんて。だから気付かなくったって仕方ないんだよ。気付いたとしても、そんな非現実的なこと指摘できないよ、普通」
「ありがとう」動地さんは僕の手首を握ったままだ。「わたしを見つけてくれて。すごく嬉しかった。生きてきた中で一番」
「なぜか名前にピンと来たんだ。入れ替わってるとは思わなかったけど、動地さんがよかったなら僕もよかったよ」
でも僕自身を知るヒントにはならなかった。けれど、僕の直感というかおぼろげな記憶は間違っていないということだ。僕がピンと来る対象にはなんらかの意味がある。これは間違いない。けっきょく、僕が『動地実鳴』を知っていた具体的な理由は不明なままだけど。
「統太くんって呼ぶね」と動地さんは息を弾ませている。「わたしが呼んでれば、きっと忘れずに済むよ」
「ありがとう。僕はなんて呼べばいいんだろう?」
「実鳴でいいよ」
「でも、それって君の名前じゃないんでしょ?」
「もうわたしの名前。動地実鳴は帰ってこないから、これはわたしの名前だよ」
「そうだ、それそれ。もとの動地実鳴さんはどこに行ったと思う? もとの君と入れ替わってるのかな?」
「そうかもしれない。でも、わたしにはもう『もとのわたし』の記憶が全然ないから。わたしなんてもともといなかったんじゃないかな?って思ったりもするよ」
「でも、最初はたしかにあったんでしょ?記憶」
「あったかな。あったと思うよ」
「…………」
曖昧だ。だけど僕も現時点で曖昧だからとやかく言えない。実鳴は、もうとっくに動地実鳴になってしまっていて、ここから僕が得られる有益な情報は何もなさそうだった。ただ、僕が実鳴を見つけることができたって事実には意味がありそうだ。意味がなかったとしても価値はある。
「たぶん斎川くんは戻ってこないと思うよ。だから統太くんはずっとそこで暮らすことになると思う」
「……そうなんだ」
「でも安心して」と実鳴ははにかむ。自分の胸に手を当てる。「先輩がいるから」
「あはは!」と僕は笑う。「そうだね。困ったことがあったら相談するよ」
「うん、いいよ」
「たしかに、同じ経験者がいると心強いね」
「わたしもこんなに嬉しくなったの初めてだよ。今ね、気分がね、すごく高揚してる」
「はは、そっか」
「うん」実鳴は少し笑顔を引っ込めて訊いてくる。「統太くん。他に統太くんのこと知ってる人はいる?」
「いるよ、一人だけ。クラスメイトの河口真琴さん」
「ふうん。……付き合ってるの?」
「あ、ううん」実鳴も恋愛脳。「斎川くんの人物像を教えてもらいたくて、真琴にだけは僕のことを明かしたんだ。真琴が女の子だったなんて知らなかったから、ちょっと失敗したかなって気もしてるんだけど」
「なんでわざわざ女の子に明かしたの?」
「いや、ほら、『まこと』って男の子かと思ったんだよ。スマホの電話帳で見る限りだとわかんないでしょ?」
「ああ、そういうことか」と実鳴は理解する。「わたしも斎川くんの人物像に関しては自信ないけど、統太くんの悩みの相談だったら乗ってあげられるから」
「うん。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」と実鳴が笑うと予鈴が鳴る。
「あ、戻らないとね」
「うん」実鳴は立ち上がり、伸びをする。「うーーん。今日は最高の日。わたしの誕生日にしようかな?今日」
「大袈裟だよ」と僕は言うが、そこまで喜んでもらえると声をかけた甲斐があったなと思える。実鳴はずっと孤独だったんだろう。動地実鳴としての友達はいるんだろうけど、入れ替わりに気付かれることもなく……それは、周囲に誰も寄りつかない文字通りの孤独とどちらが辛いんだろう?
斎川くんは野球部だったので僕も部活に参加するが、斎川くんの体が野球を覚えているということもなく、僕は少しも動けなかった。
部活後に茜から心配される。茜も野球部だった。「お前、マジでどうしちまったんだよ」
「なんか調子悪いね」と僕は大雑把にコメントしておく。
「いや素人よ?動きが」
「じきに復活するさ」
「どうだかな。せっかく三年生も引退して、楽しいのはここからだっつーのに、不甲斐ないねえ」
「ま、レギュラーになれなくても僕は楽しいからそれでいいよ」
「臨死体験でもしたんじゃねえの?お前。悟りを開いたみたいな顔しやがって」
「あはは。悟りはまだだね」
「こっちも調子狂うぜ……あ」茜が前方を見て口を開いている。
「あ」と僕も言う。生徒玄関の下駄箱のところ。真琴がいたけれど、僕達を見るなり去ってしまった。
「お前のこと待ってたんじゃねえの?」
「いや、そんなはずないよ」関係を怪しまれる行動は慎まなければならない。「待ってたんだったら今逃げる必要ないでしょ」
「バカだな。俺がいたから照れ臭くて逃げたんだろ? ちょっとは女心を解せよ」
「ええ……嘘でしょ? 難しいな」
「早く追いかけろよ」
「いや、たぶん違うと思うよ?」
「いいから」茜が僕の背中を物理的に押してくる。「先に行け。また明日な」
茜が立ち止まってしまうので、僕は渋々「じゃあ」と言って靴を履き替える。それから真琴を追う。
真琴は走って逃げ去ったわけではなかったが、早足で、既に距離が出来てしまっていたので、僕の方は少し駆け足で追わなければならなかった。真琴に追いついて隣で息を切らして疲れたポーズを見せるものの、案の定喋ってもらえない。無視されている。ほら、何が女心だよ、と僕は思い、膝に手をついて疲れたフリをしたまま真琴を先に行かせる。
「何かわかった?」真琴が立ち止まり、こちらを振り返っている。
「え? なに……?」
「動地実鳴さんを調べたんでしょ?」
「ああ……」実鳴も僕と同じだった。情報としてはあまり役に立たないけれど、収穫としては充分なものだ。だけど、実鳴の内情を断りもなく他人に教えてしまってもいいものなんだろうか? たぶんダメだ。僕はとぼけておく。「特になんにもわからなかったよ。僕の勘違いっていうか、思い違いっていうか」
「ふうん」僕が立ち止まっていると、真琴は「帰らないの?」と訊いてくる。
「いや、いっしょに帰ったらよくないでしょ?」
「ふうん。じゃあ、バイバイ」
え、今はいっしょにいてもよかったのかな? でも帰り道に二人きりっていうのが一番疑われるシチュエーションじゃないだろうか。僕はそう思う。クールビューティ……と茜が言っていたのを思い出す。たしかになんか、真琴って得体が知れない。思考が読みづらい。実鳴だったらもっと素直でわかりやすいのに……などと考えていると茜に追いつかれる。
「お前バカか。何やってんだよ」
「いや」
「いっしょに帰らなかったのか?」
「帰るか?って言われたけど、いっしょに帰ったら勘違いされるだろうからって答えたら、じゃあバイバイって帰っていっちゃった」
「バカか」とまた言われる。「怒らせてるじゃねえかよ」
「いや、最初に近づいてくるなって言ったのは真琴だよ? 怒ってはないって」
「じゃあもう一回追いかけろ」
「ええ……なんか恐いよ」
「怒ってるって思ってるからだろ?それ」と茜はあきれを通り越したのか笑っている。
「女心はたしかに僕にはわかんないよ」と僕も笑う。「でも、真琴は僕のことなんか別に好きじゃないよ。それは確実。話しかけてくるなって言われてるし、周りから勘違いされるようなこともするなって言われてるから」
「……お前らって何友達?」茜は何を想像しているのか、引き気味に尋ねてくる。
「いや、友達ですらないのかも」僕は真琴を友達だ、って最初たしかに言ったけれども。
「ま、悔いのないようにしろよ。あのとき追いかけとけば……みたいなのが一番悲しいからな」
「茜は経験豊富だね」
「はっは。漫画とかゲームの知識だっつの」
「でも優しいよ」茜みたいなのが斎川くんの近くにいてくれて僕は安堵している。過ごしやすい。
「お前はちょっと変だけどな。頭でも打ったんじゃねえの? ま、別にいいけど。今の変なお前も、そんなに嫌じゃねえわ」
「…………」
前の僕と今の僕とどっちがいい?と訊こうとしてしまい、僕は慌てて口を閉ざす。それはどちらだと言われようが、絶対にいい気分にはなれない質問だからだ。今の僕の方がいいと言われれば、そりゃ僕は嬉しいかもしれないが、だったら斎川くんってなんだったんだ?っていう気持ちになりそうだし、この感覚って実鳴の抱いていた寂しさと似ているのかもしれない。どっちだっていい、誰だって別に構わない。親友の中身が替わってしまっていても、気にならない。だったらなんで茜は斎川くんと親友になったんだろう?と思うけど、そんなのはなんとなくに違いなくて、茜を責めようとすること自体が正しくないのだ。僕はわかっている。友達っていうのは条件をつけて作るものではなくて、流れでなるものなのだ。だから茜と斎川くんも具体的な理由があって親友になったのではなく、なんだかんだ知らない内に仲良くなったはすで、だから斎川くんの変化もなんだかんだで受け入れられるのだ。
僕だって、流れで真琴と友達になろうとしたのだ。最初に相談に乗ってもらった相手だったから、仲良くなれると思ったのだ。相談に乗ってもらっても友達になれるとは限らないのに。
夜、真琴の機嫌を窺いたくて電話をかける。僕は必要性を感じていないが、茜が電話しておけとうるさいので。
なかなか出なくて、二十秒くらいコールしているとようやく繋がる。スマホから離れていたのかもしれない。僕は「もしもし」と言う。
「なに」と真琴。
「ううん。何してた?」
「別になんにも」
「そっか。怒ってないよね?」
「なんで?」
「……わかんないけど」
「斎川くんがなんで怒ってるのかわからないんだったら、どう考えてもあたしは怒ってないでしょ」
「そうだよね」
そうなのか? わからない。真琴の言い回しが難解すぎて咄嗟だと頭がこんがらがる。
それはそれとして、『斎川くん』と呼ばないでほしい。茜から『樂斗』と呼ばれるのは構わないけど、事情を知っている真琴にはせめて本名で呼んでもらいたい。
「切るね」と言われる。
「えっ、あ、ああ……」僕はあたふたするが「もっと喋りたい」となんとか言う。「学校では喋れないから……」
「あたし、嘘つく人とは喋りたくないから」
反射的に心臓が膨らむけれど、そのあとで嘘なんて僕ついてないよ?と思い、さらにそのあと、いや、ついた!と気付く。実鳴の素性を隠した! でもなんでバレてるんだ? カマをかけられている?
しらばっくれることも可能な気がしたが、真琴がどれくらい察しているのかを判断できないため僕は白状する。「……動地実鳴は僕といっしょだった」
しばらく沈黙があり「どういうこと?」と問われる。
「僕と同じで、別の魂が入り込んでるんだよ。だから動地実鳴は中身がもう既に別人だったんだ」
「…………」
「ただ、実鳴にはもうもともとの記憶がなくて、だから情報としては有益じゃなかったんだ。でも、プライベートなことだから、真琴には話さなかった。嘘をついてるってのはこのことだと思う。ごめん」
「……真面目なんだから」と言われる。「言えない事情があるなら、そう言えばいいじゃん」
「や……僕の言い方じゃ真琴を納得させられる気がしないから」いつまでも嘘つき呼ばわりされて、さらに怒らせてしまいそうだ。あ、じゃあやっぱり真琴は怒っていたのか。なんだよそれ……。「なんで嘘ついてるってわかったの?」
「顔に出てた」
「えー、ホントに?」
「すぐわかるから」
「ひー……」
「で、動地実鳴は斎川くんと同じ境遇の人だったけど、もう動地実鳴に入ったあとの記憶しかなくて有効なことは何もわからなかった、ってことね」
「うん。僕以外にもそういうことが起こり得るんだってことと、僕の直感にはなんらかの意味があるんだってことが判明したくらい」
「そ」とだけ真琴は言う。「じゃ、何の話する?」
「え?」
「お喋りしたいんでしょ?」
「ああ、うん……」でも話したいことなんてない。
すぐにバレる。「また嘘ついてる」
「いや、話すネタがないだけで、喋りたい気持ちは嘘じゃないよ」
「じゃ、学校どうだった?」と真琴から訊いてくれる。
「……楽しかったよ。最初は斎川くんになりきらなきゃって思ってたけど、なんとなくでもやれてさ、途中から楽しくなってきちゃった。僕には学校生活の記憶もぼんやりとあるんだけど、やっぱり記憶と実体験じゃ全然違うね」
「よかったね」
「櫻田茜くんもいい人だった。僕が女の子だったら、好きになってるかも」
「あんなのがいいんだ?」とちょっと冗談っぽく言われる。
「真琴は茜のことどう思う?」
「知らない。興味ないし」
「真琴はどういう人がタイプなの?」
「ああいうのはタイプじゃないかな」
「そっか」
「……もっと落ち着いてる人の方がいいかな」
「でも茜は面白かったな。斎川くんの他の友達も、いい人ばっかりだったよ」
「好きな人はできた?」
「す、好きな人ぉ?」
「一日あれば、めぼしい相手くらい見つかるんじゃない?」
「…………」
女の子なんて見ている暇がなかったからな。だけどそんな話題を出されてドキドキしてしまっているということは……。
けれど、斎川くんの体で好きな人を作ってしまっていいんだろうか? なんか、他人の体を使って当人が望まない相手と恋に落ちたりしたら、それって拷問のように卑劣な所業になるんじゃないか? しかし、一方で斎川くんは二度とこの体に戻ってこない可能性も高い。実鳴もそんなようなことを言っていた。だったら僕も、この体で残りの人生をやっていくぐらいの心積もりなんかもしておくべきなのかもしれない。




