エピローグ もしくは振り出しに戻る
黙礼ぐらいが妥当か。
深夜まで続いた再推理を終え二度寝した自分は、チェックアウトの時間をオーバーした。
とはいえ、宿からしたら、そう問題ではなかっただろう。
黙礼した相手である制服の警官やら、赤ランプをつけっぱなしのパトカーやらが入り口を塞いでいる状態で、ここが通常営業を続けられるとは思えない。
それでも事件ではなく事故で処理されるようで、任意の事情聴取とやらは「ええっ! そんなことがあったんですか」なんて猿芝居で乗りきれた。
これで宿帳に書いた名前や連絡先がフェイクなら後でややこしくなりそうだが、本名だしスマホも鳴るので問題は無いだろう。
○ー ○ー ○ー
携帯の電波も届かないような宿にアクセスするのは、こちらも途切れそうなローカル線だった。
社員旅行の面々、プラス探偵は貸し切りバス、もう隣にいないあの人はマイカーか。
つまりは、あの宿の宿泊客で、乗客もまばらな列車移動するのは自分だけ、というわけだ。
「お疲れ様でした」
おお。
そんな理由でがらがらの車内、何も向かいに座らんでもと寝たふりをしつつ、観察していた見覚えのない人影から聞き覚えのある声が発せられた。
「おいおい。携帯の電波も届かない隠れ家的お宿に宿泊だよ? 疲れるはずがないじゃないか」
窓の外を眺めている相手の肩が震えているのはもしや、笑っているのだろうか?
スッ。
ごく自然に。それなりの厚さの、どこにでもありそうな封筒を受け取って今回の依頼は完了した。
「ま、実のところ、少し疲れた」
視線は合わせない。
自分がそうしているように、相手もちょっとした、それでいて正体がばれない変装をしているのだろうが、じろじろ見たり見られたりするよりか車窓を流れる景色を眺めるのが正解だろう。
「仕事量はいつもと変わらなかったんだけどね」
「左様ですか」
老婆のような、少年のような。
年齢も性別もわからない不思議な声が、相づちを打つ。
最初にこの声を聞いたのは、いつだったか───
遠くの山に残った雪が
───否応なしに最初に出会った出来事を思い起こさせる。
・・・
・・
・
あれは葬式の帰りだった。
読経と焼香には間に合わなかった。
仲の良かった同僚の葬式だというのに。
何故ならあの頃の自分には残業を拒否する選択肢はなかったし、それを思いつくような思考力も残っていなかった。
それでも同僚を死に追い込んだ上役達がヘラヘラと礼服で笑いながら歩いているのには腹が立ったし、その辺の雪を丸めて投げつけるぐらいの事はできた。
念というか、恨みというか。
ナニカを込めて力任せに投げた雪玉は。
それなりの幅の車道を飛び越え。
スパーンと。
・・・目標に当たりはしなかったが。
すっぽぬけの山なりの軌道を描いて。
かまぼこ型の大型倉庫の屋根の雪に混ざって消えた。
それが。
突如発生した局所的雪崩と関係があったかはわからない。
ただ確かなのは、スマホに三桁の番号の通話履歴は残っておらず。
翌日発見された上役だったモノの処理は。立ち入り禁止区域を歩いてたこともあって、事故死で終わったという事実だけだ。
・
・・
・・・
「あの時だよね。スカウトされたの」
「左様でございますね」
それからの仕事は仕事ではないのだろう。
日本、というかどこの国でもメ木から始まる職業は認められていない。
・・・音だけならシゴト、で一緒なのだが。
自分のスタイルは完全犯罪。
今回も男湯で石鹸を落としたというのは、その前の幾つもの失敗と同じく。
もし発覚したとしても、何の罪にも問われないだろう。
「そういえば」
「はい」
「今回、何かとイレギュラーが多かったんだけど」
「左様でございますか」
やはりかえってくる声に動揺の色は見られない。
それは自分の仕事内容が一定の評価を得ているからかもしれないし・・・。
「依頼人をわざわざ特定したりはしないんだっけ?」
「左様ですな。我々が確認するのは対象が○に値するかどうかのみでございます」
・・・ただただ他の事に興味がないからかもしれない。
目を引くのと同じように耳を引いてしまう言葉もある。
聞き取れない部分に入る音を想像していた自分に珍しく言葉が投げかけられた。
「あと、わかるのは依頼者の性別ぐらいでございますね。今回のご依頼は、どちらからだと思います?」
一応、質問の形をしているが、答えは教えてもらえないのだろう。
世界中の誰より君が冤罪だと知っている、と。
思っていたけれど。
一捻りして自らの尾を咥えた蛇は。
八の字を描いて。
いつまでも同じ場所をぐるぐると。
回り始めたのだった。