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同じ空の下


 チヒロが死んだという話が舞い込んだのは、チヒロが姿を消して一ヶ月以上も過ぎた平日の朝だった。


「ほんまに……そいつは、チヒロが死んだと言うたんか」

「死んだとは言うてません。

 ただ警察から電話があって、崖の下から引き上げた身元不明の遺体があなたの名刺を持ってたから、遺体の身元を確認しに来て欲しいと言われたそうです。

 特徴聞いたら、どうも少年らしいからチヒロ君違うやろかって……。同じ話をチヒロの馴染み客数人から聞きました。」

「そいつらは遺体見たんか?」

「いえ。うちの店に通てるなんて知られるのは困るから、そんな少年は知らんと言うて誰一人警察には行ってないそうです」


 墨元会が経営する風俗店のマネージャーで東山という男が朝一番、店を閉めた足で直接事務所にやって来た。


 ポットの湯を入れ替えようとしていた鳴砂は、九鬼と東川の重苦しい会話に足を止めて聞き入り、愕然とした。

 チヒロ君が……死んだやなんて……まさか――。


 あの日あれから、組員十数人でチヒロを探した。

 鳴砂が、チヒロが薬に手を出したらしいと伝えると、売人からチヒロの居場所がつかめるかもしれないと、その方面にも人をやったが、結局チヒロの行方はつかめなかった。

 

『もう……生きる、価値も無い、人間です……』


 チヒロが発した最後の言葉が蘇る。

 この言葉が何を意味するのかは分かっていたが、鳴砂はタツノがいる前で、この言葉を九鬼に伝える勇気がどうしても出なかった。

 言っておけばよかった……。例え結果が変わらなかったとしても。


「一応、何か思い出したら連絡してくれと言われた警察の連絡先を、客から聞いておきました」

 東山がポケットから紙切れを出す。仕事明けのためか、男は疲れきった顔をしていた。


 九鬼はその紙切れを受け取ってデスクの方へ歩き、電話の受話器を持ち上げる。

 鳴砂はその合間を見計らって台所に走り、急いでポットの湯を入れ替えて事務所に戻った。


 しばらく九鬼が電話で話す声がパーテーションの向こうから聞えていたが、受話器を置く音がするとすぐに鳴砂を呼んだ。


「お前さっきの話は聞いとったやろ? 今から東山の車で警察の担当者と会うて来る。

 タツノが来ても、さっきの話はするな。まだチヒロやと決まった訳やない。ええな?」

「わかりました」

 九鬼は電話番の男にも念を押して、東山と一緒に事務所を出て行った。



 二人が帰って来たのは、それから二時間程たった頃だった。

 鳴砂はソファーに座り、ゲームをするタツノの隣でテレビを見ていたが、番組の内容は全然頭に入ってこない。

 タツノは九鬼が事務所に入って来たのを見て、慌ててゲーム機を隠した。

「あれ、東山さん。珍しいなあ、どないしたん」

「ああ、タツノ君。久し振り」

 そう言う男の顔が行く前より疲れているのを見て、鳴砂の気分が更に深く沈む。


「タツノ、ちょうどええ。ちょっと話があるんや」

 九鬼が向かいのソファーに腰を下ろす。東山も九鬼の隣に座った。

 行きには持っていなかった紙袋を持っている。

「何や? 叔父貴」

 

 九鬼が東山に目配せすると、東山は紙袋の中から大きなビニールの包みをいくつか取り出した。

 テーブルの上に置かれたビニール袋の中身を見ると、泥だらけのTシャツとパーカー、カーゴパンツ、バッグ。もう一つの袋には小振りのスニーカーが入っている。

 最後の小さなビニール袋には、財布やミネラルウォーターのペットボトル、名刺が数枚入っていた。


「これ、誰のか分かるか?」

 九鬼がひと息ついてからタツノに聞いた。

 タツノは眉をひそめてビニール袋を手に取り、繁々と見入る。

「これ……チヒロのやろ? なんなん、これ」

 東山の表情が辛そうに歪む。


「そうか……。

 タツノ。落ち着いて聞けよ。

 先週の台風の時、五月山のドライブウェイで土砂崩れがあったやろ? その復旧作業の時に、偶然崖の下で死体が見つかってな。

 若い男の遺体で、これはその遺体が着てた服と遺留品や」

 

「……遺留品って。まさか……ほんなら、チヒロは……」


 後の言葉が震える息に変わる。

 ビニールを握るタツノの手に、グッと力がこもった。

 鳴砂は俯いて目を閉じる。


「まあ……そういう事や。残念やけどな」


 ソファーの沈みが軽くなり、隣でタツノが立ち上がったのだと分かった。

「タ、タツノ……」

 何も言わずに部屋を出て行くタツノを追いかけようと鳴砂が腰を上げると「ええ。しばらく一人にしといたれ」と九鬼が止めた。

 鳴砂はソファーに座りなおして深く息を吐く。

 東山は俯いたまま張り詰めた表情をしている。


「遺体は……見てきたんですか?」

 鳴砂が聞くと、九鬼は首を横に振った。

「一ヶ月近く雨ざらしになってたから腐敗がひどくてな、顔の見分けもつけへん状態やったから、先週の始めにもう火葬したらしい。

 遺体の写真はあるから見るかと言われたけど、見ても判別付けへんのやったら一緒やし、やめといた」


 あの白くて綺麗なチヒロの顔が……。細くてきゃしゃな身体が……。

 鳴砂は口元に手をやった。


「すみません。俺がもっとちゃんと見てたら……」東山が囁く。

「お前のせいやない。

 シャブに溺れる連中は、最終的にはこうならなしゃあないんや。

 ラリって足でも踏み外したんやろ……。

 お前が気まわしたおかげで身元不明の死体が一つ減ったんやから、あんまり気落とすな」


 九鬼はそう言うが、チヒロは間違いなく自殺だと鳴砂には分かった。

 死後一ヶ月というのだから、あの日鳴砂と電話で話した後すぐ、チヒロは崖から飛び降りたのだろう。

 薬でラリった人間が、五月山のドライブウェイに行くというのもおかしい。

 何よりもチヒロが最後に言った、鳴砂だけが知っているあの言葉。それが自殺をほのめかしている。

 

『もう……生きる、価値も無い、人間です……』


 やはりあの時、九鬼にこの言葉を伝えておけばよかった。

 そうすればもっと必死になってチヒロを探したかもしれない。

 どうせまた借金を重ね、薬中になって姿を現すだろうと、次の日にはチヒロの捜索は終わってしまった。

 取り返しのつかない後悔が鳴砂を蝕む。

 

 東山が小さなビニール袋を取り上げて言う。

「携帯がありませんね。チヒロの」

「まだ崖の下に転がってるんやろ。遺体を引き上げるだけでも大変やったと言うてたからな。

 携帯が見つかってたら、まっさきに店に連絡が来るはずや」


 携帯はチヒロがわざと何処かに捨てたのでは無いかと鳴砂は思った。店や組に連絡が行って迷惑がかからないように。

 チヒロには数回しか会った事が無いが、それでも少年がそういう性格だということは分かった。 

 

 しばらく無音の中で、袋の中身を眺めていた。

「俺、そろそろ失礼しますわ」と東山が立ち上がる。

「ああ、悪かったな疲れてるのに。

 今晩は店休んだらええ。誰か別の奴行かせるわ」

「いえ、大丈夫です。

 店の子達にもチヒロのこと話さなあかんし、店には出ます」

 男は力無く笑う。


 



 その週の土曜日。

 午前中、助手席にタツノを乗せてカマロを走らせた。

 事務所から一時間。

 砂利の敷き詰められた広い駐車場に車を停めて、二人で降りる。タツノが後部座席に乗せていた花とコンビにで買った線香を取り出す。

 小さな寺門の柱に『七宵寺』と墨で書かれた板がかかっている。

 

 境内に入って参道を歩き、井戸でバケツに水をくんでから本堂を横切って墓場へ足を踏み入れた。

 敷地の一番奥、気をつけなければ見逃してしまいそうな細い道の先に共同墓地はあった。

 鳴砂の身長の半分程度しかない古い石碑が正面にあり、何か漢字で書いてあるが石が剥がれ落ちていて読めない。

 石碑の後ろには数え切れないの墓石が山のように積み上げられて、暗い竹薮の中まで続いている。

 無縁仏だ。長方形の墓石から地蔵菩薩の形をしたものまで多種多様、どれも皆古く、角がとれて丸みを帯び、彫られた字や顔は消えて傾いている。

 周りに建物が無い明るい寺なのに、ここだけひっそりとしていて肌寒く感じられた。

 

 数ヶ月前まではニコニコと鳴砂の話を聞いていた少年が、今ではその形を無くし、こんなに寂しくて暗い忘れられた場所に埋葬されている。


 石碑の前にバケツを置く。枯れた花と灰になった線香が供えてあった。

 振り返ると、タツノは共同墓地の敷地内に入らず、門の外からジッと思いつめた表情で墓石の山を見つめていた。

「タツノ……?」


「悪い……歩。俺……これ以上、よう行かんわ……」

 震える声で途切れ途切れにそう言ったかと思うと、タツノは地面に線香が入った袋と花を置いて踵を返して歩いていった。


 鳴砂はそれを追わず、地面に置かれた花を拾い上げ花瓶に飾った。

 線香に火をつけ、座って手を合わせる。


 ただ安らかに眠って欲しいとだけ祈った。

 陶器のように白く透き通ったチヒロの身体が朽ちていく情景を、鳴砂は一度夢に見た。担架と白い布の間から垂れた下がった細い腕。サラサラの髪にこびりつく泥。引き取り手も無く、横たわったままの小さな身体。

 どんな思いで崖から飛び降りたのだろう、苦しまずに逝っただろうか。崖の下に落ちた後、しばらく意識があったのではないか。もしそうだとしたら、あの少年は何を思い、泣きながら誰の名を呼んだのだろう。

 

 答えのない問い掛けを無数の無縁仏が吸い取っていく。

 鳴砂は立ち上がった。


 車に帰ると、愛車の助手席で男がダッシュボードに頭を突っ伏し、顔を伏せている。その背中が引き攣るように僅かな上下運動を繰り返しているように見え、鳴砂は足を止めた。

 もうしばらく待つか――。

 寺の由来が書かれた石碑の横に腰かけ、高い空を仰ぐ。

 

 薄いウロコ雲が覆う、爽やかな秋晴れ。

 チヒロも同じ空をどこかで見ていると思っていた。

 薬に溺れても、身体を売っても、生きていて欲しかった。

 天高く、届かぬ思いだけが立ち昇り消えていく。





「歩さん……。歩さんって、幽霊信じます?」

 デスクに肘をついてウトウトしていた鳴砂に、電話番の菅野が声を潜ませて話しかけてきた。

「何それ、菅野君。

 またあれか? まじない三回唱えな呪われる言う、小麦粉の神様の話?」

 鳴砂が刑務所の面会室でタツノに適当に教えたアンパンマンの話は、気が付けば事務所の下っ端ヤクザの間で噂になっていた。話が尾ひれと背びれを生やし、更にダイビングスーツまで着込んだように原型のない噂話。いつのまにかアンパンマンは小麦粉の神様に変身して、古来から伝わる呪いは国家を脅かす感染病の原因にまで昇格していた。呪いを解くまじないの文句だけが正しく伝来されていたので、辛うじて鳴砂は自分がついた嘘に騙されずに済んだのだ。


「ちゃいますやん。あれは神様でしょ? 俺が言うてんのは幽霊ですって……」

 怖いもの無しだと思っていた極道の人間は、目に見えないものが案外苦手らしい。

「ああ、幽霊なあ……。ヒュードロドロの方かあ」

「そうです、そうです。

 実は俺の彼女が今定時制の高校に通ってて、その送り迎えでよく夜中の高校に車で行くんですけどね。この前――」

「えっ、ちょお待って。菅野君って、仮免と違たっけ?」

「そうですよ? 仮免許」

「仮免許って、まだ一人で運転したらあかんのと違うんか?」

「そんな事ないでしょ……。俺、もう自動車学校に車運転して通ってますよ?」

 そんなことをサラっと言いのける隣のヤクザの方が幽霊なんかより遥かに怖い。

「ほんなら、表に停めてあるシビック。もしかして菅野君のん?」

「はい。彼女名義で買いましてん。何か?」

「そうか……。いや、まさかとは思とってん……」

 鳴砂は考え込むように天井を見上げた。


「それでね、歩さん。

 ちょっと前彼女を迎えに行った時に俺、あり得へん人物を見かけたんです。誰を見たと思います?」

「あり得へん人物? 誰やろ……マイケル・ジャクソンとかか?」

「あっ! 惜しい!」

「ほんまかい! そんな大物なん!? 俺マイケルの大ファンやねんで」

「いや、大物では無いけど。一回死んだっていうのが合うてます」

「一回死んだ?」

 

 菅野はそっと顔を寄せる。

「二週間くらい前に遺体で見つかった、チヒロってガキいましたやろ? あいつです」

「チ、チヒロ君が……!?」

「そうなんです。俺も幽霊かと思うたけど、ちゃんと足は二本付いてるし。

 彼女に聞いたら、そいつは定時制の学生で先週から授業に出てるそうです」

「嘘や……まさか」

「でしょ? でね、俺一回呼び止めてみたんです、そいつを。

 でも名前聞いたら全然違う名前やし、働いてた店の名前や東山さんの名前を出しても全く知らぬ存ぜぬで、キョトンとしてますねん。それが演技じゃなくて、ホンマに分からんって顔しますねんで?」

「やっぱり、あれ違うか? 他人のそら似」

「いや……あれは、そら似とかのレベル違う思うけどなあ。

 ほんでね。まだおかしい所があって、俺そいつを迎えに来てたクラウンの後を一回車で付けたんですわ。ほんなら、どこ行ったと思います?」

「後付けたん……? 仮免やのに……?」

 この男は仮免を駆使してなんと精力的に動くことか。


「そいつを乗せたクラウンが入って行ったんは、なんと島田組の事務所やったんです! それも、しばらくしたら島田組の若頭に肩抱かれて、仲良う二人でお出掛けして行きましてんで」


「島田組の……若頭……?」


「はい。島田組はうちと同じ枝の組筋やから、俺も何度か若頭の顔見たことあるんです。確か名前は木場、やったかな……。でも、あの人にはイロがおったはずやのに……。いつから男好きになったんやろ……」

 菅野が独り言のように言って首を傾げた。

「イロって……女のことか?」

「ええ。確かサリナ言う若い女で、えらい気が強いと噂になってましたけど……」


「なんか……ちょっと現実離れした話やな。

 チヒロ君が生きてるはずないし。生きてても、組み筋のイロしてるってのは無いのと違うか……?」

「ですよね――。やっぱり幽霊やったんかな……」


 その時、誰もいないと思っていた応接セットのソファーから人影が起き上がった。

 パーテーションの向うから顔を上げたのは、タツノだ。

「やばっ……」菅野が口走る。


「おい。それ、どこの高校や」

 チヒロの事があって以来、ろくに喋りもせずゲームに没頭していた男が久し振りに低い声を出した。


「タ、タツノさん……今の話は――」菅野が慌てる。

「どこやと聞いてんねん!」

 タツノがパーテーションを蹴った。


「……七宵学院の、定時制です……」

 菅野の怯えた声を聞いてタツノは壁の時計を振り返った。

 午後五時二十分。定時制の高校なら、そろそろ授業が始まる頃だ。


「菅野……車の鍵貸せ」

 菅野がポケットを探り、つかみ出した鍵をタツノに差し出す。

 それを受け取り、タツノは姿を消した。


 その日、シビックタイプRが事務所に帰って来ることは無かった。

 

 午後九時半。

 不吉な音を立てて電話が鳴る。

 





 本当は墓参り以降の内容は次話に入れる予定でしたが、何しろ今週中の完結……無理矢理入れちゃいました(;^ω^) 読んでる方にとってもその方がいいかとも思いまして(゜∀゜ ;)

 あと三回! 土曜で終わります。

 明日はおそらく長くなると思います(。-`ω´-)ンー 一番の山場なので……。


 つ!ついに!ミニPCが届きました♪

 まだ包みを開けていないんですが、もうウハウハです(*゜益゜)ゞエヘヘ

 29800円の10.1インチですが、私にとっては夢の箱☆

 ただ、そのPCを「便利そうやな~」とか言って旦那も一緒に使おうとしているところが危険……お前はこの古いタワー型で我慢なさい( ゜д゜)ノ))


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