見舞い係の苦労
「タツノ君。どうや? 調子は」
鳴砂が溜め息混じりに言い、肘をつく。
「んん……何にも代わり映えせん。毎日同じ生活の繰り返しや」
タツノが呆けた顔で返す。
「せやろな」
見舞い係になって二ヶ月半。毎日の様にタツノと鳴砂はこの会話を繰り返して来た。
「そういや……昨日の夜はえらい熱かったなあ……喉渇いてしゃあなかったわ」
「ああ」
「あ、あと友達出来たで。二つ上やけどそいつもゲーム好きでな。ここ出たら歩にも紹介するわ」
「……うん」
明後日の方向を向いたままタツノはボソリと言う。鳴砂のイライラが増す。
「タツノ君よお……もう俺、帰ってええかな?」
「もうその、君付けやめろや。何か馬鹿にされてるみたいで気に触る」
「いや、馬鹿にしとんねん。
ほんなら言わせてもらうけどなあ、タツノ。俺もこれで結構忙しいねん。お前の叔父貴のせいでな! 用無かったら帰るで」
「待てよ、そう言うなって。
俺は外界と繋がっていたいねん。
起きて飯食って、やれと言われたことして、また飯食って寝る。常に監視されてな……ほんま監獄のような所や」
我慢限界。沸点をあっさり超えて立ち上がり、拳を振り上げる。
「監獄やないけぃ!!」
タツノに向かって振り落とした拳が、バインと間抜けな衝撃音を立てて、二人の間を隔てる透明なポリカーボネイトに弾き返される。
「おい! 静かにせえ。お前もこっち側に入りたいんか?」
タツノの後ろ、部屋の端に座っていた監視官がこちらに厳しい口調で言う。
タツノが入院しているのは、大阪堺の住宅街にある敷地面積・収容人数共に西日本最大を誇る大型施設。
病院名は、聞いて驚け大阪刑務所。
病名は進行性脳ミソ蒸しパン化症候群。鳴砂が名づけた。
日に日に脳みそが蒸しパンのように、ふっくらやわらか、程よくスカスカに蒸され、本人の気付かない内に症状は悪化。ぼーっとしたまま「昨日の夕方は大きな雷がなったな」など、夏休みの日記の最後の方みたいな会話を始める、恐ろしい病気だ。
何が一番恐ろしいかと言えば、毎日三十分の面会時間の間に面会者の方がイライラして性格が変わってしまうところ。
見舞い開始第一日目。教えてもらった病院の住所をたどってここへたどり着き、何の疑いも無く「書いてもろた住所間違ってますけど」と九鬼に電話した無垢な自分が懐かしかった。
「なあ、あっちゃん」
「誰があっちゃんやねん」
鳴砂しかいない。歩だからあっちゃん。
「ほんなら、アユ」
「人を大物歌手みたいなあだ名で呼ぶな。その気になって俺が紅白出たいと言うたらどないするねん」
「歩……俺ずっと思っててんけど。最近お前、性格が叔父貴に似てきたんと違うか?」
また立ち上がってアクリル板を殴ろうとしたが、監視官と目が合ったのでやめた。
「ほらっ! 喋り方も行動もちょっと暴力的になったぞ、お前。なんでや?」
「なんでやって……お前、ほんますごいな。
半分お前で、もう半分はお前の叔父貴のせいやんけ。
騙されて三ヶ月も毎日刑務所の面会に来させられる上に、どこへ行くにも運転手として連れて行かれて扱き使われるんやぞ?
ほんまやったら俺は今頃、東京で新しい職に就いて行儀ようしとんねん。それがなんで刑務所の面会室みたいな所でヤクザと顔つき合わさんなんねん」
「そうカリカリすなよ。そのへんのチンピラより極道らしい物言いやないか。怒っても腹減るだけやぞ?
ああぁ――、腹減ったなあ。腹減り過ぎて力出えへんわ……」
「うるさい! お前はアンパンマンか」
二人を隔てる透明のアクリル板が動物園の柵の役割を果たして、鳴砂は普段以上にヤクザ相手に強気なキレ方をする。
「なんやそれ。アンパンマンて……アンパンなんかアンマンなんかはっきりせんがな」
「お前アンパンマンも知らんのか? アンパンのマンやんけ」
「だから何やねんそれ。
あっ! あっ! 分かった。さてはアンパンを肉まんの皮で巻いて蒸したな? ピザまんみたいなもんやろ? あかんぞ――そんなん、外道や。アンまんに謝れ」
考えられへん……何で正義の味方が外道で、俺がアンまんに謝らんなんねん――。
「アンパンマン言うのはなあ、人型したパンの霊? みたいなんで、顔と身体があってな。喋るんや。『僕の顔を食べて下さい……』とか言うん違たかな」
タツノは急に表情を無くして静かに言う。「なんやねん……それ。ほんで、どうなるん……?」
「ほんで顔食べたら、首がもげて、また新しい顔を取り付けるんや」
お前のスカスカ蒸しパン頭も新しいのに取り替えてくれよ――。
タツノの顔が青ざめた。
「何やそれ……顔食べるってどいう事やねん……。新しい都市伝説か何かか?」
「ちゃうやん。顔は食べるだけと違うねん。濡れたりカビだらけになっても『力がでないよぉ』ってすすり泣くんやぞ」
タツノは首を振って椅子から立ち上がる。
「顔にカビだらけて……もうええ。俺怖い話嫌いやねん。サイコホラー話すんやったら、はよ帰れ。
俺、今独房やねんぞ? 夜中しょんべん行けんようなったらどないしてくれるんじゃ」
独房なのは、いびきがうるさいと同室のデブを蹴ったタツノが悪い。こいつは自業自得という言葉の範例のような生活を送っている。
それにしても、アンパンマンの話でヤクザの顔色が本格的に悪くなった。笑える。
二ヶ月半毎日通っていて、早く帰れと言われたのも初めてだ。
「お前、知らんで。そんなん言うてたら、夜中見回りに来た監視員の首がもげて落ちるぞ?
アンパンマンはな、その昔パンというものが出来た頃に、ジャム王子さんとバタ公さんっちゅう人が偶然生み出してしまった呪いで、古代から伝わる呪いや。その辺の子供もみんな知ってるがな」
「嘘やろ、それ」
「嘘やと思うなら、その辺の奴らに聞いたらええやん。アンパンマンて知ってるか? って……」
「俺、餡子嫌いやからアンパン食わへんしええわ、どうでも」
「アホやな、タツノは。アンパンマンには仲間がおってな、食パンマンとカレーパンマン言うのがおるねん。それがアンパンマンの怖いところや」
早口で喋っていると、後ろの監視官の会話内容を記録する手が早くなる。こんなアホの会話をメモっていて、よく笑わずにいられる。
「お前……最悪やな。ここの朝食は食パンやねんぞ! 気持ち悪いやないけ」
「ほんならな、タツノよ。よう聞きや。食パンに向かって『私は愛と勇気だけが友達です』と三回唱えろ。ほんなら呪いが解けるから」
「アホか! なんで朝っぱら食パン相手にそんな寂しい事言わんなんのじゃ! 精神鑑定に回されるやないか」
そろそろ面会時間終了だ。
椅子から立ち上がり、帰る仕度をしながら最後に捨て台詞を吐く。
「ほんなら、まあ好きにせえや。
最後に一つだけ教えといたろ。さっき言ってたアンパンマンの首がもげた時にな、新しい顔を運んで来るんはチーズっちゅう不気味な二足歩行の人面犬やねん。
今晩目が覚めたら、二足歩行の人面犬が生首持ってお前の隣で笑てるかもしれへんぞ……『わん』と言うてな……」
笑いを堪えながら怪談話をするように無表情で囁くと、タツノは顔を歪ませて手を口元にやった。
よし、信じた。アホらしい。はよ帰ろ――。
いつもよりはスッキリとした気分で面会室を後にする。
今ではすっかりヤクザの送迎用と化してしまった自慢のカマロを気分よく走らせる。
途中で九鬼から携帯に着信があったが、運転中という理由で堂々と無視した。
「おい、どこ行っとってん。携帯何で出えへんのや」
事務所に帰ってみると、さっそく若頭補佐様がお冠。
「どこって、タツノ君の所でしょ。運転中やったから携帯出れんかったんです。
たまには九鬼さんが面会行って下さいよ。もう運転出来る人もおるんやし」
先週、奉公に行っていると言っていた若いヤクザが二人帰って来た。見た目はそのへんのチンピラと変わらないが、さすがに奉公に行って来たというだけあって言葉遣いや身のこなしがしっかりしていると素人目にも分かった。二人とも免許は持っているが、一人は糖尿病を患って透析を受けている若頭の専属の運転手みたいなもので、若頭の車で病院から自宅の送迎をしているから、殆んど事務所にはいない。もう一人は車を持っているが、タツノがいない分の仕事をこいつが一手に引き受けているので、これまた事務所には殆んどいない。
「お前……この俺に刑務所へ行けと言うんか? 誰があんなとこ行くか。縁起悪い」
「人を騙しといて、ようそんな事言えますねえ」
「誰も騙してへんわい。お前が勝手に勘違いしただけや」
「三ヶ月で治らんとか、予後が悪いとか言ってたやないですか」
「合うてるやないか。あいつのアホアホ病が三ヶ月で治るか。そもそもアホが祟って刑務所なんぞに入院せなかんねや」
アホアホ病……ネーミングのセンスが小2か、それ以下。
「タツノが俺を友達やと紹介した時、俺を殺しそうな顔してホンマは親心に響いたと言ってたでしょう。あんな辛そうな顔して見舞いに行ってくれと言われたら、誰かて入院やと思いますわ」
「あれはホンマにお前のことを殺したろかと思っとったんやないけ。俺のレクサス事故車にしやがって。辛そうな顔してたんは、一生懸命笑い堪えてたんや」
九鬼の話ではタツノが事件を起こしたのは三ヶ月前。
風俗街の路地裏で悲鳴を聞いて、使われていないビルの敷地をタツノが覗き込むと、どうやら裏ビデオの撮影が行われている。ただその被写体となるはずの裸体は、女ではなくて少年。ビデオ撮影に同意していないのか、数人の男に寄って集って無理矢理服を脱がされ、泣き喚いている。その少年の顔に見覚えがあったため、タツノは男達をボコボコにして一人を病院送りの重症患者にした。その時助けた少年が、タツノの組が経営している風俗店の売り物、チヒロだったのだ。
タツノはとりあえず自分の家にチヒロを連れて帰ってから、九鬼に連絡をした。タツノはチヒロが脅されて無理矢理店から連れ出されたと言ったが、それはチヒロを庇うための嘘で、恐らくはチヒロが薬に釣られて付いて行ったのだろうと九鬼は言う。何しろタツノがボコボコにした内の一人が、薬物を取り締まる事を生業とする警察官だったからだ。
相手が警察だったことで、よくある風俗街での喧嘩が簡単には治まらずにタツノの身柄引き渡しにまで至ってしまった。公には出来なくても面子を保ちたい警察は何度も組と話し合いを重ね、何とか形だけでも三ヶ月間、タツノが刑務所に入るという事で双方手を打った。
そういう理由があったから、何としてもチヒロにはタツノが消える理由を言う事は出来なかったのだ。
そうで無くてもチヒロは変に頭がきれるから、気付いてしまうかもしれないと九鬼は心配していた。
「鳴砂。今日は今から出掛けるぞ」
「はあ。いってらっさいませ」
「どつくぞ、お前。運転手がおらな誰が運転すんねん」
「九鬼さんがしたらええやないですか」
「俺もそうしたいんやけどな。
何でか知らん、俺のレクサス今修理屋の車庫やねん。何でや思う? 鳴砂君」
「さあ、何ででしょうね。お気の毒。
賢い甥子さんに運転させはったから違いますかねえ」
「お前……。
なあ鳴砂君。俺の口調が変わらんうちに準備した方がええんと違うか?」
「はあ――い。出掛けるってどこ行くんです?」
「東京や」
「は? 東京って……今からですか?」
「せや。お前行きたい言うとったやろ」
言った。確かに。
でもヤクザをつれて上京したいと言った覚えはない。
「ほんなら、まあ。お気をつけて」
「そんなに嫌か、俺と行くのが。
分かった。
ほんなら自分で運転していくから、新しい車買うてくれ。レクサス廃車にする」
「はあ?」
「俺プリウス欲しい」
「……。
何か俺、急に九鬼さんと東京見物しとうなりましたわ……」
「せやろ?」とヤクザが笑う。
昨日とは打って変わり、短い?文章、明るい内容になりました♪♪
やはり明るい内容&関西弁は書きやすい。♪゜+。ヤッタァ★(o゜∀`从'∀゜o)★ヤッタァ。+゜
本当はチヒロとタツノの出会いからこの話は始めるつもりでしたが、10月中の完結を目指すためにやむなくカットさせて頂きました。また暗い内容だしね……。
息子が寝ている内に次の執筆に取り掛かります♪
ではでは┏○ペコ
[追記]最初の方、九鬼の車の種類がレクサスとセルシオごっちゃになっていましたが(汗)本日レクサスに統一させて頂きました。スミマセン_| ̄|●