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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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読書の喜び













   読書の喜び

   2023.12.16












今年は大河に私としては珍しくハマり、どうする家康を毎週欠かさずみては、遠く海を隔てた日本にいる父と感想を話し合うという生活を送っておりました。このどうする家康の歴史解釈というのはよく言えば新しい、悪く言えば、ちょっと違うのじゃないの?というところ。初めの部分と最後の方の部分は私的によかったのですが、真ん中のあたりでなんだかなと思ってしまった。それで、もっとオーソドックスな書き方で書かれた徳川家康をと思い、小説を探したのです。


それで結構長い小説なのですが、山岡荘八先生の書かれた徳川家康を途中の10巻から読んでました。もともとはドラマを来週まで待つのができずに買った小説だったのですが、あれよあれよとドラマが小説を追い越しました。それで、先を急ぐ必要がなくなりのんびりと読みながら13巻まで来たのです。その合間に何をしてたかというと、ミステリドラマを見るのをやめて、歴史番組をハシゴするという熱心ぶり。また、NHKも大河の視聴率を上げるためかどうか知りませんが、家康とリンクさせながら武田信玄の特集をしたりするわけです。せっせとみておりました。


私の歴史知識は自慢することでもないですが、ほぼまっさらな地図のようなもので、そこ、ここにポツポツと建物が立ってる。つまりは流石に卑弥呼は知ってるし、大化の改新も知ってる。源頼朝も知ってるし、織田信長と豊臣秀吉と徳川家康も知ってるぞ。水戸黄門と暴れん坊将軍と大岡越前も知ってるぞと。


こんな感じ……


だから、今年の私は、「へー!ほー!」何も知らない真っ白な地図に歴史番組や大河を見ては、ウキウキと建物を書き込んでいるような状態だったのです。


そして、どうする家康も北川景子さんの淀君の怪演を楽しみながらいよいよ大詰め。最後の方は良かったけど、最初と中盤を丁寧に書いて時間が足りなくなり駆け足だよねんと。もう終わるし、ちょっと物足りないのもあってもう一度小説に戻り、ちょこっと読書を再開したのです。


私の朝は、ニュースを見ながら朝食をとり、ニュースを見ながらパズルゲームをしている。パズルゲームのライフがなくなると、徳川家康を読んでます。パズルゲームが難しすぎてライフがすぐなくなるので、会社へ向かう地下鉄4駅の間することがない。そこで家康を呼んでいる。


そして、その短い時間の中で、今週、胸を打たれていました。


どうして私が突然、歴史にハマってしまったのか。それには訳があります。

会社の中で二度に渡り闘争のようなものに巻き込まれ、酷い目に遭ったからです。巻き込まれと書きましたが、ある意味では自分から向かっていったというのもある。

ありていに言えば、自分はもう少し勝てると思ってた。でも、策敗れ負けました。その理由を歴史の中に探っていました。

だからです。

会社というものにつとめ、守りたいものができた。貫きたい正義のようなものがありました。

本人たちは純粋に真剣ですが、俯瞰して眺めればそれはよく言えば微笑ましい程度のものだったのかなと思います。


組織というものというか、会社というか、世の中というか、そういうものが結局は良くはわかってなかったのかな?

能力だけで人というものは出世してゆくものではないし、非正規社員でもありさらに女性である自分の上には見えない天井がある。

そういうふうにして活用されないまま死んでゆく一兵卒だなと。


確かに、やめて良かったよね。


人間って、骨身に染みるほどに辛い目にあった時には、考えることを止められなくなるんですよね。自分の魂に入ってしまったヒビを埋めるために考えずにはいられないのではと。


自分が天井があるにも関わらず、もう少し上のランクの仕事を任せてもらえるようになるのではないかと非正規であるにも関わらず人生の貴重な時間を費やしてしまったのは、無駄だったなと思ってるんです。5年くらいで会社にもっと仕事を任せてもらえるかどうか問いかけてみて、可能性がなければ転職するべきだったと思っています。だから若い人には現在の職場で経験を積むことと、さらに自分を活かせる転職をお勧めしたい。


ただ反面、こうも思う訳です。

人生の勝者になるためには、自分の人生に起きたことに意味を求めるべきだと。

これは私の真髄に至る考え方であるので大事です。


自分の人生というのは自分によって演出を受けているのです。

私の十余年の就業は無駄だったなと、でも、意味はあったよねと、そこに演出を与えることはできる。


これについても何度か書きましたが、脅迫を受けて中国で警察に被害届を出したことがある。その時、警察の少し上層部の方に伝手があり、面談をしていただいたことがある。その中国人のお爺さんは言いました。


「日本の会社は労務と法務を疎かにする会社が多い」


真っ向から叱られました。そりゃそうだ。業務上の延長で脅迫を受けているのですから、労務と法務が整っているとは言い難い。

その時、隣で、当時の上司の日本人男性は、中国語が私よりできないので、通訳して教えたのですが、


「ふん」


言われて機嫌を悪くしました。


日本の50代、60代の方達は、日本の良い時代を歩んできて、いつまでも中国が日本の下だと思っていますから、このような態度を取るのです。ですが、ご老人の言っていることは一つも間違っていません。日本の会社の労務と法務のやり方は穴だらけのところが多い。


「こっちはどうやらわからないようだな」


その太々しい表情をみて、淡々とお爺さんは言いました。それから私の表情をみてこういった。


「こっちはわかったようだな」


このお爺さんの呟きについては、わざわざ訳さなかった。


この時のことがずっと忘れられないんです。


深圳の治安が悪い時からこの場で働き、日本にいたら経験しないような経験をしながら歳をとってきました。そして、会社に勤め、巻き込まれた。ある意味ではそれは日本の会社だからこその危機感のなさというか、穴でした。


本社には悪気はないのですが、だけど、いわゆる儒教で言うところの人治。人の本質は善である。それを信じて治めてゆく。

聞こえはいいのですが……


自分たちは人治で治めることが可能な安全なところから、こちらの様子を眺めてただあたふたとしている。だけど、人治では残念ながら治りません。キングダムで韓非子が出てきて討論される。法家と儒家は対立する。それは法家は人の本質は悪であるとし、だから人を治めるには徳ではなく法によらねばならないと説くからです。


現代で言うなら法とはコーポレートガバナンス、CSRと内部統制も関わってくるかと。


徳が悪いということではなくて、それでは人治でゆくために、御社にはどんな制度がありますかと聞いたら、答えられない会社が多いと思うんです。そもそも徳とか法とか、その言葉についてきちんと考えている人の方が少ないと思う。


別に最近の話じゃないんですよ。古代から似たような問題というのを人は繰り返し起こしてきていて、歴史の中で名だたる人たちがその問題に取り組んでいるのです。あるときは成功し、あるときは失敗している。


そこから学ばずして、どこから学ぶ?

この年齢になってようやくそこに辿り着いた。


自分自身は御せる。そして、私の言っていることは間違ってない。

でも、それだけではうまくいかない。

人と人というのは権力を奪い合い、争うものだから。

利己的な人間にとって、まっすぐな意見をいい進もうとする私は邪魔な存在です。


もともと自分は他人に心を閉ざしており、いわゆるぼっちな人間ですね。

そこからスタートして、自分を改革し、コミュニケーションが取れる人間になった。

そして、部下をもってお互いに認め合い仕事ができる場所を得た。仲間ができたってやつですね。


スタートが私とは違う人だったら、こんなちっぽけなものでは満足しないでしょう。

さらに上を目指して地位や権力、お金を目指して突き進んでゆくのだと思います。

そういう人には私のような人間は理解できないでしょう。


自分にとってはやっとできた仲間というのはとても大切なものでした。

だから、仲間を守るために自分の地位を高めようとしたのです。なぜなら会社というのはやはり立場がものをいうものですから。


私、個人であればどうでも良かった。私は一人でのんびり過ごすのが好きだし。人に無視されるのには慣れてますから。

だけど、ぼっちの人間は人との絆に関しては執着しますよね。

権力をひたすら目指す人間は自己をもっとも大切だと思ってその行動原理に沿って動きますから、他者を行動原理にする私のような人間は全く理解できないのです。


でも、そんな自分は届かず、自分の方が放り出された。

それで、別の場所で働きながら、せっせと歴史を勉強している。


心に消えないほどの傷を負ったものでなくては、一つの事項について何度も何度も深く思考することなどないでしょう。私は自分の人生に起こった不愉快な一連の事象について、そういう意味を与えました。それが私の演出です。


昨日、地下鉄の中で家康を読んでいました。天下を取った秀吉のもと、三河・遠江・駿府を治める家康は目の上のたんこぶ。何とかして弱体化を狙いたい相手です。そこで、関東の北条氏を滅ぼし、家康は自分の家が代々治めてきた三河を取り上げられ、関東への国替を申しつけられるのです。


戦国時代というのは、権力と権力のぶつかり合いであり、そこに正義も悪もありません。

会社の中の人事というのだって、正しいから上がるのでもなく、悪いから上がらないものでもない。人間は徒党をくみ、自分たちに与しないものに対しては智力謀略の限りでもって引き摺り落とそうとしてくるものです。


北条氏を滅ぼしにゆく前夜譚のような部分が事細かく書かれてゆくのですが、そこで家康に生涯仕えている爺が、家康を厳しく叱責する場面が出てくる。一つに秀吉を恐れるなという。そして、家中での会議での進め方が悪いと自分の主人に向かってこれでもかというほどにキッパリと言い放つのです。何が悪いかと言えば、家康のみが秀吉を恐れているのではなく、表ではヘイコラとして裏では別で動くために必要なのだと、一人で考え、一人で納得し、あとは部下に言いふくめてやっていこうとしている。


家康の政治的な駆け引きへの知略は申し分ないのですが、爺は、それを一人で納得して、下のものに従わせるという進め方に対してものを言っているのです。


結局はですね。下のものにはわからないだろうからと、頼りにしていないという部分に問題があるのだという。


ここに非常に感動した。結局ね、爺の言っているのはモチベーション経営なのですよ。


下のものには政治的な駆け引きのような視点で難しい言葉で語ってもわからないと、だから言葉を変えて、秀吉のやつは憎たらしいが、でも、ここは我慢して、後で引っ叩いてやろうと、そういうような言葉で皆を頼りなさいと爺は叱っているわけです。


「殿など、三河のみんなの結束を無くしては、床の間に飾っている置物ほどの価値もない」


つまりは役に立たないとすっぱりと言い退けている。


これが、本当に史実であったかというと、それはやはりわからないわけです。ただあるいは、家康の強さというのは時々歴史番組などでも語られる、家中に優秀な部下を多く持っていたからではないかというのはあながち嘘ではないかと思う。戦国時代を現代においてみる。会社の代表取締役に対して、ここまで失礼なことを言える部下をもっている会社というのは少ないと思うのですね。


ただ、人間は間違える。

一番上に立った人間が間違えるということだってもちろんある。

その際に、強い諫言を言える部下がいるか、また、トップはそれを許し諫言を受け入れる器の人物か。

これは死線を越えるかどうかの問題なのです。


作者の山岡荘八先生がどこまでの思いを持たれてこういった場面を書かれているのかわからない。しかし、深く感銘しました。

その後、この爺、殿の前でわたしを隠居させなさいと豪語した後に、自分より若手の家中のもののところへゆき、こう説くのです。


北条攻めの後、おそらく秀吉は国替を命じてくるだろうと。そして家康はそれを受けるだろうと。

家康が関東に入れば、伊達と上杉への牽制になる。また、新しい地を治めるのは難しく、また、先祖からの土地を移らされた家中のものの不満も最高に高まる。秀吉としては目の上のたんこぶの家康を弱体化させる最高の一手なのだと語るのです。


徳川の強さは、三河武士の結束の力にある。

爺はそれを理解していて、秀吉の手を読み、その一手先をいくために、表では家康を真っ向から叱責し、裏ではたとえ国替となっても結束を失わないために家中を奔走しているのです。


勝つために動く人というのは、こういうふうに動かなくてはならないのだと、爺の行動に朝の地下鉄の中で感嘆しておりました。

爺の行動には一貫して、私が無い。無私の精神で、自分がすべきことをやって死んでゆくのだなと。


爺は、家康が幼少の頃から徳川家に仕えている、つまりは家康の父親から仕えている重鎮で、若い頃の情けなかった姿を知っているわけです。今では大大名となった家康に対して、それでもものを申せるのはそういう出自があるからで。こういう部下をもっている家康はやはり強いのだと思いますね。


自分がこれから何をし、何を考え、どう生きていくのか、それはよくわからないのですが……

ただ、自分は、トップの位置に立つ人間ではないと思っているのです。よき上に恵まれ、その補佐をすれば力を発揮する人間だろうと思っている。そういう自分にとって、こういう脇役として生き抜く姿というのは心に沁みます。


歴史というのはやはり、一人の人が動かすものではないのだなと。

歴史に名が残った人の周りにはその人と一緒に歴史を動かした無数の人たちがいるのだと思う。

名のなき人の人生にもまた、深い意味があるのだと思います。


汪海妹












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― 新着の感想 ―
[一言] 汪海妹様 いつもしみじみ拝読しております<(_ _)>(*^-^*) すごい…(-_-;) 凄みのある考察ですね。 考察といいますか、哲学。 人治 法治 人治にするには 人治に慣れるよ…
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