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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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先生みたいな話












   先生みたいな話

   2023.10.16












 小説を書く心の余裕をなくすほどに心身ともに疲労していた自分へのお疲れ様と思い、心の赴くままに楽しんで書いた 一枚足りない でした。もともとはこんなに長く書くつもりもなかったのですが、書き始めてみると、ただ芽衣ちゃんやトシ君のことを書くだけじゃなくて、その周りにいる春菜ちゃんや瑞樹ちゃんや夏帆ちゃん、圭介君や浩史君、詩乃ちゃんに、おまけ、井上真央女史。あ、そうそう、それと忘れてはならなかった吉田君!色々な子を書けたのが楽しかった。


 そうそう、それと、怪談。私、怪談ネタ大好きなんですよ。これを書けたのが楽しかったな。


 それであれよあれよと長くなっちゃったんです。ごめんね。そして、書き終わり、掲載が終わったところで、なんかこう、一枚足りないで私が何を書きたかったのかについて書きたいなって思って、エッセイに書いてるんです。


 ここからまた話がずれちゃうんだけど、私ね、もう大人なので、10代の子の気持ちがわからないんですよ。本当はわかってたはずなのに、忘れちゃったなぁ。ただ、それでも、ああでもない、こうでもないと思い出してみる。なんとなく人間関係で悩んでいた気がするよ。


こんなふうに言ったら、こう思われるんじゃないかとか、

こんなこと言ったら、傷つけたり、怒らせたりしちゃうんじゃないかとか、


それで、基本、安全なのは当たり障りのないことばっか言って、相手に踏み込まないことだった気がする。

自分の本心というのはなかなか見せなかった気がするよ。


それで、大人になってからそんな10代の子を見てると、


かわいいなぁ……❤︎


もはや、母親のような気持ちで眺めてしまうのです。

ただ、そんなおばさんの感慨はよそに、みんなそりゃ、純粋に悩んでいるよねぇ。


そんな10代の子の心が時々ぶつかり合いながら立てる音って、澄んだ楽器の音のようです。

願わくばそんなものを言葉にできたらなと思いますが。


それで、自分が大人としてかわいいなと思いながら見ている10代の私から見たら子供たちに言ってあげたいことを、トシ君の先生みたいな話にのせてみた。


誰も傷つけずに生きていける人なんてこの世にいないし、傷つかずに大人になる人だっていないんだって


とってもあったり前な話で、心を込めてこんなこと言ったって、


だからどうした?


と言われて終わりかも!ハハハハハ!


もうね、自分も子供の頃は散々悩み抜いたので、私の言葉が子供達に届くなんて思ってないんです。この私の先生みたいな話はね、説き伏せようと思って書いてる言葉じゃないの。


言葉なんてものは相手のことを思って発するものだけど、届かないことの方が多いんです。

それでもそれを届けと思うなら、それは、自分が相手を説得したという快感が欲しいからであって、ちょっと違うと思う。


もしかしたら、届くかなと思ってそこに置いて、でも、そこに置いたままで持ってってもらえない言葉になるかもね。

ただ、言葉というのは、ものすごく長い年月をかけて相手に届くこともありますから。


心というのは人の数だけ存在していて、人と触れ合おうとすれば、ぶつかることは避けられないものです。

だけど、自分の尺度で、相手がきっとこんなふうに考えてるだろうと思っても、みんな違うことを考えている可能性もあるわけで。


大事なのは、自分がきっとこうだろうと思っていた考えを他人によって覆される経験なのだと思います。


強くなろう強くなろうとみんなの見ていないところで一生懸命努力して、勉強頑張って人に尊敬されようとしたり、絵が得意だったからそれを描いてみんなに見せたり、裏舞台で頑張って、みんなのいる表舞台に上がった時は、ヘマをせず、完璧な自分でいたかった。


だけど、自分は変なんです。

なんか、自分が思う方向にみんなを喜ばせられなくて、ますます自分の殻に閉じこもってた気がする。


だけど、大事だったのは、完璧な1人の人間、強い人間ですね、になることではなくて、自分のいいところも悪いところも見せて、相手に甘えることだったような気がするよ。


そのままの自分を受け入れてくれる人がいるってことを知ることと、また、自分も完璧ではない他人を受け入れ、そして、あなたを受け入れているということを言葉と態度にして伝えることなのかな。


もう一つ自分が楽になったきっかけがあります。

それがですね。友達の数を数えなくなったことですね。


私は子供の頃、本が友達だったんです。

で、大人になりましたが、ふとした瞬間に気づいた。


あたし、本があれば1人でも寂しくないな。


全然寂しくないわけじゃなくて、ただ、他の人間と比べると、多分5倍くらい寂しくない。自分が必要としてるのは、周りにいて音を立てる他人=家族であって、別に友達がたくさんいて、あっちからもこっちからも遊びに誘われて私生活が充実してなくても、全然寂しくないなと気づいたんですよ。


昔はね、他人から見た自分がすごい気になって、週末とか音をたてる他人(=家族)と基本家にこもってることが多くて、そういうのって外から見ていけてないなと。だから、たまに人と会うときは自分をもってたかもしれないです。


本当の自分を隠して、充実しているようなフリをしようとすると、なんだかギクシャクしたものです。

そういうのをやめてからですね。人間関係が充実しだしたのは。


私は友達は少ないですし、積極的に友達と会う人間ではないですが、めんどくさい癖を持った自分と細くても長くても付き合ってくれる友達がとても好きですし、感謝しています。


友達としてあなたが必要だとか、ありがとうとか、会いたいとか、なかなかうまく今でも伝えられないんですが、失敗しても付き合ってくれる人たちがいます。


それと、人と人との関係性に、別に積極的に名前をつける必要はないんだと思う。

私はテレビや映画や本が好きで、自分の1人の時間を一生懸命他人と過ごす人間ではないですが、ただ、不思議なことに人間に対してある一定の好奇心は持っているんです。


昔に比べて、人と出会い話をするのが好きになりました。


たとえ、たとえば友達というような特別に続く関係にならなかったとしても、出かけた先で出会った人との話す時間を大切にし、楽しんでいます。その人と話すことを楽しむようになったら、向こうも私と話すことを楽しむようになりました。


10代の子供達に先生のように偉そうに言いたいことは、人間というのは一人一人違うのだから、みんながみんな、賑やかな場所でみんなとワイワイしなければならないわけじゃないと思うの。1人でいることが好きなのだって個性です。


ただ、1人でいることが楽だし好きな人間だって、人と関わりたい時はありますよね?

そんな自分の気持ちを理解して、同じ時を過ごしてくれる人はきっといる。

それが、音をたてる他人(=家族)だったり、たまーに会う友達だったりする。


ややこしい自分を受け入れてくれる、そんな人たちに感謝を忘れずにいたいものです。


朝日スーパードライを飲みながら

鬼も18

みんなかわいいよー!

若い皆様に素敵なことが起こりますように

使用後の汪海妹

(しかし、先ほど息子がまだ綺麗だよと言ってくれました!持つべきものは息子です!)









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