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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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家族という名の揺り籠












   家族という名の揺り籠

   2021.11.13











   

 かみさまの手かみさまの味①を毎日掲載しながら読み返してます。そして、改めて自分でこの作品で書きたかった事について考えていました。今後もどこかでこの事について書いていきたいと思っています。それはですね、誰か家族の中の一人に心の問題のようなものが起きてしまった時に周りはどうすべきなのか。


 私の作品の中には、仲の良い温かい家族と、色々な事情があって温かいとは言えない家族、或いは壊れてしまった家族で育った人たちがどちらも出てきます。冷たい家族が不正解で、人は伴侶を得て温かい家族を目指すべきだとそういうことが言いたいわけでもないのです。


 家庭というのはとても大切なものだと思ってます。

 世界の最小単位は個人でその次は家族だと思ってます。

 温かい家族が少しでも多ければ良いと思ってる。


 だけれど、温かい家族が完璧かというと、そうではないんです。

 書くのはとても難しいですが、だけれど、その温かい家族の中にある問題のようなものを書くべきなのかなと最近考えてるんです。


 問題のない温かい家族だったはずなのに、ある日いきなり不登校の子が出てしまったり、例えば今回の暎万ちゃんのように過去に嫌な思いをしたせいで軽い男性恐怖症になってしまったり。本人の苦悩だけでなく周りの家族が戸惑う様子も書きたかった。


 温かい家族ならではの問題、過保護なのかなと。

 無意識のうちに本来ならその本人ができることを本人から取り上げて、そして、守っていると言いながら囲っている。


 自分より弱い立場の人間を身近に置いて保護をしながら依存する。

 

 これは家庭という名の揺り籠の中で起きやすい出来事だと思ってます。

 親子、兄弟、或いは家族という名の下に多発する出来事だと思ってる。


 本人を心配していると言って守っている側の人間が本当はやっぱり弱いのです。

 相手が自立して自分の足で立ち上がって離れていくのを恐れている。


 愛情という言葉で一つに括られる行為や言動の裏には、さまざまな背景がある。

 これを言葉にしてしまうことは、実は暴力行為だなとすら、私は思っているのですが……。


 家族が何らかの心の問題を抱えてしまった時、周りの家族がしてあげられることは、見守り、そして、今はダメでも少し先の未来には必ずその子がしっかりと自分の足で立ち上がって立ち向かえると本人より先に信じてあげること。


 あなたは大丈夫と嘘の言葉をかけることではなくて、本当に大丈夫なのだと知ることです。

 人はそんなに弱くない。弱いと思わせている仕組みがあるだけです。

 

 それがもしでも、立ち直させたいと思っている周りの側にあったらどうしますか?

 問題を乗り越えるのは、例えば学校に行けなくなった本人だけではない場合がある。

 弱いと思わせてる仕組みを周りの家族が作っている場合があるからです。

 そして、学校に行けなくなった本人よりも、実はその仕組みを作った人、家族の方が或いは弱い場合だってあるかもしれない。


 心のバランスというのは本当に難しい。

 自分の心と向き合って、少しずつその原因が見えてきた時、だけれど相手を責めることなんてできないです。

 だって、相手は家族だから。愛する家族に対して、反発することはできない。

 だから、自分一人の心の中で大抵の人は問題を解決しようともがくのではないかな?


 私もそういう一人だったわけです。


 カウンセラーとか心のお医者さんとか、お世話になるほどの大問題にならなかった。

 だけれど、現代人はさまざまな問題で、やはり悩んでいると思うのです。

 一人でこっそりと治したいような問題を大なり小なり抱えていると思ってる。


 だけれど、それは、自分だけの秘密ですよね?誰にも教えたくない。

 だから、私は、自分の心の中で起きた秘密の出来事をもとに、ああでもないこうでもないと思いながら、こういう小説を書き始めたのだと思います。カウンセラーやお医者さんのとこまで行く勇気もないし必要もない。だけれど、悩んでいる人たちに何か届けることができないかと。


 心の問題は時にとても複雑だと思うのです。

 簡単に言葉にできない。

 そして、言葉にできないことは人間は解決できない。


 私は生まれつき他人の心の動きに敏感な人間でした。

 それに加えて幼少時の経験から周りの顔色を人一倍窺うようになった。

 何年も、なぜあの人はあの時怒ったのか、喜んだのか、そんな人の心の動きを観察しながら生きてきた人間です。


 そして、自分自身の問題を解決するために本を読んでは自分の心を言葉に置き換えてきた。

 文学をしたかったからか?そうではない。心の健康を保つために必要だったからです。


 犬が人間より鼻が効くのに似てる。

 私は他の人より周りの心の動向が見える。見えすぎておかしくなる。


 それを保つためには自分の心や他人の心を文字にして書いて、主観的なものを一旦客観的な目で見直して、自分の認識を置き換える必要があったんです。そして、自分が陥る心の罠から脱して、少しずつ周りの人と普通にコミュニケーションが取れるようになってきた。


 それは私しか知らない戦いだったわけです。親兄弟も友達も、恋人も主人も、やはり知らないでしょう。

 不思議なことです。そばに家族はいた。でも、人の心の中にはこんなにたくさんの他人は知らない自分が存在しているものなのだなと。


 こういうと大袈裟かもしれませんが、生き残るために続けてきたことが、こうやって大人になって周りの人と比べてみると、みんなにはできないことをできるようになっていたのかなと。もちろん、できる人はいると思う。だけれど10人中の10人ができることでもないだろう。


 何が?と言われたら、そうですね。人間の複雑な心の動きを言葉にすることです。


 じゃあ、人にはできない特技だから、折角だから活用しようと思って小説を書き始めたの?と言われると、そこまで軽い気持ちではない。


 自分は子供の時や、10代の時、そして20代の時もですが、本当に苦しんだんです。

 心の中で苦しんでいたので、周りの人には気付かれなかった。誰にも言えなかった。

 何とか乗り越えてやってきた。だから、同じように苦しんでいる人の大変さや辛さがわかるんです。


 何かしてあげたい。もしかしたら、この小説を書くという行為でそれができないかと思ってるだけです。

 どうしたらもう少しわかりやすく書けるか。読みやすくなれるか。

 苦しさだけでなくて、笑えて、最後には明るい気持ちにしてあげたい、そんなことを思いながら書いてます。


 

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