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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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朝起きて一番最初にすること












    朝起きて一番最初にすること

    2023.10.05












ちょっと汚い話で、ま、トイレなんですが、低血圧な私は起きたばかりの時はまだぼけっとしていることが多くて、まぁ、夢現なんです。夢の見方に個人差があるのかどうかわかりませんが、まぁ、結構バリエーションに富んだ夢を見ていて、それで、朝起きた時に、どれが夢でどれが現かわからず、トイレで用を足しながら、その取捨選択をしている。


これを割と長い間繰り返してきているのですが、その間にわたしの人生も浮いたり沈んだりを何度か繰り返しました。


今となっては昔の話なんですけど、何度か死にかけたなと思うんですよ。かろうじて命を取り留めた。脱藩でもした武士なんですかって話ですが、その死ではないんです。精神的に死にかけたってことなんです。


もしも、その死が私をしっかりとその鉤爪の中に収めたら、引きこもりになるかアル中にでもなってたかなぁ。

それが、なんとか逃げ切ったなと思う今日この頃。このことを逐一と書くと傷つける人がいるので、どうしようかな?身近にね、もう本人は既に亡くなっていますが、自分の鏡のような人がいたのですよ。この言葉を使うと、人生の手本にするって意味が入り込んじゃうのかな、でも、その意味では使ってなくて、頭のいい人で、すると、親や周囲の大人に子供の頃から非常に期待されて、そのストレスに耐えきれず、お酒に逃げた人です。


思春期の頃に、自分自身もその人と本当に似たような環境に置かれてて、でも、必死で逃れようとしてたんですね。だからずっと観察していました。どうしてあの人は、本来頭のいい才能のある人なのに折れてしまったんだろうって。


そこそこいい大学に受かって意気揚々としていた時、既に中高年の域に達していたその人と話したことがある。


「将来どんな夢があるの?」


その時、自分が何をいったのか覚えていないんです。ただ、それに対しての返事の言葉ではなく、その人の本当に疲れた様子を思い出す。いいね、若い子は夢があってとか、そんな他愛もない言葉だったと思うんですよ。


色々な人に糸をつけられて傀儡のように動いていた自分。その様子を見ながらきっと過去の自分を思い出していただろうに。


自分自身もその時の彼と似たような年齢になって、心から哀れだと思うのです。頭もあるし才能もあるのに、上手くそれを活かせなかったのはどれだけ辛かったろうと。そして、今の自分の思考にはまだその先があるのですが……。その人は、子供の頃から期待されてでもその期待に応えられなかったんですが、反対に彼以外にも期待されなかったけど、才能があってやっぱり活かせなかった人がいるなと。


才能って、なんなんでしょうね。


私の論理でいくとこの先は、みんながみんなそれぞれの才能を持っているって話に向かっちゃうんでしょうけど、でも、それは流石に無理がある気がするし。ただ、才能があることと、才能を活かして世に出るということはまた別のことのような気がします。


そういう意味では、世の中の才能というのは今すでに活躍されている方の数より多いのかなと。だけど、花を開かずにお墓に入る人もいるのでしょうね。


どうして花を開けなかったのだろう?

才能という言葉にも子供の頃から振り回されてきた自分。生き残るためには見逃せないワードでした。


才能って、自分は特別であるって思い込むように使われる、親の使う呪いなのかもね。

では、そこに本当に才能があるかどうかっていうのは、もう証明しようがないのだと思うよ。


才能もですね、勝てば官軍、なのですよ。

その人が世に出れば、その人に才能があったということです。まだ世に出ていない人を捕まえて、そこに本当に才能があるかどうかなんて測りようがないのですよ。それを


「君には才がある」


とその気にさせて、走らせるわけです。そして、どうもこれは見込みがないなとわかると


「期待してたのに」


そういって、その人を捨てて、より若く新しい才能に鞍替えするのです。親を含め、そんな人たちのなんと多いことか。


幸せとは、そういうふうに自分を見つめ自分から逃げずに何かをしようとはせずに、自分から逃げてその代わりに他人に便乗して他人に夢をみる。そういった人たちや人たちの言葉から自由になって、生きることではないでしょうか。


ここではあえて才能という言葉を封じて、人間にはみんなそれぞれ何かをすることのできる力というのがあると思うのです。

小さなものから大きなものまで様々な力があると思うのです。

煩悩から逃れて自分のなすべきことに真っ直ぐに向かえる人は幸せですよ。


お豆腐屋さんが毎朝早く起きて豆腐を作るとか、お肉屋さんがコロッケあげるとか、会社の経理部の人が、各部署から上がってきた伝票を今日もきっちり折り直しているとかね。


才能があるかないかというのは幸福とは関係ないです。本来、すべての人のすべての行動が世界を作っていますから、無駄な行為なんてないんです。それでもなんかかっこいいことをやりたいと思うのは個人の自由ですが、それならそう思った本人がヒイコラ頑張るべきで、その願いを人に託すなよと。自分の子供の卵を人の巣に置くような行為ですよね。


そんなことはどうでもいいのです。

話を朝いつもすることに戻す。


人生は沈んでたり浮かんでたりする。

自分の人生が今沈んでいるのか浮かんでいるのかは朝、この瞬間によくわかるんです。


「ああ、あれ、夢で良かったなぁ」


夢ってモヤモヤと悪夢であることもありますよね。そんな朝、夢と現の取捨選択をしながら、ああ、現に戻ってこられてよかった。夢で良かった。こう思えたら、今は浮かんでるんだってことですよ。


一時は戻ってきたくない現に戻ってきてたものです。際限なくなんでも起こるような夢よりも現の方がよりひどい、そんな時期もありました。朝起きて一時的に忘れていた、自分の現実に起こっていることを一つ一つ思い出す。最悪な気分です。地獄にでもいるような……。


朝起きて、洗面所の窓から斜めに差し込む光を私は毎朝眺めるのですが、天気の状態によって様々な光の様子を眺めつつ、それを見ている自分の心を描いてみる。それが毎日少しずつ違う。


生きるってそういう毎日を積み重ねたものでしかないです。


生きることが難しく感じる時もあると思うんですが、私自身も今まで何度もそういう朝を過ごしてきた。

ただ、それはいつまでも続かないとどこかで知っていて、そして、未来が信じられるうちは、人は生きていける。

真っ白であり続けることもないし、かといって、真っ暗なまま死ぬまでそれが続いてゆくってこともない。


白であり続けることが幸せってわけでもないし生きるってことでもないんですよ。

何度も何度も波は来る。大事なのは波を被っている今ではなくて、かつて波を被ったことがあってそれを乗り越えた自分なのです。

その過去の自分が、未来を引き寄せる。

今、波を被っていても、きっとまた大丈夫だと思えるのは、負けなかったかつての自分がいるからなんだと。


それができなくなった時に人は死ぬのだと思う。


会社を辞めて新しい仕事を始めてから、朝起きていつも思うこと。


あ、もうああいう目に遭わなくていいんだ。


毎朝、ちょっとほくほくと幸せなんですね。しばしその状態でぼけっとする。毎朝の儀式です。

それから、着替えて化粧して、朝のトーストにバターを塗る。


自分は弱い人間なので、というか暗い人間なので、やっと新しい仕事が始まっても、でも、また何か新しいストレスの種が起こるのじゃないかとよく不安になるのです。起こってもいないことをあれやこれやと考えて不安になるのは私の病気ですので。その病気の延長で小説を書いているわけですが。


やめたやめた。そういうことは起こってから考えればいいや。


最近の自分の魔法の言葉はこれ。

ランドセルを背負っている小学生のように、人生を生き直している気分です。

子供の頃に見た虹が今なら見える気がします。


汪海妹


人生というものは、海にローテクの舟で投げ出されるようなものである。

櫂は自らの手の中にある。

人は自分以上に頑張る必要はないが、そこで、自分以下になってしまってはならない。

やはり必死に櫂で水をかくべきなのである。

なぜならば、自分以下になってしまった自分を、人は自分で愛せないからである。

自分で自分を愛せない人間には、なんの力も湧いてこない。

自分の足で立ち、そして、前へ進むことは、その一歩がたとえ小さなものだとしても、誇りに思うべきである。


自らに誇りを持てない人間の前には、いかなる道も開けない。


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