はい、じゃんじゃん、はい、どんどん
はい、じゃんじゃん、はい、どんどん
2023.08.23
わんこそばを食べてみたいと息子に言われ、週末に家族で行こうとしていましたが、父が体調を崩してしまった。父は無理して行くといい、母が心配して反対する。
着替えて化粧までして行く気まんまんだったけど、断念しました。
誰かが嫌な思いをしているのにそれでも進むのはなんだか違うのです。遊びなのだし。強いて言えば、私の息子が言い出してることなので、ちょっとそこが可哀想かなと。日本にはなかなか帰って来られない身ですから。
父もそれを気にしたのかもしれません。
「行こう」
平日に行こうと言い出した。みんなで、ではなくて、4人で。わんこそばといえば盛岡まで行かなければなりませんが、車の運転が辛いと。我が家としては珍しいことですが、東北本線に乗って出かけることになりました。
二両だけ、1時間に一本だけの東北本線。この電車はボタンを押して扉を開閉するのです。夏の冷房の冷気が逃げないようにというよりは、冬の暖房の暖気が逃げないように。
「お母さん、子供の頃から数えても、この電車乗るの、すっごい珍しいの」
はしゃいで息子に話しかける。
「ふうん」
小学生なんてこんなもんだ。母がテンション高くても、非常にクールなものである。特に周りに他の人がたくさんいる場所では、な!
次、どの駅名が来るのかすら、知らない。結局は、町や市の位置関係が頭に入ってない。どうしてこうなるかというと、常に他人の運転する車に乗っていて、金魚のフンのようについて回って、金魚になったことがないからである!人間は自分で地図を見て歩き出す方向を決めなければ、頭の中に地図を覚えることのできない生物である。
地元なのに恐ろしいことに、全く聞いたことのない地名も混ざりながら、東北ローカル線の旅をゆく。もともと知識欲があるというか、調べ出すとマニアックに調べたくなる人間。地理は不得手だが、初めて聞いた地名は一つ一つ調べたい。地名には言い伝えが絡んでいるからね。
そういえば地元に姉体という地名があって、その名の意味を知らなかったのだけれど、まさに私の姉であるお姉ちゃんから由来を聞いた。菅原道真が都から追われた時に、妻子は妻子で流罪になりこの地に流されたのだそうです。901年の頃の話です。奥方が流された地が母体、長女吉祥妃が流された地が上姉体、次女梅枝妃が流された地が下姉体と呼ばれるようになったのですね。
……知らなかったな。
何年前の話だ?千年以上前の話だね。
ここはさ、雪の降る何もない寂しい土地ですよ。何もないというとさすがにあれですが、都から落ちてくればそうでしょう。どれだけ気を落としたことかねぇ。
で、1000年も経っているわけだけど、多分、東北の人たちの気質というのはあまり変わらないと思うんです。私がお江戸におっかなびっくりと憧れていたように、きっと昔の東北の人も、「おら田舎者だかんら」等々、都の人に対して強いコンプレックスを持ちつつ憧れていて、そして、根はいい意味で単純で優しいので、こんな何もないところへ流されてしまった奥方様と娘たちを憐んで、せめて少しでも気を楽に暮らせるように温かく接したと思うんですね。
心理的に、田舎に突然有名人のスターが来たようなものでしょう。ただ、ここに来た理由とここを立ち去ることが許されない理由が切ないわけで。
訛っていて、もちろん垢抜けてもおらず、学も文化も華もない。学問の神様の菅原道真の家人から見たらもちろん東北人は粗野だよね。流されてきた挙げ句、封じられた地で表向きには罪人の身であっても抜けない上流意識を保ち、皆様は東北の田舎者を見下したでしょうか?そこんとこはよくわからないよね。ただね、東北人→家人の方向では失礼なことはしなかったと思うよ。
東北人は警戒心が強いけれど、根はいい意味で単純でとても優しいですね。可哀想にと思って優しくしたと思うんです。そういう思いが今も消えない地名に残ってるのではないかしら?
盛岡の話をしようと思ったのに、例によって例の如く脇道にそれました。
私の両親は2人とも関西の出身で、私は純粋な東北人ともいえず、関西人である親が言う「東北人って」という思想にも影響を受けてまして、なんだか東北をただただ田舎と思い馬鹿にしていたように思います。
ただ、尖っていた生意気な若い頃を通り過ぎて、余計なものを削ぎ落としながら大人になってゆくと、東北ならではの良さというものにやっと気づいたというか。今回はそんな旅になったように思う。
「東北人って」と言っていた関西人の両親も、結局はここを離れたくないようですし。
盛岡にはですね、開運橋という橋があるのですが、これが別名『二度泣き橋』というそうなんです。東京などから転勤で岩手に飛ばされた人たちの間で呼ばれるようになったのが由来で、初めて飛ばされてこの地に赴任した時に、「遠く離れたところまで来てしまった」とこの橋を渡りながら一度泣き、転勤期間を終えて盛岡を去ることになり駅へ向かう途中に再びこの橋を渡り、今度は離れるのが辛くて泣くというもの。橋を渡りながら盛岡の人たちにしてもらった温かな思い出が胸に迫り、泣いてしまうというのです。新幹線開通当時ごろからの言い伝えだとか。
温かいエピソードですよねぇ。自分自身も転勤ではないけど、故郷から遠いところでずっと暮らしてるから、この、『遠く離れたところまで来てしまった』という心情はよくわかる。岩手に飛ばされる状況も人それぞれでしょうけど、中には栄転というより左遷と言える人もいるかもしれませんしね。落ち込んでいる人を見ていると、東北の人というのはほっておけないのです。忍耐強く励まそうとする。こういうのって地味であるけど、沁みるよねぇ。
あたしって、こういう地味な人間だよな。
そうか、私は関西人ではなくって、やっぱり東北人だったんだな。
目立たないけどね、こういう人も社会には必要だし、それに、人ってね、一番落ち込んでいる時にしてもらった親切って忘れないものだよ。それにほら、東北の人には裏心がない人が多いですからね。(全然いないとは言いません)これが私がたびたびいうところの、いい意味で単純。都会人のような複雑な駆け引きを心の中でしないのが、田舎の人たちのいいところ。
場合によっては都の人はね、こんな田舎の人たちを馬鹿じゃないのと思うと思うんです。
でもね……
本当のバカはどっちだ?
ここがミソではないでしょうか。私はこの、本当のバカはどっちだ?というテーマに沿って生きていくべきなのだと思います。
自分自身はこの単純で美しい故郷から遠く離れ、東京すら通り越し、中国の深圳という日々変化発展してゆく新しい都市にいて、今後は中国もただ一方に向かって発展するとはいえず、船が揺れるように浮き沈みする。生馬の目を抜くようないわば『複雑な』街にいる。
ずいぶん足を掬われて散々な目にあってやっと、何もないと思っていた故郷の緑が目に染みます。やっと私は、田舎の人たちを馬鹿じゃないのと思っていた青い自分から卒業できたようで……
また話がずれてしまいましたね。わんこそばの話はまた明日。
汪海妹




