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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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児孫のために美田を買わず













   児孫のために美田を買わず

   2023.08.10












旦那と姑と3人で葛西に一泊し次の日の午前中に2人を成田行きのバスへ乗せました。


「大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」


確かに大丈夫だろう。成田に着いたらあとは飛行機へのチェックインだけだし、主人は日本語が話せるし。子供ではない。


バスの予約をしてなかった。人数が多くて乗れなかったらどうしよう?


年中、さまざまなことを心配しては、小さなパニックに見舞われている私。ドキドキは止められない。このドキドキは止められない、という一文だけを読むと意味深だが、つまらないドキドキである。困った性分だ。


人数が多すぎて乗られないといったこともなく、無事2人が席に収まる。窓からこちらを見て手を振り合うといったことがしたかったのだけど、向こう側に座ったらしい。私から見えない。そんなドラマティックな3人でもない。だけどね、すぐ立ち去る気になれずにバスが出発して見えなくなるまで見送りました。


唐突な話ですが、舅と姑で言えば、正直な話私は舅の方が何倍も好きだったと思う。それなのにそんな好きな舅を日本に迎えて案内した時、なんだかめんどくさいというか気疲れしたものです。


今ならわかる。私は体で嫁ぎましたけど、心は嫁いでなかったなぁ。

中国人の家族を本当の意味では受け入れてなかったんです。だから、自分にとっては非常に貴重な一時帰国の機会を旅の案内に使ってしまう。実家に旦那ならともかく義父まで行くと、せっかく実家に帰ったのに帰った気がしなくてつまらない。


お世話になっているおじいちゃんに対して、きちんと感謝してなかったな。


今回、実家に帰ってかなり冷静に自分のことを見直しました。自分というか、自分の周辺のことです。実家は私が大学生から社会人になったばかりの頃、商売が全盛でそこそこお金を持ってました。今は全盛の頃ほどではありませんが、貧乏ではありません。姉が結婚して親の近くに住み、商売を継いだ。私は中国へ出て、中国人と結婚しました。姉は結婚して子供と共に父母のそばに住んだときに、家を建ててもらいました。実家の裏にある素敵な戸建てです。


社会に出るまでは、親は公平に私と姉にお金を使っていたけれど、自分は家を出て自分の能力と自分のお金のみでやっていかなければならない。それに対して長子というのは自由はないけれど財を分けてもらえるのだな。


十分大人になってはいたけれど、結婚した当初、戻る場所を絶たれたような気持ちになったような気がします。

あの時、人間としてもっともっと腐ってしまう可能性はあったよなぁ。


中国へゆき、不自由な生活をしながら、日本へ帰ってくると、日本で素敵な家に住んでいる姉一家がいる。


ただ、自分はそこで腐らなかった。自分を支えたのは、自立したいという強い思いですね。親からもうお金はもらえないと知って、じゃあ、自分でなんとかしないとな。自分たちでと。


それで、日本に帰ってきて、せっせと親と割り勘のようなことをするわけです。もちろん全てを割り勘するわけではないけれど、親の脛かじりが当たり前だった自分が、親にお金を出すようになった。


そういう10余年。


「コロナで帰れないから、一旦立て替えてくれる?」

「はいはい」


一時帰国の時にお金を預けて払っていた年金が払えない。海外送金は個人でもなかなか厄介で、困ってた。一旦親に頼みました。やっとコロナが明けて帰国できた。


「いくらだったっけ?」

「いいよ」

「へ?」


三年分だもの、結構な額。


「いいの?」

「いいの、いいの」


そこに久々に母の私に対する想いを感じました。そして、母の後ろには父がいる。

母は不器用な人ですから、言葉でうまく自分の心を表現することができない人なのですが、私は人の心を読むことに関しては不思議な才能がありますので、その言葉にならない部分の気持ちを汲み取った。


同じようにお金をかけてもらってきていて、ある日突然、何もしてもらえなくなる。

その横で、姉は今までのように、今まで以上にお金をかけてもらってる。


もし、私の器がそれに耐えられなければ、人間として大いに拗ねるし、ダメになってしまう。

それでも、夫婦で決めて、私にはある時点からお金をかけなかった。


大人になった今ならわかる。


父母が気にかけているのは、妹だけでなく姉でもある。

親としては私をたてて、姉がダメになってしまってもいけないわけです。


片方は自由にやれと外に出されて、片方は家を継げと内から出してもらえない。

家を継いでくれる子というのは、別格なのです。


児孫のために美田を買わず


西郷隆盛の詩の一節だそうですね。


親に突然手の平を返したように何もしてもらえなくなった時、もう、結構昔の話だけど、確かにショックだったよなぁ。姉ほどには愛されていないのかもという気持ちも湧きましたよね。だけど、その一撃が私の心の致命傷になることはなかったのです。上のような考えがあることを私は知っていたし、それにそうだなぁ。


自分は早熟な子供でしたから、子供の頃から自戒の考えを持って生きてきたのです。大人の読む本を子供のうちから読み漁っていたのでね。それで、親が比較的裕福であることに幾分の懸念を持っていた。


裕福であることは快適ですし、育った環境よりも下げた環境で生活することは苦痛です。

ただ、そのぬるま湯のようなところにずっといると、人というのは成長しない。

世に出るような偉い人というのは、若い頃に苦労した人だよなと。


そんな思春期の思想を得て、自分は買ってでも苦労をしろという教えに従うように中国へゆき、しかし、なんというのかな?早熟な自分が頭で描いていたようなものよりもっと、海外での生活、苦労をする生活というのは厳しかったです。口では偉そうなことを言って、でも、実際は逃げ出したくてたまりませんでした。


自分の理想と現実の厳しさの間で、逃げ出したくてたまらないような時に、親に退路を絶たれたような気がします。


口は達者だったけど、自分は別にそんな強い人間ではなかったんです。

周りの人に期待されるから、道化のように少し人とは違う立派な人を演じていただけ。


自分自身は現在の職に就く前は、日本語教師をしてましたから、給与待遇は低く、裕福ではなかった。貯金も大してない状態で結婚をした。私が結婚する前には姉は家を建ててた。姉には家があったけど、私が結婚しても家はない。


もしも、主人や義父母がお金に対して貪欲な人たちで、せっかく日本人と結婚したのに持参金が大してないのか、などというような人たちだったらどうでしょう?


義父母は私たちが婚約して、顔合わせをするような時から、そのことに気を遣ってました。

中国人が日本人と結婚する、そんな時に、お金目的であるかのような疑いを一片でも私の両親に感じさせてはならない。だから一生懸命、結婚した後、私を大切にすると結婚前から伝えてくれていたのです。誤解を招いて、大切な息子の結婚がダメになり、息子が傷つくことのないように一生懸命気を遣っていた。


そして、義父は私たちが結婚するときに、生前分与の形で私たちに家を買うお金をくれたのです。


それを頭金として自分たちの貯金もはたいて、私たちはマンションを買いました。

深圳のマンションの価格は、私たちが結婚する前からずっと長期間上り続けていました。もしも、結婚するタイミングでマンションを買ってなかったら、現在の価格のマンションには、手が届かなかったでしょう。


私は運のある人間だなと思うのです。自分に運があると気づいていなかったのだけど。

子供だったからですね。


私たちが結婚して家を買うときに、義父母は一言も、どうしてお前の親は少しもお金を出さないのかと言わなかった。言ってもおかしくなかったのに。


この歳まで生きてきて、お金というものは本当に魔物だと思います。

お金に汚い人というのは掃いて捨てるほどいるし。

お金に綺麗な人というのは、自分に運がなければ巡り逢えません。


私はお金に綺麗な家族のもとに嫁いだのだなと。

その時、義父が私たちにくれた金額は物価差がありますから、実父が姉の家の購入のために払った額より少ないでしょう。


ただですね、そこは金額ではない。

義父母が長い間必死に努力して貯めた大切なお金を息子夫婦のために出してくれた。

親の愛情に日本と中国の間で区別などありません。


美田の本当の意味をやっと今になって理解した気がします。


義父のくれたお金であの時マンションを買ったから、その後に深圳の不動産は更に上がり、私たちは資産を得ることができた。


人間は苦労せずに得たお金には、その真の価値を理解できないのです。そして、簡単に消費してしまう。

生き金というのは、投資をして、その投資先が活力を得て、次には自らがお金を産むようでなくてはならない。


いわば、真の意味で子供のために美田を残すためには、お金は十分であってはならないのだと思います。


義父のくれたお金は、私たちが楽して暮らしていけるような十分な額ではありませんでしたが、投資の元手にできるものでした。お金をもらって、そして、日本人の奥さんをもらった。もらってしまった。子供も生まれた主人は、それこそ自分の頭と能力を最大限に使ったと思います。必死で働いて、経験を積んだ。そして、独立したわけです。


もしも、私たちのマンションが値上がりしなかったら、私は姉を羨んで今頃腐ってたと思います。


早熟な自分は自立しよう、自立しようとして、そんなに強くないのに何も考えず故郷から遠いところへ飛び込んだ。

それで、自立したのかというと……

私には運と縁があったのですね。


私の人生は、自分で立つところにあったのではなかったのかと、今になって気づく。

私は、結婚運がいい人なのですよ。


飛び出した先で、お金に綺麗な人たちに拾われて、周りの人に助けられながら美田を耕しているのだと思います。


お金というのはね、そこにあるだけなのですが、人の人生を狂わせるものです。

大きな額のお金を簡単に手に入れてはならないなとつくづく思うようになりました。

簡単に手に入れたものは簡単に手放してしまうから。


苦労をしながら自分を育て、自らがお金を生み出せるようになって、いつかその美田を自分の両親たちが惜しげもなく手放したように、子供に渡してあげなければ。


自らが苦労して得たお金を、惜しげもなく大切な他人のために使うことができる。


これこそが人として美しいということではないかと、思うのです。お金の使い方には人間が出ます。


話を我が父母のもとに戻します。


実の両親と割り勘時代に入ってからもう長い。一旦代わりに払ってもらった年金を返さなくて良いという。

いいの、いいのに含まれた気持ちを考える。


私にお金をあげたくなかったわけじゃないのだよな。

うちの両親もですね、お金に綺麗な人たちです。惜しげもなく子や孫にかける人達ですよ。

ただ、お金の掛け方を間違えると、姉か私かどちらかが浮き、どちらかが沈む。


世間を見渡してみれば、お金が原因で仲の悪い兄弟、姉妹、多いものです。


姉妹どちらも結婚して、どちらも子供がいて、どちらの生活もまぁまぁ安定している。

この状態であれば、多少の金銭を私に渡しても波風は立たないのかもしれません。


三年分の年金、当てにしてなかったけど、払ってもらっちゃった。

助かるな……


でも、年老いた父母の老後資金を目減させてもな、今回の帰国中に銀行引き落としにしてゆきましょう。


そして、場面を成田行きへのバスを見送るところへ戻す。


私にとっては舅がより好きな人でした。姑よりね。

死後にますます好きだという気持ちが増しました。だけど、なくなってしまってから感謝したり、好きだと思う気持ちが増えても、本人に返すことができないんです。


おじいちゃんが日本を訪れた時、心からの接待をしてあげられなかったなぁ。

……子供でした。


だから、おじいちゃんへの感謝の気持ちは、姑を大切にすることで返さないと。

流石にバチが当たるなと。


姑と私は似ています。人間だし、お互いに欠点はある。だけど、性根が曲がった人間じゃない。


おじいちゃんを日本で接待したよりも、おばあちゃんを接待した時の方が本気度は高かった。

私なりにお金を使いました。


自分の運気を上げるためには、他人のためにお金を使えなくてはならないのだと思います。

他人のためにお金を使って、そして、喜んだ顔を見た時に満たされる、そうやって自分の器を広げなくては。


お金は天下の回りもの


人のために使ったお金は巡り巡って自分の元に帰ってくるのかもしれません。

ただ、私の場合、お金を回収するのは自分ではなく主人のようです。

私は金運がなく、但し、結婚した相手の金運をあげる人のようですから。


東京駅で見た美術展の話を書こうと思ったのに、別の方向へ行ってしまいました。

この次では甲斐荘楠音について書きましょう。


日本の実家より

汪海妹









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