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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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帰路












   帰路

   2023.08.09














息子と私を置いて先に帰る主人と姑を送るために、3人で上京する。幼稚園の時に二度、実家に留学(?)したことのある息子は数日1人になることに対してケロッとしていました。


東京駅から東西線に乗り換えて葛西へ向かいます。昔から仲のいい友達が葛西に住んでいるのと、成田へゆくにも羽田へゆくにも利便性がいいんですね。直通のバスがあるので。それで、一時帰国の際には葛西に泊まることが多い。


迷路のような東京駅をクネクネと歩く。時々振り返って主人と姑がついてきていることを確認しながら。


東京駅の巨大さと訳もわからなく広がってる感じが大好きです。もともと自分は東京が好きですね。深圳と東京を端的に比較すると、深圳というのは新しいのです。一気に広がった都市という感じで、全てが新しい。それに対して東京は歴史のある都市ですね。新旧入り乱れている。私はこの、新旧入り乱れている景色が好き。カオスとでもいうのかな?


特に東京の地下鉄の乗り換え通路が好きです。もう、迷路!地方人が目を回すこと間違いない。


自分が安心してふっと気が遠くなりそうなほどに恍惚とする瞬間というのがあるのですが、大きな図書館、あるいは大型書店、そして、地下街。さらに倉庫?落ち着きますねぇ。


簡単に言えば、世界の片隅にいる人間として、無視されたいのです。

……


変わってると言われるのかなぁ?でも、きっとわかってくれる人もいると思うのだけれど。


多分、成績が良かったせいで子供の頃から親や教師に期待されて、自分は本当は人間不信で本や知識のような物、或いは、キャンバス。そういうものに静かにコツコツと延々と取り組みたい人間だったのに、苦手な役を演じてきました。


だから、そういう人たちから逃げ出して、失踪人になりたかったんだろうなぁ。

例えば大きな図書館で、或いは東京駅のようなマンモスな地下街で、ただのとるに足りない普通の人として肩の重荷を外して、自分らしく生きたかったのだと思う。片隅にいたかったんです。


そして、片隅に辿り着いた自分はそれでも、きっと、書いていたと思います。

或いは描いていた。


書くことも描くことも、自分にとっては純粋に自分の夢でした。

東京駅の迷路をゆきながら思う。たくさんの知らない大量の人たちが行き交う道をゆきながら思う。

深海をゆく魚の群れのように見えましたねぇ。


誰もがきっとこんな重荷を背負わされながら生きている。この世の中で最初から自由な人間などいないのだと思います。


だけど、本当の自分と演じさせられている自分との差があまりに激しくなってそれに耐えられない時、人はきっと失踪する。私は中国に逃げて、そして、生きながらえたとある意味、思っています。或いは、日本で失踪して、こんなふうな地下街のどこかで働いてみても面白かったなぁ。


私を知る人や過去を全て切り捨てて、失踪してしまい、東京の人海レンハイの中に自分を隠してしまう。そして、清貧に暮らすのです。余った時間は1人で好きなだけ本を読み、そして、書き綴りながら。


でも、私の親はきっと血眼になって私を探し出すでしょうねぇ。そういう人たちですから。

憎んでる訳じゃないんです。でも、重かったなぁ。ありとあらゆる期待。家族って重いですね。


「こんなに広いのか」

「広いねぇ。東京駅は日本で一番大きい駅だからねぇ」


荷物を引き摺りながら、やっと東西線に辿り着きました。切符を買って地下鉄の改札をくぐる。夕方の退勤の時間にかかってしまって、混んでいたので席がない。スーツケースを抱えながら、立ってました。私たちはいいのだけれど、70オーバーの姑がちょっと可哀想でしたね。


「こんなに混むのか」

「ピークはもっと混むよ」


どこまでも続く蛇のような車体の滑り込んでくるホーム。人、人、人。

そんな車内でおばあちゃんと中国語で話していると、暗い顔でそっと私たちから遠ざかった女性がいた。


おばあちゃんは気づかなかったけど、私は特別そういうのに勘が効くので、ピンときました。


この人、中国人が嫌いなんだなと。


そして、その次の瞬間にこう思った。


お前なんか、ヨーロッパに行って今度は欧米人に同じような顔されてしまえ、バーカ、バーカ。


ハハハハハハ!

ほんっとすみません。読み流してくださいね。


ただね、日本人で中国人を嫌いな人に言っておきたい。欧米人で東洋人が嫌いな人にとっては、日本人も中国人も韓国人もないんです。ぜんっぶ、ひっくるめて全部嫌いです。教養のない、手癖の悪い、金も持ってない民族だと見下されていて、日本がどこにあるかも知らないから。


「なんでお前は英語が話せるんだ?中国人のくせに」

「私は日本人です」

「……」


イタリアでとあるお婆さんにかけられた言葉です。私の人生の中で貴重な経験でした。


相手がどんな人なのか、全く知らないのに、例えば中国人だからって理由だけであからさまに嫌う人が嫌いです。ただ、残念ながらどこの国にも一定数こういう人はいます。日本にだって、中国にだって、ね。


そういう人に言いたいのは、欧米に出てゆけば、自分だって欧米人に同じようにされるのだと知っていただきたい。

日本が経済大国だと認識していない方達がいますし、それに、中国だって経済大国だしな。

そんな事実は認めず、イエローモンキーは教養がないと見下してくる人がいるのです。


テレビの中でしか欧米を知らず、日本に来日するアジアが好きな欧米人としか接したことがなく、世界のどこへいっても日本人は尊敬されているなどと思ってはなりません。


イタリアへ行けばイタリア人は世界の中心をイタリアだと思ってるし、それを鏡だと思えば、日本人は日本が世界の中心だと無意識に思ってる。だけど、事実は、日本は世界の中心ではありません。


私にとって国際人とは、日本は世界の中心ではないと知ってる日本人のことかな。

日本を愛していないわけではなく、ただ、事実を言っているのみですが。


やっとホテルに着いた。

今回の旅では、ずっと少し良いホテルをとってきましたが、葛西では普通にホテルとった。節約だ。


「狭い!」

「これが東京の普通のホテルだよ」


狭さに驚く姑に旦那が答える。中国はさ、こんなに小さいホテルはなかなかないよ。値段も中国のほうが安いですね。

ま、しょうがないよね。物価が違うから。


それから、部屋で少し落ち着いた後に夕食を食べに外へ出る。


「どっかそこらへんでいいよ」

「いいえっ」


葛西はよく来ています。この前、春節の時に友達と息子と3人で食べた焼き鳥屋があった。二軒目で訪れた店だったのですが、美味しい店でした。しかし、すでに腹の膨れた息子が、さっさとホテルへ帰ろうと騒ぐので堪能できなかったのです。


葛西のなかじまという炭火焼きのお店です。


「こんばんはー」


暖簾をくぐると、結構混んでました。手を消毒して席に収まる。


私は子供の頃から両親と一緒に美味しいものを求めてあっちゃこっちゃ歩き回った人。主に父の信念を引き継いでいるのですが、美味しいものはとにかく味。店の内装には拘りません。お店が綺麗でもレトロで雰囲気があっても、或いは非常にオシャレでも、またはあまり新しくて綺麗でなくとも、どーでもいい。ガード下だろうが、一流ホテルのレストランだろうが、そこに美味しいものがある限り出かけてゆく人間です。


その中で培った野生の勘があり、美味しい店には美味しい店の佇まいがある。この店はうまい!(というか前来てうまいと知ってる)


ただ、主人はレトロなお店とか居酒屋の雰囲気より、上品な店が好きなのです。中国人ね、日本食を食べる時は贅沢をしている時なので、居酒屋だと普通だと思ってしまうみたい。普通なのに中国より高いのですから機嫌が悪くなるのです。


モヤっとした顔になったぜ。まぁ、旦那、そう言わず席に座ってくださいな。へへへ。


焼き鳥ってとこも微妙でした。なぜかといえば、鶏肉料理って中国で山のようにあるのです。

日本でしか食べられないのは魚だろっと思ってるのです。主人はね。

中国に帰っても食べられるもの食わすなよ、という圧を感じる。まぁまぁ旦那、そう言わず。へへっ。


天ぷらと焼き鳥は中国でも食べられます。日本食屋さんで。

或いは、趣は変わってもいいなら、中華料理で鶏は食べられる。


しかしですね、焼き鳥は焼きが命。

適当な日本食屋の焼き鳥なら、私は別に焼き鳥好きじゃないや。

きちんと焼ける人の焼いた焼き鳥なんて、中国じゃ食べられないからな。


そして、鶏なんて中国でも食べられると思っている主人を思って、焼き鳥屋で焼き魚を頼む。


「あゆがあったよー」

「お」


機嫌をとりました。成功。それから銀鱈の西京焼きを。それからしれっと椎茸やらシシトウやらを含めつつ焼き鳥を頼む。

ねぎま、つくね……、キヒヒ。そうそう、揚げ出し豆腐も頼んだよね。


揚げ出し豆腐のだしなー。


お店って、それぞれの出汁の味を持ってるよね。味わい深かったよ。

出汁が話しかけてくるっていうのかなぁ。ちゃんと、個性があるのだよね。


「失礼ですけど、あなた、中国人?」

「へ?」


突然、年配の女性が話しかけてくる。おそらく年齢と風格からいって、女将だろう。


「いや、私は日本人で、こっちの2人が中国人です」

「あらっ」


女将さん、たじろいだ。多分ね、中国人と間違えて私の気を悪くしてしまったかしらと気を遣ったのだろう。この旅で、何度も日本語の話せる中国人と間違えられた。そんなことぐらいで気を悪くなんてしませんけどね。


しばらくすると女将さん、気を取り直してまた席へくる。


「ね、こんなこと聞いたら失礼だけど、どうして中国へ行こうと思ったの?」

「はぁ」


この方、もう70代の方だったんです。おばあちゃんと同じぐらいの年齢で、でも、チャキチャキ働いていた。やっぱり女将さんでした。


「前にね、お店にも中国人の子が働いていて、日本人男性と結婚したのよ」

「そうなんですか」


もともとお店で中国人の子を雇ったことがあった。女将さんとしては、炭火焼きのお店をしながらそれを通じて、国際交流をしていた。だから、お客さんの中に中国人の人が来た時に、好奇心が抑えられなかったらしい。


いや、目がキラキラしていて、元気な人だなと思いました。


どうして、中国へ行ったの?


それで、企業の面接を受けているわけでもなんでもなかったけど、なんて言おうかなと考えを生ビール流し込みながら考えつつ話す。


「若い頃に日本と外国の文化の違いというか考え方の違いに非常に興味を持って」

「うん」

「日本にいる身で書物にそれを求めるよりも、現地で生きた経験の中で日本と外国は何が違うのかというのを学びたかったんです」

「へー」


そして、女将さんはこう言った。


「あなた偉いわねぇ」


肩をポンポンと叩かれました。


その時、こんなことを思った。一口に70代と言ってもいろんな70代の人がいる。バイデン大統領も70代ですね。例えばバイデン大統領のようにテレビに報道されるようなことに携わっている70代の方を見て、大抵の70代の方は、


「頑張ってるなぁ」


と思って、でも、自分はバイデン大統領とは違う。あとはただ、静かに消えてゆくのみなんて思ってるのかなと。


だけど、中には、働きながらまだ目一杯な好奇心を持っていて、自分の立ち位置でできることはしたいと思っている人がいるなと。


国際交流とか国際貢献なんて書くと非常に仰々しいですが、この世は一部のトップの人たちと多数の普通の人たちで構成されている。自分のやっていることが大きいとか小さいとかいうことに一喜一憂することなく、できることをすることが大切なんじゃないかな。


自分が満たされるためには。


この70代の女将さんは、この焼き鳥屋さんを足場に、立派に国際社会に所属しているなと思ったものです。


「ね、なんで、奥様と結婚しようと思ったの?」

「え……」


主人が日本語がわかると知ると、主人にも話しかける。


「いや、クレバーだし」


なぜか、英語混じりになったぜ。


「えっと、頭がいいし」


言い直した。それからなんて言ってたっけ?酔っ払って忘れたぜ。


お味噌汁をサービスでいただいてしまって、その後、焼きおにぎりが来た。


「ああ、全然違う」


焼きが違うと、たかが焼きおにぎりが最高に美味しかったぜ。それとね、レバーだね。あのレバーの焼き具合。

美味しかった……


「日本のお米は美味しいねぇ」


おばあちゃんがニコニコする。


日本で一番美味しかったものは何か?


米は南の中国人にとっても大事な食べ物で、ソウルフード。どんなに中国に長く暮らしても、中国の米をうまいと言ったことは一度もない。これは、日本に対する私の愛。中国のこめをうまいと言ってしまったら、浮気をしたような気分になるのだぜ。


そこをおばあちゃん、日本の米をうまいと言っていいのか?


私が浮気をしたくないように、おばあちゃんも浮気をしたくないのでは?


「お米だけ食べれたらそれでいいねぇ。ご馳走だよ」


私の愛してやまない日本の米を美味しいといってくれたお礼に、私も中国の食べ物を美味しいと言わねばなるまい。


本当に美味しいかどうかを脇に置いておいて、自国への限りない愛をもとに、おばあちゃんと私は食をかけた相撲合戦のようなものを延々ととり続けてきたように思う。土俵の上でさ。


ただね、事実はどうか。

中国にしかない美味しいものがあり、日本にしかない美味しいものがある。

そこ、素直にお互い、美味しいでいいんですよ。


バカな意地を張り続けてきたよねぇ。


「あなたは一体何歳なのか?」


ふと店員さんに尋ねるおばあちゃん。翻訳しました。


「わたしと同じくらいではないのか?」

「いや、わたしの方が上だと思いますよ」


若く見えたのかもしれない。そんなことを言われた。しかし事実は店員さんも70代だったんです。


「同じくらいだねぇ。見えないねぇ」

「あなたが羨ましい。わたしも体には自信がある。雇ってくれ」


みんなで笑った。


「いいよ、いいよー」


歳をとっても働いて人の役に立ちたい。


食うや食わずの苦労を経て、必死に働いて2人の息子を育て大学に行かせ、やっとこれからのんびりしようと思った矢先に夫を亡くし、息子夫婦と暮らしながら孫の世話をしてきた。そんなおばあちゃんの願いはやっぱり、働きたいなのだなぁ。


「日本の年取った人は、元気だねぇ」


帰りの夜道でみんなで話す。


「働いていると元気でい続けられる。日本の年寄りはすごい」

「そうだねぇ」

「わたしも働きたい」


中国では、退職後も働き続けるご老人なんてはっきりいって珍しい。みな、孫の世話をしつつ楽隠居です。


でも、きっとおばあちゃんは、中国に戻って日本はどうだったかとおばあちゃん友達に聞かれたら、


「日本の老人は働いていたぞ!」


そう力説するだろうなぁ。


「わたしたちも働こう!」

「え〜」


しかし、中国のおばあちゃんたちで、うちのおばあちゃんみたく働きたがる人は少ないのではないかしら?










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