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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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嫁と姑













   嫁と姑

   2023.08.08












 舅は、息子がまだ幼稚園生だった時に胃癌により他界しました。


 舅の胃に癌が発見されるより遡ること数年、主人と舅と息子と私とで、日本を旅したことがある。あの時は東京でスカイツリーに登った後に、父母の計らいで松島を旅した。あの後に舅は病気になってしまいましたので、あの時、旅できて良かったよねと主人やみんなと何度も言っていたのです。


 舅は明るく開放的な性格で、いい意味で好奇心の強い人。せっかく息子が日本人と結婚したのだから、日本を見てみたいと積極的だった。対する姑は、もともと乗り物に乗るのが嫌いなのですね。それに加えて海外や新しいものに消極的とでもいうのかな?食事が合わないのが心配だとか、また、旅行費用が高いのが嫌だと言ってついてこなかったんです。


 日本から戻ってきた舅が、日本はこうだったとかああだったとか、姑はそんな話を聞いていた。


 その後程なく、舅は血を吐いて、胃癌が見つかった。胃癌が見つかってから約1年後、永眠しました。


 その姿が心に焼きついた。舅が亡くなる姿と、舅を失う姑、義兄、そして、主人の姿が心に焼きついた。


 一言で言えば、舅に私は、姑や主人を託されたように感じたのです。直接的に言われたわけではないけれど、晩年のその一挙手一投足にそういった思いを感じ取っていました。これは、人の命を前にした約束のようなものですね。死にゆく人との約束です。


 裏切れないなぁ……


 恋愛と結婚は違う。結婚はやはり誓い。

 私の誓いは、ただただ主人と誓っただけではないのだと思う。

 主人を裏切れば、主人だけでなくて、舅や姑、息子、またそれ以外のたくさんの人を傷つける。


 結婚する時には見えてなかった。結婚っていうのは、重いですねぇ。

 特に、2人の間に子供が生まれたらね。


 舅は軽やかに日本人と結婚した息子と嫁を受け入れ、楽しめる部分では楽しむ人でしたが、姑は日本と中国の経済格差を、ただただ快楽として受け入れることには強い抵抗があったようで、日本のものだけではなく中国の現在の豊かさを嫌がって受け取ろうとしない。


 おばあちゃんが変わったのは、どの時点でだったんだろう?


 舅を失った我々で、そこそこ仲悪く暮らしてました。

 我々がぶつかるというか合わないのは特に食事で、毎日のようにおばあちゃんの作った中華料理を食べたくない私は、時折自分の分だけ自分で作ったり出前をとったりする。その度に機嫌が悪くなり、文句を言うおばあちゃん。


 そのうち、おばあちゃんの料理が変わりました。

 おじいちゃんという喜んで食べてくれる人を失い、私は歩調を合わさない。

 息子は私の顔色を窺いながら、やはりそこまで喜んで食べない。

 主人は外食が多く、家になかなか帰ってこない。


 何を作っていいのかわからなくなって、料理の腕が落ちたのです。


 家庭内での戦のようなものだったのだろうな……。

 おばあちゃんも辛かったと思います。でも、私も辛かった。


 こんなに食事の好きな家族に育てられた自分が、結婚相手の主人には自分の作ったものを食べてもらえず、息子のためにも料理ができない。こんな結婚がしたかったわけじゃない。


 そして、おばあちゃんにとっては、作っても作っても思うように食べてもらえない料理を作り続ける日々です。


 私はおばあちゃんが作るものを積極的に喜ばず、その仕返しとして、外食へゆこうとすると自分は絶対行かないという姑。


 おばあちゃんの料理がそこまでまずいわけではなく、中華料理が嫌いなわけでもない。

 だけど、自分は日本人なのに、毎日のように人が作ったものを食べ続け、息子に味を伝達することができないかもしれないというこの思い、これは経験した人にしかわからない苦しみだと思います。


 食べることを大切にしている人たちだからこそ、ますますぶつかり合ったというか。

 相手の口を無理やりこじ開けて、本人が食すのを望んではいない食べ物を詰め込み、


「美味しいだろ?美味しいといえ」


 極端に言えば、こんな争いを家の中でしていたようなものです。


 そんな私たちがちょっと和解した。

 本当に何がきっかけだったのだろう?

 多分ね、特にきっかけってなかったんだと思う。


 ただ、私もおばあちゃんも、長いことそういう争いをしていて疲れたのだろうなぁ。

 それとですね、めちゃめちゃに争ってはいましたけど、でも、私もおばあちゃんも人間として性根まで腐っていなかったってことかなぁ。


 お互いを死ねばいいとまで呪うような人間ではなかったってことですよ。


 若い頃に苦労して、ほとんど遊んでいない。ずっと働き通しで、そして、大切なおじいちゃんを失ってしまったおばあちゃんを、死ねばいいとまで思うくらい憎むことなんてあり得ません。


 そのギリギリの境界線は越えなかったよね。

 どんなにイライラしても、相手を崖から落とすようなことはしてはならないし、落とされなきゃいけないような酷いことをおばあちゃんがしてるわけじゃない。思うに、私もおばあちゃんも、母性本能の暴走を起こしているようなものです。


 母性は理屈じゃない。息子は私のものです。

 この絆の間に立ち塞がるものは、敵だとみなすということです。


 母性というのは合理的でも論理的でもなんでもない。

 私がしたことが正しかったのかどうか他のことについてはともかく息子のことに関してだけは迷わない。子供にとって何より大事なのは母親との絆。母親の代わりに別のものがそれを担うなどあり得ない。


 子にとって必要なのは母であり祖母ではない。

 母として子供のそばにいたいし、母として息子のために料理をしたい。

 毎日でなくともいい。息子の食べるものを作りたい。


 誰かに任せることなんてできない、そういう態度を示すことこそが、愛情を示すということではないでしょうか。

 お母さんは他人と争ってでも、自分の子供のことに関しては前に出るべきだと思うのです。


 話がずいぶんずれましたが、姑とはずいぶん争ってきたように思います。まだ結婚したばかりの頃に他人にこの愚痴をゆうと、半分くらいの人はこういった。


「でも、お姑さんがいるから家事をしなくて済むわけでしょ?感謝しなきゃ」


 自分1人で家事と育児をこなしている女性こそこんなふうに言いました。

 じゃあ、私が悪いのかよと。

 モヤモヤしたよ。モヤモヤしたー。


 自分が人間としてできていないから、姑に感謝できないのであって、私はわがままなんじゃないか。


 答えはすぐに出ませんでした。自分としては結構、この時、追い詰められてました。結局はこういった悩みが行き詰まって、息子が大きくなったら離婚した方がいいんじゃないか。離婚したいと思うようになるのですから。


 そして、それからまた少し経った今になって思うことなんですけれど、こういう人生の悩みにとって大事なのは、

 

 自分を殺さず、相手も殺さずということなんではないですかねぇ。


 私が悪いのか、姑が悪いのか、どうすれば関係がうまくいくのか。

 10年近く小競り合いを続けながら、結論の出なかった問題で、きっと同じようにおばあちゃんも困ってたと思います。

 ただ、自分の素直な気持ちを無視して、私が我慢すればいいのだとは思わなかった。


 心から感謝できるのでなければ、感謝のふりのようなことだけはやめよう。

 自分にとって大切な考え方ですね。自分の気持ちに嘘をついて、綺麗事は言いたくない。

 おばあちゃんに感謝できない自分が子供なのかもしれないけど、自分を殺して有り難いとかそんなことを言うのだけはしない。


 結婚というのは、異文化の交流に似ている。

 私の家の生活の仕方と主人の家の生活の仕方、どちらがまさっていて、どちらが劣っている、結婚生活で起こる衝突の大抵のことは、甲乙つける類のものではないと思うのです。ただ、違う。そして、ずっと一つの方法で暮らしてきた人間にとって、相手に合わすということは不愉快なことなのです。


 お互いに不愉快だなと思いながら、喧嘩し合いながら、妥協点を見つけてゆく。それが結婚ではないか。

 いうのは容易いですが、実践は難しい。しかし、世の多くの夫婦が日々相手の言い分をききながら相手を理解しようと四苦八苦しているわけです。時にそれが決裂して離婚してしまう夫婦もあると思うのですが、その原因は相手を間違って選んだからでは、ないのではないかなぁ。


 できるだけ自分と近い相手を選ぶのは重要ですが、それでも、自分と違う他人と夫婦になるわけです。選択が重要なのではなく、選択した後の努力が重要なのかなと、思う。


 自分ばかりが折れてもうまくいかず、相手ばかりに折れさせるのもよくない。


 10年ほど前には嫌がってついてこなかった姑が、日本旅行についてきた。よくよく見ていると新しい靴を買ったり、おばあちゃん仲間に日本に行くんだと自慢してたり、楽しみにしている様子が伝わってきた。


「この靴でいいか?変ではないか?」


 日本へ行くときに、浮いて見えないかと気にしている。


 その時、思った。自分はおばあちゃんに優しくしなければならないし、するべきだと。

 いえ、少し違う。正しくは、私としては珍しいことですが、優しくしてあげたいと思ったのです。


 私としては珍しいことだった。


 優しくしなければならないとは思ってました。でも、大事な息子を奪う敵のように思っていた。優しい気持ちをわかせることができなかった。ことあるごとに喧嘩してきた相手です。うまくできない。


「大丈夫、大丈夫」


 みんなで日本へ来た。観光地を巡る合間合間にぽつりぽつりと、舅が生前に日本はこうだったああだったと語っていたんだと姑が話す。おじいちゃんの話を聞きながらおばあちゃん、本当は日本に来てみたかったんだな。やっと気づいた。


 わたしなんかいいから。わたしなんかお金を稼ぐこともできない身だし、いいから。

 そんな風に言って、こちらの提案を片っ端から断ってしまう。でも、本当は日本に来てみたかったんだな。


「日本に来たら、別にそんな有名なところへゆく必要はない。ただ、あなたの生まれた街が見たい」


 舅も日本に来て、実家へと辿り着き、姉の子供たちを眺めては、ニコニコ、ニコニコしてました。


 舅と姑は、息子が日本人という外国人と結婚することを一つも反対せず、そして、私を家族として受け入れてくれた。だからこそ、わざわざ日本まで足を運び、親戚である姉一家の子供達を前に、喜んでいるのです。


 中国人は家族を大切にする。


 贅沢がしたくて、物見遊山がしたくて日本に来たかったわけじゃない。私が生まれた国と家を見たかったからです。


 おじいちゃん……


 癌を患い、余命数ヶ月の体でそれでも一歩、一歩、自分の足で歩いて去って行った舅の背中が目に焼きついて離れない。外国人の私を家族として大切に思ってくれた。そして、自分が亡くなった後の残される家族の心配をしていました。特に姑の。


 私は国際結婚という少しややこしい結婚をしましたけど、婚家に大切にされている。これは結婚した人の全てが与えられる保佑バオヨウではありません。


 私を受け入れた中国側の家族というのは、ある視点から見ればまるで、痛ぶられて育った野良猫を保護したようなものだったでしょう。良かれと思ってあれこれしても、私はみんなを爪で引っ掻いていたようなもの。それでも、辛抱強く家族として接してくれた。


 10年という歳月を経て私たちはやっと家族になれたような気がします。嫌悪感や違和感を全く覚えずに、家族として観光をして、家族として実家へ里帰りした気がします。


 実家に着いた次の日の夜、みんなで寿司を出前して食べようという話になった。


「でも、おばあちゃん、お寿司が食べられないのだよ」

「⚪︎⚪︎さん(主人)は?」

「食べられる」


お寿司を出前しつつ、食べられない人のために料理をしようと決めた。主人と姑と父とスーパーへゆく。


「何が食べたい?」

「なんでもいい」

「でも、食べられないものもあるでしょ?」


中国人は、冷たいものが嫌い。飲み物も食べ物も。


「自分が作れるものを買いなさいよ」

「うん」

「作れないもの買ってはならないよ」

「うん」


姑の中では私は料理ができない人。確かに普段やってないのでできないと言えばできないが、全然できないわけじゃない。


「きゅうり、嫌いじゃなかったよね?」

「うん」

「トマトも食べるか?」

「わたしだけのためにそんなに買う必要はない」

「いいから、いいから」


切り干し大根の煮付け、鰤の照り焼き、シシトウを炒めたの、キュウリとニンジンをスティックにして味噌添えて出した。

ご飯を炊いて、それからあとはお寿司があった。そうそう、ナスも焼いて生姜醤油を添えた。


おばあちゃんのために料理をする日が来るとはな。


私が作る料理は口に合わないと言って、息子以外はあまり食べないのです。でも、この日はちゃんと食べていた。


「このナスは、本当に美味しい」

「そうなの?」

「皮がとても薄い。こんなのは中国にない」


主人は日本の魚が好きだけど、おばあちゃんは反対に野菜が好きなのではないかと思って、野菜を一生懸命準備した。喜んで食べてくれた。


同じ物を見て綺麗だねと言いたい、同じ物を食べて美味しいねと言いたい


とても単純なことですが、中国と日本、慣れ親しんだ文化が違うと、相手の異なる食文化を受け入れるのは一苦労です。

それがやっと、一歩踏み出せたように思う。


やっと……


やっと、無理をせずに姑に優しくしたいと思えるようになったのかもしれません。

これは、これで、老子の教えの実践だなと。


自分を主張しても、相手とぶつからないようになった


これに到達できるように日々精進あるのみです。


汪海妹








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