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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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トンネルを抜け出たらそこは












   トンネルを抜け出たらそこは

   2023/07/25












 川端康成の有名な小説の冒頭をお借りしてみました。


 文豪の言葉をお借りすれば、最近、物理的にも心理的にも姿勢の悪かった私の背中も伸びるかと思ってのことです。


 トンネル……


 ここ数年、働きながら感じていたストレスフルな状況をトンネルで表してみました。そして、とうとう念願のと言ってはなんですが、最終出勤日を終えて、10余年働いた会社を去りました。その時に溢れ出るような解放感がなかった。昨年末に転職先が確定し、また、会社側に辞職を表明した時の方がもっと爽やかな解放感を感じていました。きっと本当に去る時にはもっと強い喜び、歓喜といってもいいような感覚に満たされているだろうと思ってたのだけど。


 言葉は悪いですが、ざまみろ、してやったりというような気分で去るのだと思ってました。ところが、歓喜も強烈な喜びもなかった。


 いざ会社を去る段階になって後悔したからか?いえ、そうではないのです。


 恐喝を受けたり、恫喝されることがあったりしました。一時酷かったそういう現状が、私が上に相談したのもあって、表面上は落ち着いた。しかし、当事者だからわかるのですが、一度とある人にひどく恫喝されたとする。その恐怖の記憶が染み入ると、心を征服されて、その人が普通に話しかけてきたとしても、怖いんです。軽いPTSDのようなもので、できるだけその人との衝突を避けようとする。で、私なんか財務をやっているのですが、財務上のチェックがかけにくくなるのです。でも、職務上はそれではいけませんよね。葛藤も一つのストレスでした。


 そんな意味で、やはりハラスメントは厳しく取り仕切らないとと思う。


 でも、例えば会社の社員が業務上に発生したハラスメントで心身上の健康に被害を受けていたとしても、それをわかっててなお、こういった問題は後回しにされる。そんなことをしていたら、我慢できなくなった人から会社を辞めてゆき、人材が流出する。


 数年前、それを訴えた。全く相手にしてもらえなかったわけではないけど、訴えに対して当事者として十分な改善がされたとは感じられなかった。所謂、表面上落ち着いただけで、また、いざとなると勃発するなと。それが嫌だから、それが勃発する時期を見定めてそれより前に、5月で辞めると言いました。私がすべきだったのは、たとえ後任が決まっていなかろうと5月でパッパと辞めることだったのかもしれません。


 結局もう一度、自分が心身のバランスを崩すことになった揉め事に巻き込まれた。

 静かに辞めたかったのに、散々な目に遭いました。


 それでもとにかく逃れたのだから、それで解放感ではないのか?というと、そうでもないんです。


 この前の週末、学校の子供達が集まって遊ぶイベントで、日本人駐在員の奥様たちとお茶する機会があった。その時、サムズマートのステーキ肉の話になった。


「こんな分厚くって、焼くときはね」


 ネットの写真まで見せて熱弁をする。生き生きとしたみんなの様子を見ながら、心の底から、働くお父さんたちの気持ちと同化したというか……。すごく疲れている人間として、自分とは真逆な人を見る。平和だなとか呑気だなとか思ったわけではないんです。人間は本来、こうあるべきだよなと。美味しいものを食べたいとか、綺麗な服を買いたいとか、喜びがあって、だからこそその喜びのために頑張ろうという意欲が湧いてくる。


 単純で平凡な例えば食欲のような欲望を持つ余裕すら失ってた。そこまで会社に奉仕する必要なんて、ありませんよ。


 ありません!


 だけどね、あるべき論と、現実はいつも乖離している。

 こんなこと間違ってるから、きっとそのうち誰かが止めてくれると思ってて、自分なりにも在るべき論を話を聞いてくれる上の人に話しました。こっちがダメならあっち、という風に。でも、何もできなかった。


 でも、こんなの間違ってると言い続けながら、ここから逃げて、どんなことが起こるか?逃げた先でも、似たり寄ったりではないかなと思うのです。程度の差はあったとしても、私があるべきだと思う人間の理想の姿。会社の働く環境。そういうものを整備することが、利益に直結するのか?と。


 そこの道筋が見えなければ、そこに取り組もうと会社は思わない。


 こういった一連の問題を、うちの会社の中の全員が問題ないと思ってるわけでもない。でも、一部に私と同じように管理上の問題を感じている人がいたとしても、組織というのは個の力では動かせないのですよ。まして、立ち位置があります。私は子会社にいるし。正社員じゃない。


 会社は間違ってる。私は間違ってないと会社を全否定してそこを飛び出し、理想のサンクチュアリを目指すのは、青い人間のすることだと。私はやはり、今の会社にもいろいろな考えの人がいて、決して皆が皆、間違っているわけじゃないんだってことを忘れてはならないと思うのです。


 そこで、自分は自分の正しいと思う方向へ、事柄を動かすことができなかった。動かそうとして何が起こったのかは見ました。


 自分の軸は曲がりません。サムズマートの肉の分厚さを熱弁するような、そんな心の余裕を持ちながら、奥さんだけでなくてご主人も、みんなのんびり平和でいるべきなんです。夜眠れなくなるほどの不安に苛まれるような職務について、心身を削る必要なんてない。


 だけど、それは理想であり、夜に不眠に駆られるような不安感の中で仕事をしているのは私だけじゃないと思うのです。そこに背を向けて自由になることが解決ではない。


 昔の自分には妥協はなかった。自分とは意見の違う人に対して、相手の意見も踏まえつつ、それでも主張を繰り広げるほどの度量はなかったんです。だけど、今、どこかでわかってる。


 まるで、雛が親を求めて鳴くように、こんなことは間違っているとぴいぴいがなりたてても、自分はただ、自分よりより高次の人に守られている存在に過ぎないのです。


 この世は地獄です。在る意味ではいまも地獄なのですよ。

 昔の自分はただ、地獄から逃げ出すことばかりを考えていたように思うのです。

 自分の正当性を高々と主張して。


 そういうことではないんだよなと。


 ビジネスの場面で、理想を語れば、一握りの人に感心され、大多数の人に潰されます。

 高次の人間というのは、潰されてから始める人間なのだと思う。潰されるのは前提で、それでも繰り出せる何かを持っているから、何かができるのだろうなと思ったのです。


 自分が正しいのだから、滔々と説けば、誰もがわかるはずだなんて、それはやっぱり青かったなぁと。

 そこで拗ねて泣き寝入りして、自分はまた酒場の隅でご高説を打つのか?

 そうじゃないだろと。


 トンネルを抜けました。そこに待っていたのは、違う光景でした。


 私は、在るべきを語って負けましたけど、でも、今の会社では負けましたけど、完全には負けていません。

 人は人らしく生きてゆくべきで、仕事は真面目に頑張った人から列に並びパンを受け取るようでなくてはならない。

 一部の悪い人の方に会社のお金が掠め取られないように、会計にできることがある。


 どんなふうに言えば次は、聞いてもらえるでしょうか。


 私が仕事に求めるのはお金ではないのです。もちろん、お金は多ければ多いほど嬉しいのは事実ですが。

 私が仕事に求めるのは、自分が正しいと思うことが少しでも現実に受け入れられて、自分のように真面目な人が以前よりもう少し得をするのを見ることです。それが自分の喜びです。


 ひいては、自分の作品もまた、自分が理想とする綺麗なことを書くのですが、そこに至るのが難しいという現実の厳しさにももっと筆を向けられたらと思います。


汪海妹

2023.07.25




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