終わった恋の意味
終わった恋の意味
2023.03.11
鋼の錬金術師だったと思うんだけど、等価交換、か。この言葉というか概念が結構好きで、人は何かを得るためには同等のものを対価として失わなければならない。これを少しひっくり返します。人生を歩んでいて何かを失う時ってあるけど、この等価交換が実はあるのではないかなってことで、失うだけではなくて失ったことにより得ることもある。
それが、失恋によって得ることもあるって話なんですけどね。
人を振ったこともあるし、振られたこともある。自分的に人生の中で、惨めなくらい追い縋った人というのが一人いて、それでもダメだったんですけど、その人に振られていなければいない自分があるなという話なんです。
あの人に振られていなければ、自分は小説を書いて投稿していなかったかもしれません。
若い頃の自分って、若い頃から小説家になりたいって人でしたけど、言うだけで、散文は書いても小説はちゃんと書いてなかったし、人に見せたりとかもほとんどしてませんでした。井の中の蛙で、しかも、他人と比べて私の井戸は結構立派に深く
「おーい」
と声も切れ切れに呼びかけると、深〜い底で、
「私、小説家なるからっ」
ブツブツ言ってるカエルがいる。最早深すぎてそれがどんな色のどのぐらいの大きさの蛙なのかわからないって状態。小説家なるってあなた言ってますけど、肝心の小説書いてませんよね?って話です。
勉強は相手が物でしたから、コミュ障な私にも扱える物でして、せっせと点取虫だった自分。学生が終わる時になって、社会に出なければならないという大きな試練にぶち当たる。今度は相手が人間なわけです。
ハリボテのように自分を見せながら大きくなったけど、自分の芯は他人が怖いまま、回れ右して逃げ出してしまいました。
本当は自分はあのまま、学問という物に向かい続けるか、あるいはもう少し前に戻って絵が好きだったんだから、ただ一心に絵に取り組めるような方向へ進んだってよかったのになと思ったりもしました。人間が怖い反面、一つのことにのめり込み集中し続けるという面では強いところがあった。
私のつまずきは、そんなありのままの自分を親に明かせなかったことです。
変なものです。親は私の一番身近にいて、私を一番よく知る存在であるはずなのに、父母には私の人間が怖いという面が見えてなかった。そして、私のように対人に難がある人にとってはとてもなれないようなありとあらゆる職業を次から次へと並べ立ては私に夢を見たんです。私、親の期待に応えるためにずっと勉強してましたから、成績は良かったんですね。だから尚更夢を見た。
ある時期までは本当にしたいことは絵だったな。本当にしたい生き方は、物に一心に打ち込み、その物を世に生み出し、その物を介して人間と繋がることだったんです。私は人間が嫌いなわけではない。ただ怖いだけ。だから、自分が生み出した物を介し人と繋がることは、私にとって最大の癒しであり、幸福だったんですね。
親のことも、結局は怖かったのかなぁ。だから、本当の自分を語れず、親の望む自分を演じて生きて、そして、社会に出るという場面で思いきり行き詰まってしまったんです。
あの頃、絵描きにも漫画家にも小説家にもなれない、そんな自分を中途半端に何か別のものにしようとして、本当になりたいものから逃げて何か違う自分にしてしまおうと必死だった。
そして、彼が外国人だったので、外国に行ってしまおうと思ってたんです。日本を逃げ出してしまえばいいと思って。
だから、振られた。
その後、日本で派遣社員として働きながら、海外に行こうという漠然としたものは持っていて、働きながら日本語教師の講座を受けながらも、自分は次の恋人を探してました。海外に行こうという目標と、結婚してしまえという目標と同時並行に持っていたように思います。
誰に会っても彼と比べてしまって、うまくいかなかったんですよね。
苦しい恋だった。国を跨いだ遠距離恋愛だったし、言葉は通じにくいし、そこに文化の差による誤解も常にあった。
だから、そんなめんどくさい恋は終わりにして、さっさと次へ行けるはずでした。簡単に終わらせられる恋のはずだった。でも、できなかった。
毎日、朝が来る。今日も彼に繋がれない朝が来る。どこまで待ってももう一度会える日はない。
世の中にこんな絶望があるということは知りませんでした。それでも、惚れっぽい人間だから恋はしてたんだよな。だけど、それもうまくいかなかった。
恋がうまくいかないのには理由がある。
自分の生き方がぶれまくってたからですね。どういうふうに生きていきたいかが定まってなかった。海外に行こうとしてみたり、結婚しようとしてみたり……。この歳になって思いますが、海外でも、結婚でも、どっちでもいいんですよ。どっちでもいいんです。
大切なのは、まず、それが一つであるということ、二つあってはなりません。
もう一つはですね、シンプルで、それが本当に心から自分がしたい生き方であることです。
私がしたい生き方はちゃんとあった。創作をして生きていくことです。
結婚をしたくないというわけではないですが、結婚して家庭に入ることではなかった。
でも、あの頃の自分に書いて世の中に出せるような中身があるなんてとても思えませんでした。小説を書きたいという思いが強すぎて、書いて自分に才能がないと思うのがやっぱり怖かったんですよね。
それと、結局自分は海外に出て、日本語教師をやってみたり、国際結婚をしたり、財務の仕事をしてみたりしながらこの歳になったんですが、そうそう、子供も産んでね。自分が本当にやりたいことは小説家で、でも、小説を書くまでに随分回り道してきていますが、これで良かったと思ってます。こうなることになっていたのかなと。
失恋も辛かったし、学歴はそこそこいいのに非正規として働いてきたのも辛いし大変だし、海外での長い暮らしもそりゃ大変です。日本で暮らしていたらしないでいい苦労をいっぱいしてきたと思います。ただ、それにしてもね、一時期は結婚に逃げようと思っていた自分が、ずっと働いてよくここまで頑張ったよなと。英語はできても中国語はできなかった自分が、この中国を逃げ出さずにずっと頑張ってきたよなと。
そして、このままだと何もせずに終わってしまうと思って、やっと処女作を書き上げて人の目の触れるところに出すことができた。
小説家になりたいという夢はまだ叶えていないんですが、でも、書いてそれを人の目に触れるところに出すことができた時に、やっと楽になりました。自分の望んでいたことの半分ぐらいはもう叶えているのだと思います。
あの時、彼に振られていなかったら。自分は、きっと書いて出すところまで頑張れなかったと思う。
ヨーロッパの女性は自立していますよね、そういう女性と比べられて、軸がないことで振られてしまった。
もう会うことはできなくても、いつかどこかで彼に認められる自分になりたいと、そう思って歯を食いしばってやってきた。
人間にとってそういうのって大切だと思うんですね。
何か支えのようなものがなければ、頑張り続けることなんて無理。自分は本来は口は上手いけど怠惰で、そして、弱虫な人間です。
あの失恋がなければ、頑張り続けることなんてできなかった。
小説を書いて投稿した当初は、いろんな賞に応募してみたりもしてましたが、今はしておりません。
今後はわかりませんが、とりあえず当面は、仕事をしながら作品を書く二足の草鞋で行こうと思ってまして。
はっきりとですね、わかったんです。
私は小説を書きたいですし、文字にしたい考えのような物を色々持っています。
ただね、小説でお金を儲けたいというわけではないんですね。
お金は生活に必要ですが、生活に必要なお金は別に仕事を持っていたら手に入りますし、主人も支えてくれていますから。
今後自分に違うステージが来る日があるのかどうかはわかりませんが、商業目的になるものを目指して書き込んでいくよりも、自由に自分で行きたい方向とペースを決められる今がいいかなと。
書きたいものはあるんです。
今書いているものの発展上に、また別のものも漠然と。
そして、長く生きたいなぁと思うようになりました。
凝り性で、のんびりやで、そして、スロースターター。
私は遅咲きの花です。と、いつか、堂々と言いたいですねぇ。
遅く咲いたのだから、長く生きたいなぁ。
今からもまたのんびりとちまちまと書いていく。
本当に自分の書きたい物に到達する日がいつになるのかさっぱりわからない。
仕事にも時間を割かれますしねぇ。
これは長く生きないと。体を大切にしないとね。
私は遅咲きの花です。と、いつか髪の毛の真っ白になった自分が堂々と言えますように。
汪海妹




