箱入り娘その二
箱入り娘そのニ
2023.03.11
昔のことを思い出し、しばし浸った後
***
また原稿を消してしまった。後数行で終わりのところだったのに……
最近多いなぁ、これ。
だめだ。
復元されるか何回かやってみたけど、完全に消えました。
なんだよー!!やっぱり悪くない出来だったのに。消えたーーー。
笑いのショートコントみたいなの書いてたのに。もう、二回目はありえないわ。
一番搾り飲みながらやってたからいけなかったのかね?ま、でも、最近IPADおかしい。突然落ちる。
こまめに保存しながら書かなきゃな……
ドヨーン。
コーヒー飲むか。
そして、もう書いたけど消えたもののことは忘れよう。再現するのは嫌だ。
頭の中に残ってるんだけど、初搾りでない状態でなぞるのが嫌いなんですよね。
今日はもうダラダラとなんか書いて終わりにするという。ふふふ。やる気のない度100%でございます。
昨日ちょっと旦那に可哀想なことを書いちゃったかなと、ま、ネタなので、脚色入ってるってことで許してくださいね。
最近息子にね、旦那と私と三人でいる時に
「お母さんってお父さんのこと好きなの?」
不意に聞かれて
「好きだよ」
「えっ、好きなの?」
「……」
不思議な会話でした。
「好きじゃなきゃ結婚しないでしょ?」
「そっか」
この短い会話だけを置いて、その意味することについてつくづく考えたんですよ。
どうしてうちの子がこんなことを聞くのか。この会話を経てどういうふうに思ったのか。
それを直接心理描写するのではなく、前後に事情を置いて類推させる。
そう言う表現方法というものもあるなって。
その置かれる事情によって何通りにも取れるやり取りだよなって。
夫婦になるとそんな好き好き言い合わないし、まして他の人のいる前で言わないし、これなら別に笑い話かなって思えますけどね。
うちはなぁ。
旦那は息子を大好きで、私も息子を大好きで、息子を中心にして繋がってる。
じゃあ、二人がどうなのかっていうと……
このまま私残りの人生も歩んでいくのかなと思ってむちゃくちゃ悩んでいた時に息子に向かって仄めかしてしまったことがあるんですよね。結構前の話だし、あの頃よりは状況がマシになってるんだけど。
普段息子とそんな話をすることはないけどさ。
でも、たった一回でも心に残ってしまったのかもしれないよね。
今日もまた三人でいる時に息子が今度は旦那に聞く。
「ね、お父さん、お母さんのこと好き?」
「好きだよ」
そして、息子が笑ってる。
これは、私に聞かせるためにこの子、わざとやってるんだわと思う。
本来だったら、二人だけで直接やりとりするような会話を、子供を間にしてバトンリレーするみたいにする。
結婚してこういう年齢になってくるとさ。
好きっていうのも複雑だよね。
結婚っていうのは好きという気持ちで成り立っているものではなく、壊したくないという気持ちで成り立っているのではないかなと思います。息子のこの笑顔を壊したいなんて、私も夫も絶対にありえないことですから。
自分の心が大切なのか、それとも周りの人たちの心が大切なのか。
家庭を持って責任を持たされた時に、人はそういう岐路に立たされる。
人の親にならなければ見えなかった風景です。
胆石の手術のために入院したときに、久しぶりに主人と二人でいて、言葉や態度や行動にうまく現せないこの人の気持ちのようなものがどこにあるのか、少しわかった気がしたんです。
そして、それからまた角度を変えて少し考えたのは、私のお父さんとお母さんのこと。
気づいていなかったんだけど、私、いつの間にかお父さんとお母さんという夫婦を自分の理想にしていたんですね。
そして、お母さんになりたかった。一途にお父さんに尽くすお母さんみたいになりたかった。
つまりは愛されるより愛したかったんだなぁ。
お母さんの愛の表現方法は料理だった。自分はでも、自分の家庭で台所に入ることが許されず、主人は私の作った料理を食べない。
そのショックは大きかったんです。
ただね、最近思った。
私は必死で追いかけた人と結婚できなかった人間。
その時にですね、自分のポジションは母のポジションではなく父のポジションになっていたのだと。
大切にされていないわけではないのかなと。
別に主人は子供の頃から外国人と結婚したかったとか、特別に海外に憧れていたとかそういう人ではないんです。
たまたま好きになった人が日本人だったんですよ。
そのために中国人女性と結婚したらしなくていい苦労をいっぱいしながら歳をとってきた人です。
父は母の愛を受け入れた。そして、愛を受け入れる側にとって大切なことは、裏切らないでそこにあり続けるということなんですかねぇ。
ナビイの恋、という題名だったと思うんですが、沖縄を舞台にした映画があって、ずっと忘れられないんです。
若い頃に大恋愛をしてでも、その人とはうまくいかず別の人と結婚した女の人が、おばあちゃんになってから迎えにきたその過去の男の人のところへ行ってしまい、長年連れ添ったご主人を島に置いて行ってしまう。
ご主人はでも、それを受け入れるんです。妻のために。
女の人というのはきっと心の底にこういう衝動というものを隠し持っている。
それが発動するかどうかは別にして、隠し持っているものではないでしょうか。
だから、いつまで経っても満たされないのだよなぁ。
意中の人と結婚し、その人と毎日暮らしながらも、最後の最後までは満たされない葛藤もあるでしょう。
あるいは私のように、心の奥底に意味のない止まった古い機械のようなものを隠し持っていて、何かが違うと思いながら時に過去に思い馳せる人もいるでしょう。
満たされないという状態に酔っているのかもしれません。
私にはですね、でも、ナビイのおばあちゃんを迎えにきてくれたような男の人は、いないんですよ。
私の不幸というのは、自分の情熱を傾ける男の人を得ていないことにあるのか。
母には父がいた。でも、私には誰もいない。
それとも、自分はただ、孤独で不幸であると思いたいだけなのか。
孤独に酔っているとでもいうのでしょうか。
孤独というのもまた、一つの旋律を奏でるものですから。
結婚というのはおそらく、愛したいのか、愛されたいのかという命題に尽きるのかもしれません。
これを解いてしまうと、孤独に酔うというゲームを続けられなくなりますが。
お母さんみたいになりたかったな。
でも、神様が私に与えたのは、お父さんみたいな人生だったのかも。
一部しか思い出せないけど、俵万智さんの短歌に
愛されたくてかけていく
という言葉があるんです。この言葉が好きで。
でも、愛されたくてかけていく 側の人も、愛した相手から自分が愛したのと同じぐらいの愛情を得ることは難しい。
相思相愛の人たちというのももちろんいますけど、
愛されたくてかけていく 人も切ないし、 愛されている人もまた、応えたいけど応えきれない懊悩のようなものがあって、クルクルと何か喜劇のように回り続けるのかも知れない。
それこそがリアルなのではないでしょうか。
でも、そんな二人にもきっと水平線が見渡す限り波一つ立たないような、そんな凪の日がきっと訪れる。
それがたった1日であったとしても、きっと人は報われるものだと思うのですよ。
愛ってそのくらい得難いものであり、そして尊いものではないでしょうか。
時に愛する人のそれを得たいがために人をギリギリまで苦しませ悩ませる。
苦しみ悩み、それでもあきらめず、そして手に入れる。
愛だけではない。仕事などを含めた生きる意味のようなもの、それこそが人生ではないでしょうか。
私は人生のとある日に、イタリアのとある街のドゥオモに、自分の一部を置いてきてしまったんです。
過去の亡霊は、私の故郷を津波が襲った時に蘇り、その後も長く私を苦しめた。
彼に私を苦しめる権利はなかったんです。
彼に私たちを苦しめる権利はなかった。
長く苦しめた影を、でも、私はゆきの中のあかりを書いている時にやっと振り切ることができた。
その時に自分にはナビイのおばあちゃんのように私を迎えにきてくれる男の人はいなくなったんです。
私の衝動を突き動かす装置はその時に半分壊れた。
私の運命の人はやっぱり主人なんでしょうねぇ。
四柱推命によると、あるいは手相だったか?
まだ、いるらしいんだけど。ハハハ。
まだ、出会うでしょうか。運命の人。
ワクワクしながらそれを待つぐらいは許される?
このくらいの年齢の人たちは、男の人も女の人もきっと。
相手という物が欲しいのではないと思うんですね。
ただ、終わりたくないだけなんだろうなぁ。
結果的にもう別に今から死ぬまで新しい恋をしないのだとしても、それはそれでしょうがない。
そうではなくて、まだ終わってない今に、もう恋など死ぬまでしないと結論づけたくないだけ。
終わりたくないってそういう意味なんだと思う。
ある意味、恋だけではなくて仕事もそうかな。
人をぐっと老け込ませるのは、死ぬまでもう何も起こらないという絶望感だと思う。
転職をするかどうかで悩んだ時に、ぴかりと光るように見えた物がある。
それが、
ああ、この会社でこのまま働いてどうなるか終わりが見える
それに対する抵抗です。転職は。
これは、私にとってのアンチエイジングなんですよ。
こういうことを、私以外の皆さんにも勧めたい。
是非、流されるままの自分に抵抗してください。若い人ではなくて終わりが見えると思ってしまうような年齢の人に言いたい。
一緒にがんばろって。
今から大したことができなくってもいいんですよ。
大事なのは結果ではなく、抵抗する姿勢なんです。
必ずあなたを生き生きとさせる。それが、死んでいないってことであり、まだ、終わっていないってことです。
そして、同時に若い人に言いたいのは、
別に今、上のようなことを考えたりしないでいいけどさ。
なんかおばさんが言ってるーくらいでさ。
でもな、お前らも歳は取るからな!ハハハ!
未来にはくるぞ。上のようなことを考える必要の出る日がな!!
さて、今日も本来の原稿は消し飛び、その後まとまりのないままに綴ってまいりましたが、そろそろ終わりに、
そしてですね、私のこの衝動を突き動かす半分壊れかけた装置はどうしよっか?
(ちなみにこの衝動を突き動かすは、椎名林檎さんのとある曲の歌詞の一部だな)
保留ということで。
まさにとりとめのないことでございました。
また明日
汪海妹




