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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず












   年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず


訳、厳しい冬の寒さを乗り越えたなら、花開く春がやって来る^_^

そうした自然の営みは、毎年変わることなく繰り返されるものでしょう。

これに対して、私たち人間は、一年というサイクルを繰り返しているように見えても

『去年の自分と今年の自分がまったく同じ』ということはありません!

   2023.02.28








 昨日父に教えてもらった言葉をお題に今日はエッセイを書いてみようかなと思いました。


 去年の自分と今年の自分がまったく同じということはない


 この言葉に対して、しかし、心に思うことというのは人それぞれなのではないかなと思いながら。

 ある人はそこに人としての成長を思い浮かべるかもしれないし、ある人はパッと、例えば去年までは運がついていて富も力も持っていたけれど、今年はそれが減ったとか、そういうものを思い浮かべるかもしれません。


 これを自然の花と比較するところが奥深いところだと思うんですね。


 父に突っ込むのを忘れて、これが何からの出典なのか知らないのです。おそらく漢語からきていて、孔子とか老子とかそういう人の言葉なのではないかなと思うんですが。


 なぜ自然と人間を比較するのか。

 もしも人間が年々いい方向へ向かって成長し続けるのであれば、同じであり続ける自然よりも偉大だということになるでしょう。

 しかしもし人間が去年までは運がついていて権力の中心にいたが今年その座を奪われて悔しさの中にいたとしたら?


 その人は去年までとは同じように美しく咲くことはできないでしょう。


 この時、毎年同じように美しく咲く自然は人間より偉大ではないでしょうか。


 なんでこんな捻くれたことを言うかというと、自分がですね、心を荒らし、醜く咲いていた年があるからこそです。

 人間というものは、自分で自分を高みにも或いは低い場所へも持っていくものだと身に染みました。


 運には昇る時と落ちる時がある。人生最高の時がいつになるのかは人によって違います。

 一部の方ははじまりから終わりまで順風満帆にゆくのでしょうが、私の経験上、そういう方はやはり稀で、たいていの方がそれぞれの挫折を経験している。


 人の本領が試されるときは、運の追い風を受けて海上を滑るように走っている時ではなく、逆風に揉みくちゃにされている時なのだと思います。その時、どんなことがあっても毎年同じく美しく咲き続ける自然の偉大さを忘れてはならない。


 辛くても自分で自分を腐らしてはなりません。

 人の真の美しさとは苦難を乗り越えてなお、以前と変わらず美しく咲くところにあるのだと思います。

 そして、私が言っているのはもちろん、外見の美しさではありません。


 歳を取れば取るほどに思うのですが、心が強く美しい人というのは、やはり外見にもそれが表れて美しいものだと思います。

 歳をとって外見は衰えても人に囲まれ頼られる人というのは、心が強く美しい。


 そういう人と出会い、感じ入り、そしてまた自分もそうありたいと思う。


 そのためには人はやはり、自然の美しさを愛でに出かけた方がいいのではないでしょうか。

 花は偉大なり。


 汪海妹


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― 新着の感想 ―
[良い点] ブクマさせていただきました 自然の花という言葉が印象に残りました 素敵な文章だと思います [一言] 応援しています
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