葛飾北斎、かっこいいな
葛飾北斎、かっこいいな。
2023.01.27
実家の壁にかけられた葛飾北斎のカレンダー。かっこいいなとカメラに収める。
筆遣いが素敵ですね。
世界的に有名になる画家というのはえてして、デッサン力が違うよなと。
ただ斬新な構図を生み出しただけでなく、それを描き出す際に細部までをもしっかりと描き出せる、画家としての足腰、つまりは基礎デッサン力なのですが、が、やっぱ、だんちですね。ふふっ。ちょっと壊れた日本語を使ってみたぜ。
北斎、広重、歌麿。
のんびりそんな絵を眺めながら当時に思い馳せてみたいですねぇ。
絵もいいし、歴史もいい。当時の日本に思い馳せてみたい。
いやいや、やっぱ自分はまだまだ知らないことばかりだなぁ。
帰国の再入国のためにPCRを受けなければならないのと、姪っ子に会うために今日は仙台に出てきました。
おうおう、ここが清ちゃんとなっちゃんの育った舞台だよなと。
ふふふ、実はあまり知らないのだよ。
もちろん何度もきたことはあるよ。しかし、それも昔だしねぇ。
高校の時に首都圏に出てからは、お江戸に出られるものね。仙台には用事がないよねぇ。
せっかくだから街の様子を脳裏に少し焼き付けましょうかね。
ホテルの窓から仙台駅をパチリと撮った。
この駅は何度も私の作品に登場しているのですよ。
昔に比べて随分お店も増えて賑やかになってたわ。
仙台いいよねと。
主人と私には契約があるのです。仕事をしているうちはしょうがないから中国で暮らすけど、退職した老後は日本だよねと。
どこで暮らそうか、候補地は、東京か仙台なのです。
都会に慣れちゃったよね。故郷まで戻る気になれない。
地方都市として人気があり、また、故郷からも近い仙台いいよね。東京にもすぐ出られるよ。
未来を思ってちょっとワクワクする。
昨日は今は仕事をしていない父と二人で昼から仲良く日帰り温泉へいって参りました。
「夜のお寿司はご馳走するから、温泉代は奢ってくれる?」
父は四人兄弟の末っ子である。また、バリバリの営業マンなんですね。
母と、全く逆である。
母は、金を払いたがる。父は、娘と取引をする。
ふふふ。変な親だ。
「いいよ。任しとき」
ちなみにたかが700円なんだけどな。
昼から温泉。自堕落な感じがよろしいですな。よろしいですなぁ。
「行くか?」
ちなみに息子と甥っ子にも声をかけました。もちろん振られた。若い彼奴等に湯治は必要ないのです。生命の洗濯もな!
強盗殺人の指示役の名前がルフィってなんやねん。ワンピースファンと作者やアニメ制作等に関わってる人たちがどんだけ可哀想やねん。
ふ、ざ、け、た、や、つ、だっ!!
なんてことを思いつつも、我関せず、ターラリララー。
子供たちがついてこなくたって寂しくもなんともねえぜ!つまりは!
私も湯治にゆくのに鼻歌が溢れる立派な中年になったってことだぜ。ふっ……。
昔は、親と一緒に温泉行くのがなんだかやだなと思った思春期の頃もあったなぁ。
温泉なんてじじばばくせー!
なんて、馬鹿にしたアオハルの頃がありましたなぁ。
今はもう、旦那の髪のためにニュー○が効くだろうか、髪は残ってほしいなとか、リフトアップってこんな安いのか、しかし、必要なんだろうかとテレビCMの前で唸ってしまうような年齢だ。
湯治!!
目がハートになるぜ。
温泉にね、漫画が大量に置いてあったんですよ。
この前は、きっちり温泉に入り、珍しくサウナにも入った上で上がりました。
漫画あるやん!(←知らなかった)
そこで、漫画を読みながら、ビール飲んでた。至福の時でした……。
すぐに息子と父が出てきて、漫画は思うように読めなかった。ちなみに息子は牛乳を飲み、父はボトルコーラを飲んだ。
ですので、二回目の昨日は、湯治、湯治といいつつ温泉をそこそこに漫画を読んでやろうと狙ってたわけです。
「お父さん、ゆっくり入っていいからね」
「おう、じゃ、1時間な」
父はサウナに入るのです。地味にコツコツと健康のために努力する人です。できるだけ湯治に通い、体を温めたり、家の中で使うエアロバイクっていうんですか?屋内自転車ですな。あれをコツコツ漕ぐのです。
癌を二回患い、二回目の手術の後2ヶ月半入院した時は、そりゃあ心理的に辛かったと漏らしておりました。
周りはもちろん生きていてほしい。しかし、父も母も、生きるはりがないんですね。体はどんどん辛くなるし、今、何がなんでも生きて、自分がこれをしなくては、そういう目的がない。明確な目標や目的が見えない。
仕事をとうとう手放してしまったからなぁ。
切ないことです。
私は、父母に是が非でもチャキチャキ生きろと叱咤激励する気はないのですよ。
もちろんちょっとでも長く、元気に生きてほしい。愛しているからですね。
でも、それは自分の気持ちです。それと同時に、生きるのが辛いという父母の気持ちがやんわりとわかるんです。
父母だけではなくて、高齢者の方々のその気持ちが。元気に前向きに生きている人は一握り。たくさんの高齢の方達が、薄ぼんやりと、
自分はなんで生きてるんだろう
そんな思いに捕まり、そこから、だめだ、頑張んなきゃと思い、それでも力が入らない。コロナのせいもあると思います。外出がしづらくなったのも。
そこで、私は、
そんなんじゃだめ!頑張れ!
そう言いたいとはこれっぽっちも思わない。ただ、寄り添いたい。何も言わずに、辛いようとか疲れたよとか言ったり思ったりしている親に寄り添いたい。そして、また、自分の心の中に親と別れる時を思って、覚悟の石を積むんです。
お金をかけて、帰ってきてよかった。3年ぶりに帰ってきてよかったなぁ。
毎晩、毎晩、晩酌をしたがる父。
大、中、小のお猪口が並ぶ。
父が小、私が中、母が大。
小さな盃を次から次へ開けて、その度につげという父。
大きいお猪口にすればいいのにと思いつつ、せっせとお酒を注ぎました。
糖尿病の母は本当は日本酒はいけないのだけれどな。私が帰っている間だけと、特別に飲んでいた。
なんだかな。親孝行は晩酌ですか。やれやれ。
我が家らしいではないかと思いつつ、二人の間で酒を飲む。なんだか全然酔わないのです。
二人の顔が少しだけ明るくなった。私と一緒に毎夜晩酌をする傍らで。
それをみながら思う。
今回、3年ぶりに日本に帰ってきた。ギョッとするほどに父母のどちらも老いてもいたし、生気を失ってたんです。
コロナのせいもあるし、やはり2度目の癌が辛かったんでしょう。父にも、また、父がどうにかなるかもと不安の中で待っていた母にも。
痩せちゃったね、大丈夫?とかなんとか、もちろん言えなかった。
いえ、言わなかったのです。
瞬間に思ったのです。
歳をとって元気でありたい、元気であろう、もちろん本人たちがどうにかしようとしている。懸命に。
それでも、元気が湧かないというのが、高齢であるということなんだと思うんです。
その老いを、自分が若葉のように元気な時に、自分はどこかで忌み嫌っていたと思う。
でも今はそんなことはない。
自分は歳をとりました。以前のようにただただ生のみを見つめ、明るい方向へと走っていきたいようなそんな子供ではないのです。
今回、心の底から、父母の老いを受け入れました。
それもまた、人の営みの中で自然なものです。
老いは醜いですか?
どうでしょうか。誰にでも訪れるものではないでしょうか。
無理に元気でなくてもいい。そのままでいいんです。
私は、そのままの親を受け入れますから。だから、秋の風に稲穂が靡くようになびき、冬に葉が落ちるように。
そのままでいてほしい。
抗うのではなく、ただ、そのような晩年の中で、それでも穏やかな喜びを見出してほしいのです。
愛していますから。穏やかで美しい晩年を過ごしてほしい。
そのために自分は子供として何ができるのかなぁ。
20年に一度の大寒波、でしたっけ?大雪が降ってとても外出どころではなかった。その雪が止み太陽が出た。キラキラと輝く雪を眺めながら、遠くに緑がかった青い山の稜線を眺める。眺めながら思った。
私は子供として何ができるのかなぁ。
長湯はせずにさっさとお湯から上がり、大好きな漫画、地縛少年花子くんを読む。父がなかなか出てこない。
今日はビールを飲んでなかったのです。あれはこの前やったから、また別の禁断を破りたいな。ええいっ、ままよ。
どうでもいいことですが、ソフトクリームを買った。
「お待たせ」
「あ……」
さっさと買って食べていればよかったのに、ノロノロしてたら、父が出てきた。
「腹、減った。ラーメン食べて帰ろうか」
「でも、子供たちがお腹空かせて待ってるよ」
「そっか。じゃあ、帰ろう」
ソフトクリームを片手に漫画をえっちらおっちら本棚に戻し、荷物を持って、靴を履き……
やれやれ
夏だったら必ず溶けて大変なことになってたぜ。
帰り道をゆく。
「このセブンに寄ろうか」
父は郵便を出したくて、私はセブンアンドアイ銀行のATMが使いたかった。
「あ、でも、ここにはポストがないよ」
「ほんとだ。じゃ、家の近くのセブンにするか」
そこで、ふと、気づいた。
「ああっ!シャンプー忘れてきたっ!」
「え?」
この前、シャンプーを持たずに、いいや別にと温泉のシャンプーを使った。本日はやはり女子だしと、シャンプーを持ってきたんです。
そして、忘れた……
「もう、認知症なんじゃないの?」
「すみません」
70代の父に認知症を疑われる。
「なんか、結構、来てたんだね。なかなかつかないな」
「うん」
70代の父と、故郷を離れて久しい娘。最近は地元も新しい道路がバンバンとできている。
「ああっ!きすぎてた」
「……」
道に迷ってた。
「ナビを使おう」
「使おう、使おう」
ナビを使ってさっきまでいた温泉へ戻る。
「ああ、やになるなぁ。認知症だなぁ」
「いや、みんなあるって。ほら、私もシャンプー忘れたしさ」
子供たちは腹ペコで我々を待っていた。




