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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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   躾

   2022.11.01











   

この前の週末、息子の学校のお友達みんなで海辺に泊りがけで遊びに行きました。総勢40名前後。今の日本でもそういう活動があるのかな?子供会の活動のようなものですね。私の子供の頃はあったな。


その時、息子は1番仲の良い親友の子と隣り合わせでバスに乗り、斜め前とさらにその前に同じ5年生の女の子が2人乗っていた。4人でキャッキャと遊びながらいるのを息子の後ろの席で主人と一緒に見ていた。途中寝ました。


ゴキ、ゴキ、となんかアホな遊びをやってるなと思いながら半分寝て半分起きていた時、息子の前に座っていた息子の親友のお母さんが振り向いて突然息子を叱ったのです。


「お友達のことをゴキって呼んじゃダメだよ」


私の前の席で息子がとたんに萎縮したのがわかった。


「はい」


なんだ?なんだなんだ?


目が完全に覚めた。


その後、4人全員、シーンとして身動きしない。お葬式のような様子だった。目的地の手前でPCR検査のためにバスが止まる。みんなで降りた。


「さっきはすみません。よそのお子さんを」


叱ったお母さんに謝られました。事情を聞くと、息子は親友の男の子をからかって、ゴキゴキと呼んでたらしいんですね。それが伝染して、女の子たちも加わってゴキゴキと。


「そんなことになってるとは気づきませんでした。すみません」


実のお母さんの前で、息子さんをゴキと呼ぶなんてさ。

一回二回なら悪ふざけでいいよ。でもね、しつこかったのね。

自分も母親だもの。もし、子供のおふざけだとしても、自分の子供がゴキと呼ばれるのなんて耐えられないわ。


うちの子はね、すごく真面目な子なんです。

それにとっても慎重な子なんですね。

だから、こんな失敗滅多にしないんです。


そのうちの子が、ゴキゴキなんて馬鹿なことをしてからかえたのは、それだけ親友の男の子に心を許してるからなんだよね。

仲がいいから甘えが出た。でも、それに女の子まで便乗してさ。そりゃ、いくら仲が良くても本人も嫌だったと思うよ。

このうちの子の友達の男の子、体は大きいけど優しい子なんですよ。

だから、いやだってうまく怒れなかったと思うのね。


男の子のお母さんに怒られて、ハッと気づいた。すっごいショックを受けたと思います。

女の子たちの性格も知ってる。2人とも意地悪をして喜ぶような子たちじゃない。

皆それぞれ、一気に反省して、そして萎縮したんだな。


これは……後でフォローしとかないとな。


うちの子、むっちゃ繊細なんですよ。

だから、とてもショックを受けたと思うのね。


しばらくじっと様子をそれとなく観察してました。

少しずつ子供たち4人リカバってきました。もともと仲のいい子たちですね。


わだかまりもなさそうだし、ほっといてもいいのかな?

そう思いながらもう少し経った。


もうみんながそんな事件があったことを忘れたような時に、息子と2人っきりになった瞬間があったので話しました。


「自分達は仲が良くて楽しくて揶揄うことってあるよね?」

「うん」

「ちょっとならいいと思うんだよ。でもしつこくなってくると、嫌だなって思うと思うの」

「うん」

「相手が嫌だと言わなくても、嫌だと思ってないかどうかには敏感になってほしい」

「……」

「みんな、失敗しながら覚えるんだよ。失敗してもいいの。だけど、少しずつ自分の心だけじゃなくて、周りの人の心もわかるようにね。感じ方は人それぞれ違うから。自分が平気でも相手は平気じゃないかもしれない。そのことに敏感になってほしい」


少しだけ涙ぐんでました。


子供たちってね、何にショックを受けるって、愛情のある子はやっぱり、怒られたことに対してじゃないと思うんですね。

自分が知らないうちに友達を傷つけてたって事実に対してだと思うんです。


愛されて育った子は、そういうところに涙するんだと思う。

だから、良い躾というのは、いけないことだからするなというのではなく、子供の心の中に既にある美しい心に向かって語りかけることなのではないかなと思うんです。そこに愛情があると信じるところが出発点で、そして、それより前にしなければならないことは、


大人がそれより前にしなければならないことは、愛情とは何かと示すことです。

大切に育てられた人は、故意に人を傷つけようとするような人間にはならないですから。


ただ、そんなふうに思いながら生きていても、みんながみんなそんなに心を綺麗に生きているわけではないですね。

自分もたっぷりと悪意に晒されている。


私のような躾の仕方がいついかなる時でもまかりとおるとも思っておりません。

ある意味、自分の叱り方というのはマイノリティだと思うのです。


もし、自分が小学校の教師をしていて、子供たちをこんなふうにふんわりと躾てて問題が継続して起これば、責任問題です。私は責められるでしょう。


だから、責められないようにきっちりと叱る。

それは、子供の心を育てない。なぜなら、大人である自分を守るために行う躾だからです。

自分の責任を果たすために。


なんでだろうな。なる予定もなかったのに、昔、自分が学校の先生だったらどうするかと考えたことがあったんです。

自分はいじめを受けたことがある。だから、いじめを受けて悲しむような子を1人でも減らしたい。

自分のクラスではゼロにしたい。


私が先生になったら絶対そう思うと思う。


だけど、いじめはなくならないよね?


そういうことに対して、自分はどう取り組むのだろうと考えたことがある。

若い頃はわからなかったよ。


そして、最近はちょっと違うんです。

なんというのかなぁ。


問題というのは起こるものです。それが起こるのを恐れて一分一秒を過ごすことはないなと考えながら生きています。

100%の安全も大丈夫もこの世にはない。


ただ、泳ぎ切るだけだと思いました。


今までトラブルが起こった。防ぎきれなくて大変なことが起こった。だけどどうにかしてきました。

どんなに大変なことが起こっても何かしらできることはあり、さらにその大変なことが更に重大なレベルにならないようにするだけです。


その後、誰かが私の責任を問うことがあるかもしれない。


大人とは常に責任を問われる存在です。

そこから尻尾をまいて逃げ出すことはない。

うまくいかなくて自分が座っていた椅子を誰かに盗られることだってあるかもしれない。


そしたらね。また椅子を探して泳ぎ始めることだってできるんです。

最後は死ぬ。その間、どこをどんなふうに誰と泳ぐかを人は自分で選ぶことができる。


だから恐れずに自分が信じることをその場その場でやる。それだけなのではないでしょうか。

生きるということは。

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