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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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人を突き動かすのは怒りである













   人を突き動かすのは怒りである

   2022.10.09












  本文は、本来、本日アップした活動報告だったのですが、途中からつらつらと長くなってしまいました。

  内容も重くなってしまったので、カーテンの後ろに隠すつもりでね、こっちに写します。

  誰もが通って覗く可能性のあるショーウィンドウから、お店の中に入って奥の方に来ないと見られない棚へ。

  まとまりのないものですみません。ただ、思い浮かんだことを書いたものです。






今週、きみどり②のそのピースが、をお読みくださった方、

ご感想くださった方、既刊をお読みくださった方、

ありがとうございました。


m(_ _)m


今後の執筆予定等↓


10月 きみどりに始まりふかみどりに終わる②

   第一章 そのピースが今更どこにはまる? 投稿終了 3.3万


   第二章 を執筆中 0.3万


11月 未定

12月 未定


第一章は暎さんと理沙ちゃんの話でした。核のようなものだけ浮かんでいたエピソードで、細かな部分は書きながら決めてった話です。しばらく2人と離れてましたから、暎さんって、理沙ちゃんって、どんな人だったっけ?と想像しながらちまちまと。


人間の関係性というものは、付き合いが長くなるにつれて変わりますからね。結婚して少しずつ落ち着いてきた2人はどんな会話をしているのかなと思いながら楽しんで書きました。


自分としては、勝手に人のゆで卵を真っ二つに割ってしまう理沙ちゃんの性格が大好きです。ゆで卵を新妻に割られ、好みではない固茹での卵を大人しくボソボソと食べる。


澤田暎、とうとうお前も奴隷に成り下がったな!はっはっはと勝手に盛り上がってたのは、私です。でも、理沙ちゃんが暎くんを足蹴にしているわけではないのです。


この夫婦という名の絶妙な支配と被支配の構造には飽きることのない探究心があります。ガラスの寄せ木細工のSM構造であり、それがその時その時でひっくり返る!


言ってる意味が意味不明ですが、まぁ、適当に流しておいてください。


恋愛感情というのは、実は、因数分解してみると、(ストレートであった場合は)男と女の支配したい、支配されたい、そういう欲望の連なりなのではないですかね?だから、会話の裏側には磁石のSMそのままに相手を支配する言葉や支配されて喜ぶ言葉が出てくるんじゃないかな?


もう一度意味不明。流しておいてください。


現在は、第二章でこのはちゃんのお父さん目線でお母さんとの2人の生活を書いています。私にとっては未来の話。育児を終えた夫婦の場面なのでね。そこから目線を変えながら展開するこのはちゃんたちの話です。


どんなふうにまとまるのかまだ見えてないのですが、今回のきみどり②は二つの視点を交互に展開するのはやめようかなと。過去と現在のようなサンドイッチを何回かやってますが、それはやめようと。現在に明かされない事実を仄めかし、過去と交互に進行することで、だんだんピースが完成してラストを迎える、必要は今回のきみどりにはありません。


それ以外で、二組の話を交互にしたときは、シリアスとほのぼのと言ったような味わいの違うものを挟む気持ちもありました。これは効果がちゃんと出たのかどうか怪しい?


今回は、上の二つの構造はやめとこうと。私としては、ぼたっ、ぼたっとでっかいあんころ餅のように、短編ではない中編ぐらいの塊をとりあえず、一つ目で作ったので、二つ目も中編クラスの塊で、このはちゃんのお母さんに近寄ろうと思ってます。


お母さん


とっても大切な主題だと思うんですね。人間にとって。

だって、自分はそこから生まれてるんですから。全ての人がお母さんから生まれてる。

小説だけじゃなくて絵画や映画や、たくさんのものが母なるものを描こうとしていますよね。


清ちゃんのお母さん、塔子さんを書こうと思ったとき、難しいなぁと思いました。

今回も難しいね。

このはちゃんのお母さんの顔がまだちゃんと見えない。

そういえばですね、椿を書いていた時、このはちゃんのお母さんは作品に登場しているんですが、この時もお母さんの顔はきちんと浮かんでいませんでした。


僕のを書いていたとき、初登場の塔子さんの顔もきちんと書けていなかった。

すっごい怖い人のように書かれているんですね。ゆきで出てくる時に、ある意味別人のように人物として丸くなっています。


どうしてそうなってしまうのか、わかりますねえ。今なら。

母が怖いからですね。


私が現実で母を怖いから、ただそういうわけでもなくて、

人というのは、母親に否定されることを恐れているものなのではないですかね。

普遍的な恐怖なのだと思います。

だから、自分という存在を否定する母親というものを小説の中という架空で描こうとしても、筆が鈍るのかも。また、その作者の持っている母親像に沿って、その母親は厳しかったり優しかったり甘かったり、色々なんじゃないかな?


重要なのは、母親という女は実は色々な顔を持っているということなんですね。

仮に、とある子供が母親は厳しい女であると認識して育っていて、その過程で、でも実は母親は優しい女でもあったと認識を変える時、きっとその本人は救われる。


その顔を探しに行かなければならないのだろうな。

これは厳しい旅になりますよ。ふふふ。


私がこの旅から生きて帰るか、ちゃんと宝物を得て帰るかどうかわかりませんが、仮にちゃんと宝物を得て帰ったとします。そうやって書いたものをどれだけの人が読んでくれるかどうかわかりません。


ただね、そういう方向のものは必要だと思うんですよ。

私は物質よりも精神に重きをおいて生きている人間ですので。

金より心だ、なんてのが世の中の真理だなんていうつもりは毛頭ありません。

ただ、世の中の全ての人が、心より金だと大声で叫んでいては、生きにくくなる人がいるのは事実だと思ってて、だって実際、元気に外に出て行けずに苦しんでいる人がいる現代ですよね?


だから、あるいは自分はこの世のマイノリティな存在なのかもしれませんが、そういうものになるかどうかわからないものをコツコツ書こうかと思ってます。


だって、それを書くことで失うものなんてありませんね。


金があったって、それは死んでから天国か地獄まで持っていけるものかいと。

天国の門番の天使か、地獄の門番の悪魔に没収されて終わりだろと。

本当に大切なものって金なのかと。


そういうことを例えばいえば、じゃあ金のない生活をしてみろとお金をとりあげられて、生き地獄に落ちるわけだな。


そこで自分は、お金を持っていながらの生き地獄とは何かを書きたいのだと思います。

そして、お金とは関係のない部分で、失ってはならないものとは何かなのかなぁ。


そこからのとどのつまりですが、結局はそれがね、戦争を知らない世代である人たちの主張なのではないかと。無駄になるかもしれないけれど、言葉にしなければならないのですよ。言葉にしなければ形作られないものがあるんです。世の中には。


物があればそれで幸せなんですか?という問いですね。

それは親世代との戦いになるんですね。


そんな戦いは実は、家庭内でも起きているし、会社の中でもあると思います。

以前であれば、戦前と戦後

現在であれば、高度経済成長の世代とその後の世代ではないかな。


この戦いに勝てば、勝って外を歩けます。

時代の変化とともに経済をめぐる環境も変化するかもしれませんが、心のあり方だって変化します。大事なのは新しい価値観だと思ってます。


だから、それを探すために私は国を出たのですから。

海外の価値観の中に何か答えが見つからないかと。

バブルが弾けたときに、弾けたのはお金だけではない。

バブル前のような考え方では、心がもたないんですよ。


でも、その新しい考え方や価値観を教えてくれる大人はどこにもいません。

お前たちは幸せだな。豊かな時代に生まれてと言われて終わりですから。


途中まで、ただの執筆状況の報告だったのに、かなり脱線してしまいましたね。

活動報告の場でこれを発表するのは気が引けますし、途中からカットしてエッセイに収録しますかね。


自分の根本には、強い怒りがあるのだなと改めて思います。

最近の感慨ですが、人を突き動かすものは、やはり怒りの感情なのかなと思うんですね。何かを成し遂げるには、人間はエネルギーが必要ですから。強いエネルギーというのは怒りから生まれるのではないかと思ってます。

私の根本には怒りがあるけれど、でも、それと同時に、人は折れる瞬間がある。


会社の中で、私は会社の現状に対しても怒りの気持ちを持っていました。現状を変えようと私なりに努力していて、でも、うまくいかないからと諦めました。

折れたままの自分でこの会社にい続ければ居続けるほど私は弱くなるでしょう。


誰だって折れるよね。

最初っから諦めた弱い人間な訳ではない。

だから、私もそういう大勢の1人なわけですよ。


ただね、それをひっくり返せば、誰だって諦めなければ何かはできるのだと思う。


自分はこんなところで終わる人間じゃないと実はみんなが思っていて、


だけど、自分はこんなところで本当は終わる人間なのかなと人生の半ばで諦めそうになる瞬間がある。


そして、最近思うのがですね。こんなところで終わったって別に全然いいのだということでした。


我に走るから苦しむのであって、自分がすごいと周りに思われたいというのは、自分のためですよね?あるいは、親のため。


そういうことから自由になって、自分は何をしたいのか、何ができるのか。

その結果できたことが周りから見てどうかなんてどうでもいい。

自分が満足できればそれでいいんじゃないでしょうか。


だって私は私のために生きているんだから。

だから自分の信じることをやればいいんです。人に迷惑をかけなければね。


この苦しみや悩みが紆余曲折の上に消え去る瞬間が書きたい。

自分でもよくわからないこんがらがった糸の塊は、書き続けることでしか見えない何かでこんがらがってるんですよ。きっと。

生きている間にこのミステリーを解きたい。


元々の自分には、知識欲しかありません。

仕事はその知識欲の副産物で、私にお金を下さればいいんです。

そう思えば、次、どんな仕事をしたって無敵ですね。

ただ、問題を起こさないように、周りの役にそこそこ立ちつつ楽しめばいいのです。


死ぬまでに、知りたいだけ。人の心というものが世の中という箱の中でどう動くのかを知りたいだけです。

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