自分の終わりは自分で決める
自分の終わりは自分で決める
2022.07.02
取らぬ狸の皮算用をしてはならないなと思いつつも、自分の履歴書が大きい会社に通ったという事実に、まだ喜んでおります。私みたいな人も多いと思うんですが、一つの会社に10年近くも勤めました。すでに隅から隅まで知っている。仕事は楽です。人間関係も楽。よっぽどのことがなければ辞めないよね。同じ職種で転職したとしても、1から始める苦労は大人はよく知っているものだ。
もともと自分は非常に臆病な人間です。
小学生のちっちゃな頃に、クラスの人全員に無視された期間があって、それ以外の原因もあって、対人恐怖症を克服しながら生きてきた人間ですね。折角今の会社で頼りにされているのに、仕事だって初めてやる人には難しいだろうけど、私にとっては半分寝ながらできる仕事です。このまま楽に行けるところまで働くと思ってた。
だけど、日本人として口の利き方がなってないとまで言われて、目が覚めたのです。
いくら怒らない私でも怒らせてしまう強者というのが世の中にはいるようで、こんなに臆病で怠け者の私の腰を上げさせてしまった。
これもねぇ、運なのかなと実は今になって思ってた。
私を本気で怒らせるような人が入ってきて、それがきっかけになりました。
でも、その後に、本当に転職なんかできるのかと。転職して損をしてそれでいいのとか。逃げ出していいのかとか。
後はですね。私は大人だから知っている。
程度の大小はどうあれ、自分と合わない人、嫌な人、嫌なこと、そんなんどこの会社に行ったってあるんですよ。
本当です。
自分を中心に地球は回っていないのです。
人材紹介の人に言われたんです。
転職を決断するときのポイントですね。
「あなたのその嫌な人が、急に転勤でいなくなったら、そしたら、まだ働きたい?」
頭をガツンと殴られたように、これはいい一言だなと。迷っている人に私もかけてあげたい一言です。
きっかけはそれでもいい。でも、最後はそこではならない。
これからの10年、20年、もっと仕事に頑張りたい?
それとも仕事はそこそこに、子供を中心に楽しく生きていきたい?
究極の選択です。なぜなら、今すでにある程度の仕事をしている。これ以上の仕事はもっと難しい仕事です。
頑張らなくてはならない。
本当にそこまで頑張るの?私、無理してない?
ここの会社で酷い目に遭いました。逃げ出したい。
こんなふうに会社を辞めても、悲しいかな、きっと転職先にも意地悪な人はいるんだよ。
楽な仕事、人間関係が大変そうじゃないような、そんなふうに転職すれば、給料は下がる。
怖かった気持ちが落ち着いた時に、ああ、私、追い出されたなとその傷は長く残る。
そこで、もう一度真剣に考えました。
私は今の会社を出て何ができるんですか?
私ができることって何?
今の会社は一部の人が私を害するだけで、それ以外の人たちには信頼されている、頼りにされています。
それをリセットした状態で、私に何ができるの?
会社の悪い部分だけ見ずに、当たり前だから忘れているいい部分はないの?
私の給料は本当に安いの?
私の知識や経験は外で通用するの?
そういうのを差し引きして、別の会社で働く自分を想像して一通り恐怖した。
そういう状態を一時的にたっぷり過ごした後にですね、冷静になりました。
そして、この10年を振り返りました。
最初の5年。会社の改善に対して一生懸命発言していた自分。
そして、わからないことを片端から勉強していた自分。
会社はもっと良くなると、自分はその手伝いができると頑張ってた自分。
それを思い出した。
うちの会社は、日系のメーカーだとこういうところが多いと思うんですが、製造と営業は強い。しかし、管理部門が弱いんですね。立ち位置を下に置かれていて、発言力が弱いんです。
入社した時から、グループの規模に対して管理部門の弱さが気になっていた。だから、改善が必要だし、自分もその手伝いができると信じてた。だけど、上から任される仕事は10年間変わらなかった。相変わらず財務部門の機能は限定的です。
いつからか諦めるようになってたな。言っても無駄だと。何も変わらない。
そして、言われることだけするようになってました。
こういうことを繰り返していると、その繰り返しの中で自分の能力と実力が決められていく。
人の能力というのは、潜在能力があり、それを会社が引き出せば、それなりに伸びていくものだと思うんです。
でも、そういった観点で人材を管理し、段階的に仕事を与えていかなければ、途中で止まって自分の能力はここまでだといつか思い込むようになる。
もちろん、人にはね、各個人の限界というのはあると思いますよ。
だけど、ある程度は開発できるし、活用できると思うの。
私の能力は本当に今やっているところが限界なのかなと。
そこを真剣に考えました。
そして、人間の不幸についてつくづくと考えたんです。
それは、終わりを他人に決められることではないでしょうか。
みんながみんな、社長になるわけではないし、部長や課長になるわけでもないですね。
ただ機会を与えられてそれを活かせないのと、機会を最初から与えられないのとは違う。
ニュースで男女賃金格差をどうのこうのというのをやっていて、それをぼんやりと見ながら思いました。
機会を最初から与えられずに、時間が経つうちに、自分はここまでの人間だったんだなと思い込むようになる。
日本は男女の格差がありますからね。女性にはこういう状態になっている人、結構いると思うんですよ。
もちろん、男性にもいると思いますけどね。
やってダメなら納得もいく。
だけど、やる機会すら与えられずに、終わりを迎えるのは違います。
これは給料のためではないんですよ。給料のためではない。
本来はもっとできる人を能力より低いポジションに押し込めて、安く便利に使う。
そんなことをして、その人の誇りを傷つけてはなりません。
そういうやり方は利益を産まない。
会社はもっと人材を活用すべきです。便利に使ってはならない。
自分の終わりは自分で決める。
だから、人生の折り返しを過ぎた今、もう一度挑戦しようと。
そしたら、今自分が働いている会社より大きい会社の面接を受けることになった。
ポカンとしました。
自分なんか自分なんかと勝手に過小評価して井戸の中に入っていた蛙。
普通は蛙は過大評価して井戸の底にいるものですが、反対だったのかなと。
歳も歳だしとか、財務の専門でもないしとか、マイナス要素を一生懸命上げ連ねては自信を失ってた。
だけど、中国に長く、中国人と結婚していて、語学だけじゃなく文化についても良く知っている。
また、1、2年でパッと帰らない。10年の財務経験がある。学歴も悪くない。
こんな大きい会社で働いたことはありませんが、日本でならね、引っ掛けてもらえないだろう。
だけど、ここは中国です。
そう、仕事の経験だけでなく、私には海外経験があったんだな。
営業になるのかなとか、給料下がるのかなとか、そんなことばっか考えてた。
まさか……
すごい嫌なことがあって、なんてついていないんだと落ち込んでた。
でも、本当はラッキーだったのかなと今思ってます。
自分で動けば、運命を変えられることだってあるのだな。
そしてね、前向きに生きられるということは人間にとって非常に大切なことだと思うんです。
お金が上がらなくたって、肩書きが与えられなくたって、そんなことはいい。
ただ、自分の行ける一番遠いところまで行きたい。自分を途中で終わらせたくないんです。
逆転ホームランは本当は打てるんだよと、もっとおばあちゃんになった時に、若い子に言ってあげたい。
最初っから成功している人にではなくて、頑張りたいのに上手く頑張れない私によく似た自分より若い子にです。
頑張れば、何かが返ってくる場所に自分を置きたいんです。
ただ、自動的に少しずつ上がる給料を受け取りながら、少しずつ重くなっていく会社の荷物になんてなりたくない。
面接で失敗しませんように。
取らぬ狸の皮算用はここまでにして。
小説の続きを書きましょう。
一生懸命に生きている姿勢がなくては、いいものは書けません。
誇りを傷つけられたまま唯々諾々と生きるのをやめ、人材紹介の人に会う決断をしてよかったです。
汪海妹




