九死に一生を得る
九死に一生を得る
2022.06.15
昨日、帰りの通勤車の中で膝にiPadを載せてエッセイを書いていた。横の同僚は仕事関係でやっぱりノートPCか携帯を覗いていて、もう一人助手席に同僚が乗ってました。
「莫司机?莫司机?」
突然助手席の子が騒ぎ出す。パッと顔を上げると、運転手の男の子がハンドルから手を離している。
みんなで高速道路上にいました。車は幸いそこまで速度を上げてなかったけど、それでも前へ進みながらハンドルが離れて今にもぐにゃりと進行方向を失おうとしている。
「莫司机,怎么了?」
助手席の子が運転手に声をかけながら、横から手を伸ばしてハンドルを支える。でも、ブレーキには手も足も届かない。ただ、運転手がブレーキを踏んだようで、車は更に減速した。
運転のできる助手席のこと私の隣の子が、ハンドブレーキをかけて車を止め、緊急停止の時に使うウィンカーをつけた。
「莫司机,怎么了?」
車が止まって改めて運転手の様子を見る。まだ20代の子なんです。居眠りしていたとかそんな問題ではない。ずっと彼を見てたわけじゃないけど、いきなりすこんと意識を失っている。体をこわばらせて少し痙攣しているようで、そして、呼吸をしていない。
「どうしよう?救急車、呼ぶ?」
この子、死んじゃうかも。それもあるけど、こんな高速道路の途中で車止めて、私たちもどうしよう。
怖くてたまらない。その時、二つの恐怖にとらえられていました。
こんな若い子。すぐにどうにかしてあげないと死んじゃうかも。
そして、私たち、こんなところで止まっていたら危ない。
「莫司机?莫司机?」
懸命に助手席の子が運転手の肩を叩く。救急車、呼ぶ。でも、ここは中国。私たちだけで対応できる?会社の総務の中国人、電話する?
呼吸をできていない運転手の皮膚の色が一瞬、青ざめた。
目の前で何もできずに人を死なせてしまったらどうしよう?
それは、生まれて初めて経験した恐怖でした。そう、私は目の前で人が死んだことがない。
病気で死んだ親族も全て、その現場に立ち会ったことはない。
そして、運転手さんは目を開けました。
「どうしたの?今、呼吸してなかったんだよ。大丈夫?わかる?」
声をかけたら返事があった。意識を取り戻しました。
「水飲んで。どうしたの?寝不足だったの?」
寝不足だったなんてことはないと思う。寝不足で居眠りするのとは様子が全然違った。これはすぐ病院に行かなきゃいけないものだと思う。ただ、同乗していたみんなもパニックだったんです。
「Oさん、本当に悪いんだけど、運転して」
隣の子が声をかける。私たちはまだ高速道路にいました。いつ後ろから追突されてもおかしくない状況でした。助手席の同僚は普通ならあり得ないことですが、この中国で免許を持っている日本人で、そして普段からここ深圳でプライベートで車を運転しているんです。
高速道路で車を降りて路上で運転をかわるなんて狂気の沙汰です。ただ幸いにここは坂道で、そして、車は比較的少なく、周りの車も速度は出ていなかった。内側から代われというのを無視して運転手は助手席へ、同僚が運転席に乗る。車が通常の速度で発進した。
「会社に電話しよう」
隣の子が総務の中国人に電話をする。
恐怖の頂点から少しずつ戻ってきました。運転しながら、彼女はまた懸命に助手席の運転手に話しかける。彼は今は普通に会話している。割れるように頭が痛いとかそういう様子もありません。
でもね、医者じゃないからわからないけど、すぐに病院に行った方がいい。
「代行頼んで。絶対に運転しちゃダメ。安全なところで私たち降りるから。代行頼んで、ね。うちに着いたら車置いて病院行って」
そして、しばらく走って高速を降りて、路肩に車をとめて彼のための代行を呼びました。それが来るのを待ってから、路上を流しているタクシーを拾って三人乗った。
九死に一生を得ました。
家へ向かいながら、三人で少しずつ落ち着いてきてさっきの話をする。
助手席の子がいなかったら。
代わりに運転できる人がいなかったらどうなってたか。
車の運転の全然できない私が一人だったらどうなってたか。
後ろの席からどうやって車を止めたらいいかすらわからなかった。
助手席の子は帰りはよく寝ているんです。今日はたまたま起きていた。
それに彼女は日頃から運転をしているから、車の動きの異常にすぐ気づく。
妙な揺れにパッと顔を上げて、すぐに異常に気づいた。
もしも彼女がいつものように寝ていたら。
そして、おかしくなった時の場所が上りの坂道ではなくてもっと車がビュンビュン飛ばす部分だったら。
私たち四人ともどうにかなっていたかもしれない。
運が良かったな。
日本にいようが中国にいようが、不意にこんなことに巻き込まれる可能性というのはある。防ぎようのないことというのはある。頭ではわかっていても実際にその場に居合わせなければ、やっぱりわからないものもあるものです。
最後の最後に人の生死を決めるのは、運なのかもしれないなと思いました。
戦国の武将とかならば、その運を味方にするために自分を鍛えたりするものなのかもしれませんが、私は死に向かうような立場の人間ではない。普通の人間です。平和で安全な日常にいる。それでも巻き込まれることだってある。
最後に決めるのは……
その後ろの答えはきっとまた人によって違うのだろう。
汪海妹