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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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灯油を盗む

 大学を卒業してからずっと何かしら仕事はしてきました。職場が日本も含めて、5回替わった時結婚した。結婚して子供ができて、ちょうどその頃に勤めていた学校が経営上の問題でなくなることになった。無職になりました。中国で初期検診に行くと子供と一緒に子宮筋腫が見つかりました。内側ではなく外側にくっついていて結構大きかった。もともと日本で出産する予定ではありましたが、予定より早く慌てて戻った。


 子供と一緒にホルモンの影響で筋腫も大きくなります。痛みを伴うこともあってその影響で早産になることがあると言われた。心配性の自分はあれこれと悪い方向に想像をしてはヤキモキしつつも、久しぶりの日本と故郷に癒されていました。一時帰国することはあっても、ずっと住んでいなかったのです。


 そして、あと2ヶ月で予定日という時に、あの、三陸沖の大地震が起こりました。内陸だったので津波の心配はありませんでしたが、電気が来なくなった。被災した。中国にいる主人に地震が起きてすぐに携帯からメッセージを送っていました。後から聞くと、データを送る設備が地震と同時にしばらくダメになっていたのでしょうか?主人が地震はあったけど我々全員何の問題もないというメッセージを二日ほど受信できなかったのだと言っていた。


 電気のない被災地の人たちの方があの直後の時は、テレビを見ることができなかったので何が起こったのかを知らないでいました。自分たちの身の回りのことしかわからなかった。台風の目のようなところにいました。不思議な平穏。一方で、世界中にあの地震の直後の津波の映像が流れていたわけです。


 いつまで経っても電気が戻ってこない。家中探して蝋燭を使って、そして、ラジオのために電池を買いに行く。どこへ行っても売り切れだった。それから、スーパーへ行く。お寿司とかお刺身とかが安くなってた。通常営業が続けられない中で、とにかく売り切ってしまおうとしてたのかもしれません。まだ直後は皆のんびりしてた。


 やっと電池を手に入れて、ラジオを聴いた。福島原発のことを聞いて、やっとことの重大さを知りました。


 普通の地震ではなかった。

 それはラジオを聴く前からわかってました。揺れを経験したのだから。だけど、その広範囲に及ぶ影響と、沿岸の人たちの死者、行方不明者の数。そして、原発。


 その後、お店から食べ物が少しずつ消えていく。パンや牛乳を見なくなり、お寿司等の加工品もなくなる。一部の人は買い占めを始める。食料も問題でしたが、それが本当に底を尽きることはなかった。恐怖が襲っただけで、パンがなければ米を食べるし、冷凍庫の中にはまだ買ったまま忘れてしまったものがあって、戸棚には乾麺や缶詰もあった。問題なのは、ガソリンと灯油でした。その頃はまだ東北は寒くて、ストーブを使う必要があったんです。電気のためにいつも使っている温風のヒーターが使えなくて、昔ながらの灯油を燃やすストーブを倉庫の片隅から引き摺り出してきて、家族みんなであたった。

 

 いざというときに車が使えないと怖い。ガソリンが切れることを不安に思って、皆車を使わなくなった。自転車を使うか歩いて目的地まで行く。車を使って営業をしていた家業は、しばらく休むしかなくなりました。もう少し落ち着いた頃に沿岸の津波の被害のあった地域の知人宅にお見舞いを兼ねていったことがあります。その時には、ニュースになっていないだけで、一時的に治安が悪くなったのだという話を聞いた。灯油を盗む人がいたのだというのです。平時であれば考えられない。日本人が、泥棒ではない普通の人が、灯油を盗むなんて。まだ寒い時期に灯油を盗むという行為は人の家の暖を奪う行為です。延長線上には生命の問題だって起こりかねない。


 3月の東北はまだ寒いですから。あの寒さの中で過ごした人にしか、この緊迫感はわからないと思うのですが。


 荒んだ気持ちに確かになりました。なりましたけど、でも、私たちは嵐の中ででも、まだ、恵まれていたんです。家族は誰も何もありませんでした。普通に営業ができないせいで、経済的な問題はあった。でも、もっとずっと酷い目に遭っている人たちがいて、そして、あの時はみんな大変だったんです。


 むしろ、もっと静粛な気持ちでいたような気がします。


 人は、生命の危機とかそういうものに平和な時代に生きていればなかなか出会うものではないと思うんですね。それが、人間の力ではどうにもならないような大きな力が存在していて、たくさんの人の命を奪い去っていった。海のそばの空と私がその時いた空は繋がっていたし、そんなに離れていなかったんです。直接には繋がっていない見知らぬ人の命がたくさん消えていく、そのそんなに遠くはないところに自分もいて、お腹の中で自分の子供を育てながら、あの揺れを経験した。


 生きることと死ぬことの間にいて、でも、自分は選ばれて連れ攫われなかったのだから、自分と自分の子供は。だから、きちんと生きなければならないとそう思った気がします。

 あの時、私の故郷にいた人たちは多かれ少なかれ私と同じような経験をしている。皆が皆、私と同じように思ったわけではないと思います。人の暖を取るための灯油を盗むような人だっていたのですから。だけど、もちろん、そんな時にだって自分たちを守ると同時に他人に対しての想いも消さない人もいた。寧ろ後者の方が多かったのではないかと思います。ここには私の願いもこもっていますが。世界がそのようであってほしいという私の願いが。


 人として、その違いはどこから生まれるのだろうと思うのです。

 いざとなったときに、自分は灯油を盗むのか、それとも、自分と家族を守りながらも他者の死を悼む心を持ちつつ人間らしくい続けるのか。


 それがわかりません。


 本当に本当に追い詰められた時、私はそれでもやはり灯油を盗むのではないかと思うのです。

 自分や息子を守るために、私は灯油を盗むのではないかと思う。

 芥川龍之介の羅生門のように。それが人間の本性ではないかと思うのです。


 私は自分の人間としての高潔さに期待はしていません。

 私が考えるのはそうではないのです。

 大事なのは、自分の能力の限り、知恵の限り、そこまで追い詰められる事態を回避することだと考えています。

 

 平時に戦時について考える。


 どうすれば、自分が、家族が、そして、みんなが戦時に追い込まれずに生きていけるのか。

 そのために自分の持てる全ての能力を捧げる。

 そういう風に生きる人が私だけでなくて他にもいて、そして、そういう人たちがたくさんいたら……


 それが、人間の持つ真の良心であり、そして生き抜こうとする本能ではないかと思っています。

 きっとこのように考えるのは自分だけではないと願っています。

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