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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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若者への苦言












   若者への苦言

   2022.05.07













ひとまわりほど下の子2人と毎日出退勤しております。

会社が車を出してくれているんですね。


で、私は争いを好まぬ人間で、いいところは優しいところ、悪いところも優しいところ。


歳をとってくるとなんだか優しいと一口に言っても、ただ相手のいいところも悪いところも受け入れ、やんわりとしか助言しない。

これがさ、自分、だめだなと落ち込むのです。

人に嫌われてもその人のために苦言を正面切って言える人、これは本当に立派な人です。

今、まさに現在進行形で悩んでいるのがここなのね。私。

ま、でも、性格は変えられない。


だけど、だから安心していてよく言えば心を開いてくれるわけなのだ。

ま、そういえば聞こえはいいけど、つまりは飾らない愚痴を聞くわけ。

私より年上尚且つ立場も上の人たちのあそこができてない、ここができてないと。


真ん中の立場で2人の批判を聞きながら、2人の普段からの仕事ぶりもよく知ってる自分は考えました。


2人がもしあの立場になったら、判断しなければならないこと、その規模、聞かなければならない話、そして単純に仕事量、男の子は3倍、女の子は5倍以上だなと。


その立場に立ったら、もちろん2人ともきちんとこなせないでしょう。


自分もね、こんな愚痴を結構長い間隠れたところでやってきてたよね。

だけど、陰で「私ならこうやるのに」というのと、本当に表でそれをやるのは違います。

特にしんどいのは、上へいけば上へいくほど、たくさんの人たちにこういう陰口を叩かれることですね。


私のいないところでは、私の仕事に対する批判もしてるでしょう。この子たちは。


でもね、批判だけなら誰でもできる。

大切なのは、批判に耐えられるかどうかじゃないかなぁ。

上に行けば行くほど必ず大なり小なりの下からの反発は受ける。それを時々抑えながらね、でもさ、

大事なのは下の一人一人の機嫌を取ることじゃないんだよ。

こう動けば下はこう反発すると分かっていても、敢えてそうしなきゃいけない時がある。

だってね、会社にとってのベストと、一人一人個人のベストは違うんです。


判断してその結果に対して責任を負う必要のない人が、陰でピイチクパアチク言っていることって、実はほとんどが聞く価値のないものかもしれません。発言をするときに必要なのは、その発言に責任を取れるかどうかだと思う。


責任を取るってのはね、大変なことだと思うよ。疲れるよ。

それがわかってる人は、あえて出世なんかしたくないって思うことだってあると思うの。

上に上がった人というのは、そういう疲れる責任を自分たちの代わりに取ってくれている人なんだって

そこが見えてなければなぁ。もちろん理想だよ。だって、そんないい上司ばっかじゃないからね。現実は。


会社が自分を認めてくれなくて、で、自分が下の立場にいるから責任を取らないだけで、自分だったら上に行ったら今の人よりもっとちゃんとやります、という人もいるかもしれない。

だけど、会社が認めないのにも理由がある。


上に行く人というのは、下にいる時からやはり姿勢が違うのだと思います。

いわば、無責任に上の人を批判するようなことはないと思うの。

もちろん、会社にとってのベストではなく、これはやはり提言しなくてはということがあればいうと思いますよ。

だけど、提言の仕方も自ずと変わってくると思うんです。


表面上は丁寧であっても、下の立場で上に対するときに、こいつより俺の方が上だという考えは漏れるものです。

そうすると上も下に対して反発を込めるから、上下のコミュニケーションはギクシャクとするし、仕事はうまくいきませんよね?

でも、素直に、上も大変だなぁと思うことができれば、それは上にも伝わる。


そして、かなり大切なことだと思うんですが、仕事をする上で、


自分の実力をですね、客観的に見ることができるかどうかだと思うんです。


卑屈にならず、かといって過大評価しない。

上の人間と自分を比べる。本当に客観的にみて、自分の能力は上より高いんでしょうか?


私は頭は悪くないですが、メンタル弱いんです。何度も言いました。

会社員としてやっていくのに苦労してます。

仕事は人を動かさないといけないからね。メンタル弱いと顎で人を使えないんだよ。

じゃあ、お手上げ!として何もしないか。そういうわけにもいかないのね。お給料もらってるから。

できないなりにあっちゃこっちゃ走り回ってる自分をそのまま自分として受け入れられるようになりました。


会社員向きじゃないのに頑張ってるな、自分。


そしてもう一つ、私の変化は、陰口を叩かれてもほっとけるようになったことかな。

一つに、私の陰口を叩くことは本人にとって何の益にもなってない。

もう一つに、下を満足させるのが私の仕事ではない。

あまり取り上げないと辞めるかもしれない。じゃあ、この人が辞めたらどうするか。

それはね、常に上は考えていると思うよ。


そういう駆け引きをしてくる下の人と、素直に支えてくれる下の人、そして仕事の役割や実力を含めて常に心の中では天秤にかけているのが上の立場だと思うよ。


会社を良くするための私に対する批判は、表でしてこいと。判断します。

そうでないならば、いうのは自由です。でも、私は聞きません。


私にとっては育てなければならない人には優先順位があるんです。

駆け引きをしてくる人には私の言葉は届きにくいし、何より、愚痴の多い人というのは仕事をサボっている時間が多いんですね。

全部見えてますよ。

それより、愚痴を言うとしてもそれが会社を良くするために近い意見をいう子や、サボらない人。こっちが優先です。

速く育つ方を先に育てなければ、いざという時にまたにっちもさっちもいかなくなる。

長い将棋を打つようなものです。仕事をすると言うことは。


たださ、愚痴を言う子の気持ちもわかる。それはちょっと前までの自分じゃないですか。

そのままじゃいけないよと働きかけて正しい方向を向かせたい。


そう言うことを言って、この前友達に叩かれたのですよ。

生き方を変えろと。みんないい人ばっかじゃないよと。


落ち込んで寝ました。爆睡した。人間精神にダメージを受けると、寝て回復するものだ。


それで一週間ほど経って思うんです。

人はいい所も悪い所も持っていて、そばに良き理解者と指導者がいたら、いい所を伸ばし、悪い所を抑えることができると思います。


ただね、そんな凄いことができる人は、一握りなんだろうな。

簡単なことじゃないんだよ。


私は、私にはできない理想を抱えては、何度も何度も無理をして転んできているように思います。

できないことをしようとするから、のぼっていけないんだなぁ。


私じゃない人なら、ブツブツ文句を言っている人に作用して、もっと前向きにしてあげられるかも。

だけど、今、自分は自分で手一杯なんだわ。

それが現実なんだわ。


成長したな、自分。

ボケーっとランチを食べたお店の片隅で思います。


陰口を叩かれたり、利権争いに巻き込まれたり、私と似た大事な部下が会社をさらなければならなかったり、

きっと私に起きたようなことは他の人にも起きてるし、もっと酷いことを経験している人だっているでしょう。


自分の理想の自分はもっと強いし、自分の思考の中では人間の心というものはもっと美しいんです。

だけど、その理想の自分のままに現実世界で前へ進もうとすると、足を取られて転んでしまう。

私の足をとる人がいるからですね。


人の悪意というものをどう解釈して、飲み込んでいくのか。

それは世界をどう解釈して生きていくかと繋がってます。

それぞれ一人一人の人間によって実は千も万もいや、それ以上の世界というものが存在しているのじゃないかな?


嘘の解釈というのが成り立つ。善意に満ちた世界観ですね。

だけど、それを嘘と言い切ることもできない。


たくさんの創作物の中で、ありとあらゆる人たちが、作家の思う善と悪を戦わせてはその結論に思い馳せていますよね?

悪の解釈というのはそのくらい非常に重要なものだと思うのです。


ただなかったものにすることはできない。

私は人の悪意に晒されたことがありますから。

だけど、一度たっぷりと悪意に晒されたことのある人間が、それでもこの世界で生きてゆくと決めた時、

その時、世界をどう解釈するのか?それはですね、結論を急いではいけないと思っているのです。


それは意味のある価値のある考察だと私は思っていますので。


この人はいい人だと信じたい。でも、本当はいい人ではないのかもしれない。

そんな単純な問いがありとあらゆる複雑な細胞分裂を繰り返して、大きなものへと発達していっているのではないでしょうか?


最小限の単位の感情について考えることは、だから非常に大切だと思っているのです。

水でさらっても、さらっても、なかなか見つからない一粒の金を探すようなものです。

探し続けるのかと問われたら、探し続けますね。

一度、自分は本当に価値のない人間だと思って、周りの人にちっとも心を開けなくなった。

そんな人間が、それでもそこから抜け出したいと思って人の悪意を解釈しようと思った。

生きていくために必要だったんです。


誰かに与えられた答えなんかでは満足しませんよ。

そんなにたくさんのものが欲しいわけじゃない。でも、人間関係の中で、他の人と同じようにやはり自分も揺られて悩みながら、この答えについては考え続けていたいんです。


神様、一度悪意に晒されて、傷ついてしまった心は、死ぬまでに努力すれば、完全に癒やされることがあるのでしょうか。

目を閉じて耳を澄ましても何も聞こえない。


ただね、最近一つだけわかったことがあるんです。

傷ついたのは自分だけじゃないってことだな。

傷ついてしまった人なんて、その傷の大きさや深さや原因は様々でも、この世にたくさんいるってことだ。


汪海妹


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― 新着の感想 ―
[一言] 汪海妹様 いつもしみじみ拝読しております<(_ _)>(*^-^*) なんというか・・・ いま、気づきました 汪海妹様の作品には「愛」があるんですね 人間にたいする愛 人間関係にかん…
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