花束のような恋をした プラス 人間の顔
花束のような恋をした
2022.05.01
ネタバレします。読まれる方、ご注意ください。
友達に誘われて映画を見てきました。灰色と青で声を聞いてから結構好きな菅田将暉さんと有村架純さんの恋愛映画でした。
泣いた……。
そんなに泣けるのか!と見にいかないでください。私の涙腺はヒジョーに緩いのです。
大学生の時に知り合った2人。彼はイラストで食べていきたい人で、彼女は本や漫画が好きな人で、2人は好きな本や漫画の話で盛り上がって付き合うようになる。双子のように気の合う、仲のいい2人。大学卒業後、一旦フリーターになって一緒に住み出したけど、そのうち将来のことを考えて彼はイラストを諦めて社会人に、彼女も安定した職業に就く。仕事仕事で、イラストを描くことはおろか、好きだった本や漫画も見られず、徐々に感じる心さえ失ってゆく彼。以前のように本や漫画での価値観を共有できないことに寂しさを感じる彼女。
それが大人になることだと思い、彼女を子供っぽいと次第に感じ始める彼。違和感を感じる彼女。
結婚してやるから、そして、君は好きなことをやり続ければいいと言ってしまい、そのプロポーズは何か違うと思う彼女。
とある時に、彼女は手堅い仕事からやりたいことができるイベント会社へ彼に相談もせず転職してしまい、そのことも彼を苛立たせる。
生きていくためには、責任感が必要で、そんないつまでうまくいくかわからないふわふわした仕事に着くのは、やりたいことを仕事にするのは間違ってると思う彼と、わたしはやりたくないことはやりたくないとぶつかる彼女。
そして、2人は別れを選んでしまうのですが……
いろいろな角度から見られる作品だと思います。
結婚している2人の話ではないのですが、恋愛と結婚は何が違うのかを考えさせられる映画だなぁと。
社会に入って、同じ本を読んで前のように感動できなくなる。以前はすごいとかいいなと思ってたものがくだらなく思えるようになる。
社会人になってすぐって余裕がないんだよなぁ。
双子のように息が合った2人だったからこそ、女の子は彼が変わってしまったことに耐えられなかったんだと思うんです。
恋愛という名のあの濃密な時間。あれは終わる。それでは人は恋愛から恋愛へと渡り歩いてゆけばいいのでしょうか?
そうだなぁ。
社会人になったばかりの頃は、仕事というものに向かって全力疾走をして、程よく手を抜くということができないのだと思うのだよね。そういう走るテンポが少し落ち着いた時が、人の結婚どきではないのかなぁ。
例えばこのカップルは、失うという経験をした。
その後の苦味が人生には必要だと思うんです。
自分が仕事ばっかりになってたなと気づく余裕が男の人に生まれた時。時には立ち止まることも必要だなと思えるようになった時。
その時にはきっと、彼女が読めばと言って置いてった本に手が伸びる。
馬鹿みたいに働いて、俺馬鹿みたい。
と、少し肩の力が抜けて、少し前の彼みたく戻った彼がいる。
そうだよ。そうだよ。
と、その時に言ってくれる存在のありがたさ。
恋愛をしていた彼が完全にいなくなったわけじゃない。
私はねぇ、思うんです。恋愛の一番よい季節というのは必ずすぎる。だから、いい結婚というのは、たまに、時々、それが蘇ることだと思うのね。毎日がハネムーンなんてことにはならない。でも、毎日を一生懸命に生きるうちにも、人は時々立ち止まる日というのがあるでしょ?大人になれば余裕が生まれて、手抜きをする日ができるんです。仕事ばっかもしてられないじゃないですか。
そういう時には、出会ったばかりのような雰囲気で何かできれば。
毎日とは言わない。たまに、たまーに、昔に戻ったような幸せで楽しい日があればいいんです。
そうすれば続いていける。
若いとね。やっぱり経験が少ないからさ。
彼が一旦変わってしまった時に、そのままずっと帰ってこないと思ってしまったのだと思うのね。
でも、ずっとじゃない。ずっとじゃない可能性もあるんだな。
一番いい季節はすでに終わってしまっても、一緒に居続けることはできる。
人間の顔
2022.05.02
昨日に引き続き花束のような恋をしたについて書いております。
ネタバレすると思いますので、ご注意ください。
↓ここから本編です。
映画というものを最近はあまりみておりません。テレビででもたまに見るくらい。嫌いなのかと言われると、違うよね。情報量が多すぎるのだよね。例えばね。アクションの方が見やすいかなぁ。ババババババ、バーン、で、あまり何も考えなくていいから(笑)映画館とかで映画を見ると、それがいい映画だと、しばらくその世界にはまって色々なことを考えてしまいます。
あのね、大人になって社会に出て働き始めると、時間と余裕がないのだよなぁ。
いい映画を見てその1シーンにたっぷりと思い馳せるというのは、結構贅沢なことなんですよ。
本当いうと、働き始めてもたまに映画を見る時間ぐらいあるんだわ。本当にないのは時間の余裕ではなくて、心の余裕なんだと思います。心の中に常に走り続けているハツカネズミのようなものを大人は飼っているからね。昔なら、何も考えずに自分の感情に浸ることができた。だけれど、働き出してからは、映画に浸っている自分の横には砂時計があるんだわ。後このくらい浸ったら、現実に戻ろうと。
美しい作品世界に入るのが怖いとすら思ってしまうくらい、現実の世界は味気ないのです。
学生時代が終わる時の恐怖というものを自分は今も薄ぼんやりと覚えています。これは、世の中のほとんどの人に起こることだよね。
自分という人間の価値観を徹底的に壊されて、再構成されるのが社会に出るということだと思う。
あまりに学生時代というものが輝いていて楽しくてだから、そこにい続けたいと思い、そして、実際に居続ける人もいると思うのです。きちんとした社会人にならずにこういう生活が続くのだと思ってた卒業したばかりの主人公たちもそれだと思う。そこでこの作品は、夢を追い続けた(つまりは学生時代に居続けようとした)2人を脇役に配置し、その破滅と、そして皮肉なことにフリーターで夢を追い続けるのを諦めて就職をした2人、その別れを描いている。
どちらもダメになっちゃった。
その2人が元彼、元彼女として再会するシーンがプロローグとエピローグになっているのです。
どちらも今彼、今彼女を連れている。このエピローグに続く物語は、この映画を見た人が考えればいい。どうなってほしいかというか、結局は見た人がどうなりたいかは人それぞれだよなと。いい作品というのは、こういう部分を描かないものだと思うんですね。
そして、2人が将来どうなってほしいかを考えた。
とってもベタですが、再会して今度こそ上手くいってほしいなぁ。
そう思った途端に、2人がうまくいかないだろう理由がいくつもいくつも上がってきました。瞬時に。
好きなのにうまくいかない、そんな現実を経験して知る人はこの世にたくさんいるだろうなぁ。
ここまで思考を進めといて、それでもまだしつこく思う。
再会して上手くいってほしいなぁ。
そこで、どういうプロットなら、この再会ラブが見る人を納得させられるプロットになるだろうかとあれやこれやと考える。
ここまで書いておいて、本当は今日はね、こういうことを書こうと思ったわけではなくて、人間の顔について書きたかったんです。
誰の顔かというと、菅田将暉さんね。
結構前にこのエッセイでも書いているんですが、米津さんの灰色と青という歌を聴いて、私は菅田さんの声に惚れたんです。
顔を知らずにいい声だなぁと。それで、菅田さんの歌っている他の歌も聴いて、だけど、米津さんの作るメロディと歌詞が好きだというのもあって、やっぱり一番いい声だと思うのは灰色と青だった。そして、初めて演技している菅田さんを見ました。
もともと歌ってる彼のファン。演技上手いね、上手かったねと一緒に見た友達に言いましたが、友達ああ、まぁ、そうねと。
熱烈な同意は得られなかったものの、久々に映画館で見た映画のさまざまなシーンを思い出しながら、よい俳優ってなんだろうなとボケっと考える。それから少し冷静になってからまた思ったんですけどね。菅田将暉さんも有村架純さんも、演技が上手いというのもあるといえばあるかもしれませんが、映画を作る、撮る人たちがその雰囲気に惚れてお願いして集めた2人だったのだろうなと。
よい作り手というのはよい素材に合うと、その活かし方というか、その人を撮ったシーンが浮かぶのだろうなと思ったのですよ。
だから、2人が良かっただけではなくて、2人を見た時に物語が浮かんだ脚本の人や、カットが浮かんだ監督さんがいたのだろうなと。
そして、最近の持論なのですが、人間の顔というのはね、俳優さんの顔とかですが、完璧ではない人の方が味わい深い。
すみません。失礼なことを言って。でも、菅田さんの顔って完璧なイケメンじゃないと思うんです。それが自然な人間の顔だと思う。
私ね、若い頃はそうではなかったんですけど、歳を取ってから整形をした顔があんまり好きじゃないんです。
整形反対ではないの。本当に自分の顔が嫌いでたまらなくて整形をすることで気持ちを切り替えて幸せになればすればいいんじゃないと思う。
ただ、一重を二重にした人とかのBefore Afterを見ていて、そんな変わらないなぁと。というか、前の方が好きだな。でも、私の問題じゃないし、言わないでおこうと。整形した顔ってすごく上手な先生がしたら違うのかもしれないけど、中途半端にいじるとせっかくの自然な線を不自然に壊してしまったように感じるんです。真正面から見たらまだいける。でも365度で様々な角度から見ると、自然な時にはなかったような不自然な線ができているように思うのよ。
人間の顔ってさ。その人のことを知って熱心に様々な角度から見ているとね、その人が一番素敵に見える角度があるんです。
それと、表情ですね。こんなふうに笑った一瞬の顔がとても綺麗だなと。ひとくちに笑顔と言っても、1人の人の笑顔ってすごくたくさんあるじゃないですか。誰かを好きになって、その人と一緒にいるようになると、恋人同士ってお互いにそういう特別な表情というものを求めて、お互いを見つめ合うものではないですか?
映画の中でですね。2人が一番お互いに夢中で仲の良い時に、お互いをスマホで取り合う場面が出てきて、その写真の中の菅田さんと有村さんがとっても綺麗なんですね。動いている時には残らない一瞬の動いている時とはまたちょっと印象の違う喋らないお互いの顔。目を伏せた感じとか、心の内側から湧き出るような笑顔とか。
本当にいい笑顔というのは、人は本当に好きな人にしか見せないのではないかなぁ。
スマホの画面越しにお互い見つめ合いながら付き合ってくださいといわれて有村さんの見せる笑顔が美しいんですね。
人間はギャップに弱い生き物ではないですか。
私はね、心を打つ美しさというのは年中無休の24時間ではないと思うんですよ。
むしろ、普段は普通に見える人がとある瞬間にとある角度から美しく見える、その美しさの方が永遠だなと。
それを切り取ることができるのが写真で、写真というのは普段私たちが見ている光景とはまた別の趣を持つものですよね。
そして、動きつつも角度をつかって場面を切り取る映画なのかなと。
だから、良い俳優さんというのは年中無休の24時間で常に美しくある人たちではなくて、綺麗だったり普通だったりしながら動いていて、だから、綺麗に見える角度やその瞬間を見逃さないために目を離せなくなる人たちのことではないかなぁと。
さらにもう一つは、腕の悪いスタッフさんたちではそれを撮れないだろうなと。俳優さんだけではなく、やはり製作スタッフの皆さんがそれを取り出せないとね。脚本というのもそんなツールのうちの一つかもね。
今回の映画は、まず菅田さんありきで菅田さんのために書かれた脚本だとどっかで読みました。
キャラから始まる物語かぁと、しばし思い馳せます。
原作があっての映画だと思ってたので、ちょっとびっくり。
でもさ、灰色の青からの私も菅田さんの1ファンですから。
雰囲気のある方ですよね。うん。ありかなと。キャラから立ち上がる物語。
じゃあ、菅田さんみたいな人が好みなんですか?と言われると、いやぁ、違うなぁ。
灰色と青のあの少年のような声の美しさと俳優としての存在感は好きですが、いいな、いいね!みたいな。
それとこれとは違うんだよなぁ。
芸能人で誰が好みか。
無理ですね。芸能人は。
自分の横に並べられません。別世界の方達と思っております。
芸能人は昔で言えばブラウン管の中にいるものです。ふふふ。
明日から仕事なんだよな。
三連休しかない
汪海妹




