木漏れ日に寄せて
木漏れ日に寄せて
2022.04.01
月曜日と土曜日を交換した関係で、振替出勤しております。
次書く中編の準備のために、今週は木漏れ日と秀さんが出てくる短編を読み返していました。しあわせな木を書いて、その後、香具土という短編を書きました。秀さん視点の作品を書く予定はなかったのに、書くことになった前後の経緯を思い出しながら読んでました。
しあわせな木の中で、秀さんと静香さんが別れる場面があって、それが、秀さんが心を込めて作ったレストラン一号店だった。
日陰の女として我儘を一切言わず、自分の秀さんに対する気持ちを心の中で文字にすることすら禁じている静香さんが、自分の店に連れてきたと知って泣いてしまう場面。秀さんの表の世界には関わらせてもらえない立場だから、それだけに最後にそこに足を踏み込ませることが、どういうことなのか理解しているから涙が出るのですよね。
これは、しあわせな木と木漏れ日どちらにも出てくるシーンで、しあわせな木では静香さんの視点から、木漏れ日では秀さんの視点から書いてました。
ここで、秀さんがレストランについて語るシーンがあった。企業理念のようなものです。
それをもう少し書きたくて、香具土という短編を書いた。
短編を書いたらあっという間に色々なシーンが湧いてきて、特に悩む間も無く出てきたのが木漏れ日という長編です。
約一年ぶりに読み返してみて、いや、よくこんなの書いたなとしみじみ思った。
こんなんもう書けないかもとうっすら思ったくらいで。そのくらいある意味気迫があったなと。
そして、ポツリと思い出したんですよね。
木漏れ日を書いていた頃、会社でずっと一緒に働いてきた大切な部下が辞めた。その葛藤が作品に出てるなぁと思います。
こんなん間違ってるよ!って思っても、でも、いつも正しいものが勝つわけではない世界に大人は生きていて、
そして、波に洗われる石のように削られて丸くなっていく。
いつしか、そういう間違っていることに対しての感度をオフにして生きているものです。
生きているものですよね?
そして、木漏れ日に吐き出したような激情を、この一年の間に自分は失ったかもなと不安になったんです。
自分の過去書いたものに、責められたというかなんというか。
創作をしながら手探りで生きてます。創作というものがどういうものなのかよくわかりません。
だけど、過去の自分。ほんの一年前ですが、めちゃくちゃに傷ついて悔しくて、でも何もできなかった自分。
今よりギリギリの状態だったけど、でも、その言葉は鋭いなと思ったんですよ。
不安になりました。
それから、その不安について考えた。思うに……
感度をオフにして流されて生きる方が楽なんですよ。別に創作に限ったことではありません。
会社のようなところで働いて生きていて、普通に納得できなかったり怒ったり、傷ついたりすることがある。でも、生きていくためには合わせるしかないことってこの世に多いです。口を閉じて、その納得できない思いを自分の中にしまって生きていく。
とっても平凡などこの大人もしている普通のことではないですか?
そのうち、それを口に出さないのみでなく考えることすらしなくなっていく。
諦めた大人になってく。
そのぐらい、正しいことであっても正しいと口に出して折れずにやっていくのってエネルギーのいることですよね?
みんながみんな喜んでそんなことやってんのかっていうと、そんなことはない。
やはり苦しいんだと思います。苦しいけど、その苦しさから逃げたり、目を背けたり、そして、鈍感さという武器を手に入れるのだろうな。
社会という波に洗われながら角を取られてゆく石がそれでも自分らしく何かを遂げようとする。
スーパーヒーローがいるわけでもなくて、普通の平凡な人がそれでも折れずに生きようとする、そういうものが、やっぱりこの世には必要だと思うんです。そういう姿を書いたものが。ヒーローを書きたくないわけではなく、ある意味ではヒーローも書くのだと思うのですが、ただヒーローを書くだけでは、舞台は出来上がらないと思うんです。
ヒーローの横にはヒーローになりたいけどなれないたくさんの人たちがいるじゃないですか。
一年前、大切な仲間がやめてく時に、ヒーローになれなかった自分は、
それでも感度をオフにしてはいけないなと木漏れ日を読み返して思いました。
私は感度をオフにしてはなりません。例えそれが辛くても。
私はヒーローになるために生まれてきた人間じゃないんです。
ヒーローやヒーローじゃない人たち、さまざまな人たちを横から眺めて、その姿を描くために生まれてきた画家のような人間だと思うんです。
だから、自分にとって、正しいことを正しいと言いたいけど言っても聞いてもらえない現状や、いろんなこと。
それは、私にとって貴重な体験です。
この、この状況の中で、それでも、心を腐らせずに自分の心と向き合わなければならないし、感じたことを書かなくては。書いてそこから考えなくてはと思う。何がいけないのか。本当に方法はないのか。そして、やはり諦めてはならないのだと思いました。
小説を書くかたわら、生活のために働いているわけです。会社で、できることはきちんとしないといけない。
それはなぜかといえば、自分にとってお金になるかどうかは置いといて、書くことはとても大切なことなんです。
いい加減な姿勢で生きている自分が、10万字、100万字、1000万字、どんな量でもいいですが大量に文字を吐き出したとしても、それはガラクタです。生きる姿勢は大切です。
だから、彼女をやめさせてしまってから、どこか無気力になってしまっている自分の心と向き合おうと思います。
無気力なのにハッパをかけたって人はやる気は引き出せない。ただ、いつも嘘偽りのない自分の心と対峙することだけは忘れたくないんです。
それが、感度をオンにして生きるということではないでしょうか。




