ドラマ感想:あんぱん、其の三
ドラマ感想:あんぱん、其の三
5月と6月のドラマ前半では竹野内豊さん、素敵❤︎と感想を書いていた私。その後、感想は書いておりませんでしたが、毎日欠かさず見ておりました。とうとう終わってしまって、自分の毎日から何かがごそっと抜けちゃったみたい。
ゴソツ!(最後のツを小さくしろよ自分)
からの
_( :⁍ 」 )_
なんか、元気出ないのよね。ばけばけも見てるんですが、ばけばけを見ると、
あー、そうそう、あんぱん、終わっちゃったんだよね、と毎回実感し、さらに、
_( :⁍ 」 )_
なんか、元気出ないのよね。
私だけでしょうか?
高齢の父が、高齢ですがずっと仕事を続けていて、しかし、大病をしたのをきっかけに数年前とうとう本格的に仕事を辞めました。父ともっと共通の話題を増やそうと思い、そんなきっかけから、それまで見てなかったNHKの朝ドラと大河を見るようになりました。父はNHKの朝ドラと大河が好きなので。
自分は、見ないと言ったら見ないのですが、見ると言ったら見る人なので、きちんと律儀に全部見てきています。
朝ドラは、虎に翼とおにぎりとあんぱんを見ましたが、おにぎりは全体的に残念で、虎に翼は前半が好きでした。しかし、虎に翼よりあんぱんがもっと良かった。前半も後半も、最後の最後まで良かったです。
自分は戦争を知らない世代ですので、戦争のせいで大事な弟を失い、また、友達も失い、自分も死にかけた人の気持ちというのは、想像の上でしか知りませんでした。一度、何かで手塚治虫が、戦争で死んだ人の分も背負って生きている。だから、こんなに漫画を描いているのだと語ったのを読みました。それを頭の片隅に置きながら、たかし君とのぶちゃんがだんだん豊かになっていく社会の中で、忘れたくない思いとか伝えたい思いを抱えながら少しずつ歳をとっていくのを、自分も追体験したように思います。
豊かになっていく世の中の中で、でも、心に何かコツンと当たり続けるものがあったんだろうなぁと感じながら。
虎の翼も大正時代のあの華やかさや豊さが、戦争で一気に奪われていくのがショックだったし、あんぱんでは反対に、モノクロの世界が信じられないほどカラフルになっていくのが、ショックだったんですよね。
豊かになるのを見て、ショックを感じたのは初めてでした。
思うに、自分の中では、あの戦後の焼け野原と自分の生まれ育った日本がうまくリンクしていなかったと思うんです。頭ではわかっていても、それは、それぞれバラバラに置かれていたというか。
NHKというのは、過去と現代をつなげたようとしているのかもしれませんね。それと、人生の折り返し地点を過ぎた自分が、もっと歴史を知ろうというか、過去を知ろうというか、過去と現代をつなげて感じたいという部分もあって、つながったように感じたのかもしれません。
どうしてそんなに過去をもっとリアルに感じたいと思い始めたかというと、歳をとったからだけではなくて、過去に起きたような悲惨なことがもう一度起きないという保証はないのだと思うようになったからかもしれません。現在進行形の戦争を地平線の彼方に感じながら生きているから。
こっからちょっと話が変わるのですが、主人公のぶの女性としての生き方の描き方についてです。ドラマはドラマで良かったのですが、ドラマの描き方とは別の、昭和の日本人女性像について思うところがあります。
それは、簡単に言えば、昭和の日本人女性というのは、現在の日本人女性と比べて、そこまで男性を支援する側に回ることに抵抗を覚えていなかったのではないかなということです。
現在の創作の潮流が、既定の社会観に対して争っていく女性を描くことが主軸にきている影響からか、過去の時代を描くときにも多かれ少なかれ闘争的な女性像というのが取り立てられやすいような気がします。
私としては、自分も女性だから女性が活躍するのは嬉しいし、やはり現在の創作物は、世に争う女性を描く基軸を世が求めていて、そっからズレたものを描くと評価されないのかなとも思う。
ただ、自分の中にはモヤモヤとしたものがあって、それをなんとか言葉にしようと思うと、うーん……。多分、自分の創作ポリシーみたいなものは、心情に対してより写実的とでもいうのか、そういうものを掲げたいのだと思います。
言い換えて言えば、令和の女性には、戦前の昭和を生きる日本人女性の本当にリアルな心の機微はわからないのだということです。令和の女性の価値観で昭和の女性を描いてはいけないともいうのかもしれない。
そして、じゃあ、あんたはできるのかと言われると、はっきり言ってできません。自分ができないことを偉そうに言って、本当にすみません。ま、ただ、自分の時代とは違う時代を生きた女性たちの心情を自由に想像しながら見ていました。
男の人を支えるだけの生き方に疑問を持っていた女の人もいるでしょう。でも、そういう女の人の数は少なく、疑問など持たずに自分の役目に徹していた女性の方が多かっただろうと思う。それは現代から見れば古い価値観の女性たちですが、其の時代はそれが普通だったのだから、ことさらにそれを批判的に書けば、それによって見えてくるものもあるけど、それと同時にそれによって見えなくなるものもある。
もう一度角度を変えて言えば、結局はここに落ち着くのですが、過去ばかりを批判して、現在に対しての批判の手を緩めてはならないということになるかと思います。
完璧な時代などないのだから、現在の価値観が完璧に間違っていないなどと思いながら生きていては、足を掬われると私は言いたいのです。
人間は その時代の価値観 に縛られながら生きているものです。私に言わせてみれば、社会に出て活躍したい女性を応援したい、それと同時に、男性を支えて生きたっていい、自分に合う生き方を選べばいい、そこに、新しいも古いもないでしょう。
そういう意味では、まるで田んぼをコンバインで綺麗に刈り取れるように、画一的な価値観で稲を育てないでほしい。ここでいう稲は、日本に根付き芽を上へ上へと伸ばしてゆく日本人女性たちを表す比喩ですが。
こうやって書いてみると、自分は何よりも、人間の多様性を愛す人間のようです。
家庭に入るのは、男でも女でもいいと思う。サポート側に回るのが上手い方が入ればいい。ひっくり返せば、現在の女性は過去に縛られず、全員、家庭になど入らず外で働けなどという画一的な価値観が、もし世の中を闊歩しているなんてことがあるのなら、そんなものはもう古い、とでも自分は言いたいのかもしれません。
話はあんぱんから随分ズレてしまいましたが、のぶちゃんははちきんですから、何者にかなりたいと突っ走り、それでも何者にもなれなかったと中盤で落ち込み、しかし、終盤ではたかし君がアンパンマンを描くことを諦めないように、最後まで一心に走り続けた。どっちが表でどっちが裏かなどは関係なく、立派な人生だったなと思わせる仕上がりでした。
英雄の傍には必ず、その人を支えたもう1人の英雄がいるのだと思う。もしかしたら1人ではなくもっと複数いるのかも。
あんぱんの終盤の方で、アニメ化を打診され、一度は断ったたかし君が、のぶちゃんのすすめに従ってそのオファーを受けるとき、
はっきり言って今でもテレビ局も君も信じられないですが、僕は僕のカミさんのことは信じているので
というシーンが出てくるのですが、ここが非常に良かったですね。アンパンマンがなかなか認知されずに、それでも信じて休まずにかけ続けてきたのぶちゃんの姿が丁寧に描かれていたからこそ、輝いたセリフだったなと。
そう、売れない時期を描く、ドラマでのその部分にかけたドラマ内の時間の長さが秀逸でしたね。戦後の昭和という時代が急速に発展して、それはいいことなんだけど、でも、戦争や戦争で死んだ人たちという暗い過去を置き去りにしていったということが、受け入れられない長さを感じることで感じられたかなと。だから、自分の中で初めて戦後の焼け野原と自分の明るい現在がやっとつながったように思えたんです。
置いてきぼりにされた人たちの気持ちに触れたような気がした。
病気がわかって、そのままその別れの最期の場面で終わるのかと思いきや、奇跡が起こって可愛い犬と3人の散歩シーンが出てくる。これも良かった。
あんぱんが終わってしまい、ロスに突入する人々の胸中に浮かぶのが、病院のベッドに座りながらアンパンマンを配るのぶちゃんの姿と、仲良く2人と一匹で散歩する姿となりました。これでいいのです。ドラマはこれでいい。
老いることも死も、人として自然なこと。一つの命が終わっても、また別の命が続いていくということが、やなせたかし先生とのぶちゃんの伝えたかったことの一つなのだから、これでいいのです。
ばけばけに100%の自分を持っていけず、しばらくは、あー、あんぱん終わっちゃったなというのが続きそうですが、それもしばらく経てば回復するかと。
長々と失礼。ほいたらね!
汪海妹
2025.10.1
追記、そうそう特別編ありましたよね.みなければ。