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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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最近のニュースを見て考えたこと













   最近のニュースを見て考えたこと












本日書きますのは、あまりいいお話ではありませんので、嫌な気分になりそうになったらすぐ読むのをやめていただければと思います。何せ、書いてる自分が途中で気分が悪くなりそうです。戦後80年で広島や長崎の祈りの報道を眺めながら、現在進行形で終わらない戦争を見ているからでしょうか、毎年のように8月になると報道される、この終戦に対する報道番組やドラマを見る気持ちは今までとは少し違ったように思います。


しかし、平和を祈る人がいる一方で、日本はパレスチナを国家として承認するのは見送るわけで、想像していたとはいえ、やっぱりちょっとがっかりしました。


その後、気を取り直してこのことについて自分なりに考えてみました。


ここで少し話が飛んでしまうのですが、最近、淡々と考えていたことはこういうことです。戦争は二度と繰り返してはいけないとか、戦争の悲惨さを忘れてはならないと心に刻むことは悪いことではないのですが、それだけで戦争がなくなるということはないと思うんですね。


だって、誰だって、罪のない子供たちが弾丸に当たって血を流して泣いていたり、食べるものがなくてガリガリに痩せてしまっているのをみて、それが悪いことだと思ってるのに、日本はパレスチナを国家として承認できないのですから。


国は政治家が動かしていて、有権者にできることは、自分たちの信じる正義を実現してくれそうな政党に属している人に1票を入れるだけ。と、こういうことを書き始めると、じゃあ、何もできることねえなってことで気分がくさくさしてくるので、そこまで現実路線で語るのはやめといて、一杯ひっかけて、ちょっと夢見路線で先を続けると、


ガサゴソ(お酒を探している音)


戦争の悲惨さを忘れてはならないと心に刻むのはいいのですが、それ以外にもっと、どうして戦争をすることになったのかと歴史を学んだり、現代のニュースを見ながら、どうして戦争は終わらないかと考えて見たり、はたまた、どうして日本はパレスチナを国家として承認できないのだろうと考えてみた方がいいのかなと思いました。


やっぱり、アメリカを完全に無視した言動は取れないってことですよね。とはいえ、べったりとアメリカやイスラエルよりの発言でもなかったなと思いながら見ていました。


するかしないかではなくいつするかの問題だ


なんてどっちつかずの発言で、これが日本としては安全なポジションなのかなと。それと同時に、やはり、このパレスチナの件に関しては、やはりイスラエルとアメリカは世界の中で孤立を深めつつあり、その流れに日本が巻き込まれるわけにもいかないから、あんな上のような発言になったのかなと。


ネタニヤフ首相が国連で発言をしようとした時に、たくさんの国の人たちが席を立って離れてゆくのが印象的でした。


正義は行われてほしいけれど、だからといって、他国の戦争を終わらせるために、自国を危険に晒すわけにはいかない。


総裁選に向けた演説で候補が、中国との外交についての意見を語ってました。経済に関しては、協力関係を持ちつつも、軍事的な面で大いに警戒、大体概ねこのような感じだったかと。


自分的には、政治家の皆さんの発言を聞きながら、やっぱり距離感なのかなと思うに至る。これは私見ですが、世界の中でやっていくなら、どれか一つの強大な勢力に近づきすぎない方がいい。合間にいてどちらにも適度にいい顔をしていた方が良い。


一見損をしているようでいて、もっとも少ない損害で存在し続けることができるのは、自ら先頭に立って喧嘩をするわけではなく、ケンカの強い人の影にいることであり、また、さらに安全なのは、月曜日にはAさんの背に隠れ、火曜日にはBさんと釣りに行く。たまに乱暴なAさんに無理やり自作のへたっぴな歌が入ったレコードを買わされたり(ジャイアンである)、Bさんに買ったばかりの漫画をまだ読んでいないのに取り上げられても、そのくらいで済むならまだマシだ。真正面から敵と認識され、空き地の野球に混ぜてもらえなくなるよりいいのだ。


不思議なもので、国家と国家の関係も、人間関係と似ている部分がある。生き残るためにはずるいようだが、AのジャイアンにもBのジャイアンにも同じぐらい強くあってもらった方が良い。実力が拮抗すれば、お互いに手を出せない。牽制し合うから、好き放題できない。もし、どっちかが倒れたら、それはもう、残った方が世界を独裁化するのが目に見える。


それからまた、ちょっと話が戻って、一般庶民としての心がけだ。毎日の小さな積み重ね。戦争の悲惨さについて忘れないのも大事だが、他にもこんなことを考えてみてもいいかもしれない。


平和というのは、平和を祈るような清らなか心に花開くものでも、実はないと思う。それよりむしろ、我々は 隣にいる嫌いな人と、どうお互い妥協して共生していくかについて 考えるべきなのだ。平和というのはつまり、嫌いな人と喧嘩しないで、また、自分ばかりが我慢することなくお互いに我慢すべきは我慢し、うまくいく時にそこに生まれるものだからだ。


日本的感覚で平和を祈り、その感動や感情を、日本人同士で分かち合っても、それだけでは平和は存在しない。自分たちと価値観や利害の一致しない、他国の人とわかり合おうと努力し、お互いに妥協し合うところに、やっと咲くのが平和という花なのだろう。平和を祈るのなら、語り合うべきは価値観の同じ日本人ではなくて、価値観の異なる外国人とだ。


そして、立場の異なる外国人とだ。


マクシマムな世界で戦争が起きているが、自分のミニマムな生活の中でできることは、どうすれば価値観や立場の違う人と妥協し合いながら生きていけるか考えてみることだ。


まとまりのないままに失礼します。

汪海妹

2025.09.30


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