青い記憶と赤い記憶、青ブラ文学部
お題を見て、唐突に思いつき、即興で書いた散文であり、抽象度が高い点において、自分的には私小説風な文章ではなく、ダラダラと書いた詩のようなものでしょうか。小説以外の記事はいつも、火木にしかあげないと決めているのですが、号外でございます。
汪海妹
<(_ _)>
2025.08.12
自分の人生の中で、何度か好きな色が変わったことがあった。昔はただ、青が好きだった。藍も、紺も、青も、水色も、どんな青だって好きだった。青が好きだったのには理由がある。それが、寒い色だったからだ。そして、水の流れを想起させるものだったから。
なぜ寒い色が好きだったのか、もう少し説明してみよう。
わたしはあたたかみの嫌いな人間だ。はしゃぐ春も、けたたましい笑い声も、この世には楽しいことしかないと信じているような輩が全部嫌いだ。そういう輩が全部嫌いな自分は、雑音のない静かな世界に1人でいることを好んだ。
だから、青なのだ。
捻くれて生まれ落ちた自分は、しかし、そんな青い自分の上に、色を重ねて生きていこうとする。自分に笑顔を貼り付けた。貼っても貼っても偽物のように思える笑顔を貼り付けた。
人と人の間に拠り所を見つけられない自分は、自分を育んだ故郷をあっさりと捨てて東京に出た。東京は田舎よりもっと人がいて、そして、人と人の間で、自分はますますどう笑えばいいのかわからなくなった。
引き攣った笑顔ではいつまで経っても人の輪に溶け込めず、自分はカラカラと回る車輪のようであった。空転する車輪。決して前へは進まない、自分は壊れた車輪のようであった。
あれは、いつからだったのだろう?わたしの好きな色が変わったのは。
青が好きだった。濃紺は夜を連想させるし、夜には1人でいられる。歪な自分もまた夜の闇に紛れれば見られることもない。そして、水色は、流れ続ける水を思わせる。
しかし、都会に出て膨大なコンクリートや、人、人、人の合間を練っているうちに、自分の好きな色は変わった。
わたしは緑が好きになった。青を嫌いになったわけではない。ただ好きな色は増えたし、それに青は夜の闇を離れ、寧ろ水に近づいてゆく。水の青とそして緑。
わたしを育んだもの。1人で道をゆく故郷での四季が好きだった。自分がそれを好きなのだということを、自分は知らなかった。都会に出るまで知らなかった。自分は1人を嫌だと思っては無かったと思う。寧ろ、友人と帰る帰り道よりも、1人で帰る帰り道の方が好きだったくらいだ。
その時、自分は実は1人では無かった。そこには故郷の景色があった。わたしはただ口をつぐんで、その景色の中を歩きたかったのだ。今ならわかる。青が好きなのも、緑が好きなのも、わたしが子供時代をさまざまな水と緑に囲まれて育ってきたからに他ならない。
子供の頃には何の価値もなかったものが、大きくなればかけがえのないものになる。
そして、赤が好きかと問われれば、赤はあまり好きではない。それは冒頭に戻ってしまうのだが、寒い色だから青が好きなのと同じ理由だ。華やかさとは無縁の子供だった。
赤といえばこうだ。女の子らしさとはかけ離れたわたしに、母が無理やり着せようとした色だ。
そう。赤といえば、女の子らしい色だ。わたしはこの色がずっと嫌いだった。自分が女の子らしくないと頑なに思ってたし、わたしがこんな色を着たら、周りにいる同級生たちは声を立てて笑うだろうと思ってたくらいだ。
赤を着た自分は滑稽。ピエロのようだ。赤はそういう色だ。
こんな強烈な劣等感を解消できないまま大きくなっていって、でも、自分はある時点から、やはり女として生きていく。
わたしを女として見る男は、鏡を隔てて向こう側にいて、そして自分は鏡のこちら側にいる。そのくらいの違和感のある出来事だった。当然うまくいくわけがなく、試行錯誤を繰り返す。
ザマアミロ、女になってやったぞと思った時は、あの苦手な赤を征服したかのような心意気だった。
だけど、これだけ時間を経て今思う。わたしは赤を征服してなんていないのだ。
懐かしい。青春時代のあの頃、赤が苦手でたまらなかった自分。
いつか全て消えて無となる。誰かを愛した記憶も、誰かに愛された記憶も、そして、自分の中を流れたこの血も、全て消えてなくなる。
寒い色だから、青が好きだった。赤い色は好きではなかった。だけど、夜の闇に紛れて生きていこうと思っても、そんな努力しなくたって、人はいつか消えてなくなるのだ。虚無を気取る必要なんて、本当はさらさらなかったのである。人間には最後には本物の無が訪れるのだから。
さようなら、小さくて頭でっかちで小難しいことばかりいって、明るく生きることから逃げようとしていたおチビさん。本当は怖かったんだ。求めて得られなかったらどうしようということが。
わたしの本当の赤はどこにある?まだ見つけられていない。ならば、手にするまでは生きるのであろう。
了




