漫画感想:ちはやふる
漫画感想:ちはやふる
有言実行ではないが、本当に読みました。大人買いして読んでしまいました。ちはやふる50巻全巻。
そして、ここで、心からのお願いでございまする。ちはやふるを途中まで見たり読んだりしていてラストを知らない方、ネタバレしますから読まないでくださいね。もう、めんどくさいから読まないでいいや、最後どうなるのかっと読まないでくださいね!
大人買いして漫画を読んでくださーい!!!
え、さて、それでは……
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ちょっと下に引っ張ります。
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このくらいでいいかしら?
先週、競馬の馬券を買うように、ちはやふるのラストでちはやが新と太一のどっちとくっつかと予想し、どっちともくっつかないと予想した。しかし、最後の最後で太一君とくっついたんだよ。予想大外れです。
では、感想を!
………………え??
こんな感じだったな。
私と同じく漫画全部読んだ人は、私の言いたいことに共感してくれるだろうか?
いや、納得できない!新だろ、ちはや!とか、そういうのじゃないのです。納得できないのではなくて、あまりに唐突に突然、ちはやが太一君を好きだということになり、そして、そのまますぐ終わってまうのです。
ガビーン!!!
ひゅううううううう……(心を秋風の吹き抜けていく音)
え、な、なんで、なんで?
太一君を応援し、太一君が推しで、太一君のために50巻大人買いして、ただひたすらに、太一君が報われる日のために課金してきたようなものだが、その課金に対する報いがほんの数ページしかなかった!
それで、とんでもねえ漫画だな、くそ!と私が買った漫画をどこぞに叩きつけただろうか?電子書籍なので、そんなことはできないが、エアーで叩きつける真似でもしたろうか。
いや、全然、じぇんじぇん、これは心から言いますが、漫画家先生にも編集された皆様にも全く怒りはこれっぽっちもない。
なんつうか、これ全く感想になってないが、やれやれ、
ちはやちゃんに気持ちを伝えたけど受け止めてもらえなくて傷つき、カルタ部をやめてしまう太一君の辛さも、受け止められなくても太一君には笑っていてほしいちはやちゃんの辛さも、その後に傷つきながらも恋人としてではなくてもそばにいようとする揺れる心も、あんなに丁寧に描いていたのに、なぜ、あんなに辛い思いをしても受け入れられないと太一君の気持ちを断ったちはやちゃんが、突然、太一君を好きになって、終わるんかーい!
ホ、ワーイッッッッ!
この終わり方はあれだ。こう、ジャングルでね、ワサワサと熱帯雨林が川にもはさっと枝をかけてて前がよく見えない中をカヌーで進んでいてさ。次はどうなるかな、ワクワク、みたいな。それから、視界が開けた!視界が開けたらそこは、滝だったー!
ウオーーーーーい
いきなり滝から落ちたようなショックだったぜ。
ちはやー、ほわーーーいーーーーー(→落ちながら叫ぶ、ハイメイさん)
ざぶーん!
一応、水泳だけは小学生の頃に習っておりましたのでね、スイスイっと。やれやれ、よっこらしょっと。滝壺から泳いでカムバック、岸に登る。
アチキみたいに、太一君推しで、推しに金払うような気持ちでせっせとコミック買った方は、せっかく幸せになったんだから、もうちょっと幸せになった様子を描いてくれよー!おーいおいおい、と泣いたかもしれない。
その後、少し冷静になり、なんで、最後だけあんなに唐突に終わっちゃったんだろうかと思考する。だって、最後の最後まで、ちはやちゃん、やっぱり太一が好きだとか全然匂わせてなかったし。
なんか大人の事情でもあって、ずるずると引っ張らずにスコンと終わっちゃったんすかね?
モヤモヤとしつつ、しみじみと実感する。こういう不完全燃焼のために、読者は時に読者の守備範囲を飛び越えて、二次創作するのやろうなっと。
それで、しょうがないので、語られなかったちはやの胸の内に分け入ってみよう!ここだけ、英雄たちの選択のナレーションね、よろしく。
この私の意味不明な感想を、ちはやふるがなんなのか知らずに読まれている方がいらっしゃることを想定して、簡単に説明すると、新君とちはやちゃんと太一君は小学生の頃からの幼馴染です。新君は競技カルタの名人のお孫さんで、カルタ界のサラブレッド、その新君に憧れてかるたを始めるちはやちゃんは、常人離れした聴力の持ち主で、太一君はそんな2人と友達でいるためにかるたを始めた、3人の中で唯一のカルタ的には普通の人なんですよ。
いわば、天才と天才と凡人、それでも仲間でいたいから苦しい思いをしながら、努力し続けてきたのが太一君なわけです。この健気さに、太一君を推しにした人は多いのではないか。ちなみにアチキもその1人だ。
新君も太一君も小学生の頃から、ちはやちゃんを女の子として好きなのですが、ちはやちゃんは、2人を友達としてとても大切にしていて、ちはやちゃんにとっての困惑は、友情と恋情の区別がつかないところにあったのだと思う。まして、新君を取れば、太一君を失い、太一君を取れば新君を失うかもしれないという間にいて、自分の気持ちも何が何だかわかんなかったんでしょう。
こっからはもう、独断と偏見で意見を述べますが、新君は高三で待望の名人となり、ちはやちゃんもまたクイーンとなる。いわばもう2人とも輝ける星なわけですが、星ではない人から見れば、星と星が相応しくてお似合いだと思うかもしれない。でも、果たして本当にそうだろうか?
かるたクイーンとして輝いているちはやちゃんは、彼女の強い一面を表していて、でも、人間には弱い面もあるわけで、人は本当は強い面よりも自分の弱い面を分かち合える人にそばにいてほしいと思うものだと思う。
新君では、お互いの強い面で惹かれあったり影響しあったりすることはあっても、いわばお互いを焦がしてしまうような、太陽かける太陽のような存在だったのではないかなぁと思います。求め合ってはいるのだけど、疲れてしまう関係なのかな。
本当は自分が求めているのは、自ら光り輝く人ではなくて、自分の光を受けて輝いてくれる月のような人だったのだと、心の底から理解したから、だから、ちはやちゃんは今度は迷わずに、太一君にそばにいてほしいということができたのではないですかねぇ。
恋愛というものは、同じ才能で、同じ高さで並び立つ2人でもっていつもいつでもなされるわけでもないのですよ。ただ、太一君は、ちはやちゃんと同じぐらい強くなければ、新君と同じぐらい強くなければ、ちはやちゃんを得ることはできないと強く思い込んでたと思いますけどね。
ちなみに、あまりに不完全燃焼だったために3人の恋愛感情を分析してみましたが、こんな解釈、漫画原作にはほぼ出てきませんので、ご留意ください。
ちはやふるは、実に15年の連載を得て完結した漫画です。その15年を数日で一気読みしてしまい、申し訳ないような気がしつつ全体についての感想を書きますが、恋愛的な側面については描かれてはいるけれど、実は割と少なかったかなと思うんです。恋情だけではなくきっちりと友情について描かれている作品だったかなと。特に友情をとるか恋情をとるか。これはきっちり伸ばしていけば、夏目漱石のこころにもみられるテーマですね。そして、友情をとるかカルタという勝負を取るか。自分が可愛いが、自分と友との間で自分が嫌になったり、そういう劣等感情についても描かれている。
恋情ばかりが前に出てくると、それ以外の感情を、友情とか親子の情とか、吹き飛ばしてしまって、恋情一色の作品になってしまうのはありがちなことで、でも、リアルな人間の感情というのは、決して恋情と恋情の間でのみ右往左往するわけではなく、それは、恋情と友情だったり、友情と親子の情であったりするのだと思う。そして、何が何だかわからないグチャグチャな感情の中にいるのが、それが、若い頃じゃないですか。
恋情については限られた中で語り、友情や家族についても丁寧に語られた作品、それが、ちはやふる かなと思います。
もうちょっとだけ、太一君の幸せな様子を描いて欲しかったなと未練がましく最後に繰り返す。ま、でも、緩やかなロスから立ち上がり、ちはやふる はあっちに置いといて、自分でなんか書きますかね。自分で書く場合は少なくとも、自分の意向だけは100%沿った作品にできるからね。
まとまりのないままに
汪海妹
2025.07.28