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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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日本人中年女性の全く褒められたわけではない心情を赤裸々に語る。














日本人中年女性の全く褒められたわけではない心情を赤裸々に語る。













最近は仕事においても家庭においても心の調子がずっと良かったのですが、久々にいじけたことがあって、それについて今日は淡々と書きたい。


去年もあったのだけど、今年も来た。何が来た?夏が来た。そりゃ、来たでしょう。違くて、主人の兄の息子、つまり、甥がやってきた。義兄と共に我が家にやってきて、義兄は甥をおいて故郷へ帰った。


今年もこの子、一人で我が家に居候するのです。中国あるあるである。ちなみに小学校3年生なんだけどさ。どのぐらいの期間いると思います?


ちょっと尺とりますね。

答えは下だ!

2ヶ月弱。


チーン……


中国は 親戚付き合いが活発であり、このくらい普通である。しかしだな、私たち別に広い家に住んでるわけじゃない。4人暮らしの3LDKで、おばあちゃん、息子、旦那と私で、ベッドは三台だ。


ちびっ子、どこで寝るんだよって話である。


おばあちゃん、孫と同衾しましょう、というと、ばあちゃんは一人で寝ても不眠だが、孫と寝るとうちゃうちゃ動く子供とは寝られないのだそうだ。息子は思春期だ、即却下だ。それに彼のベッドは狭いのだ。


それでは、昔を思い出して、キングサイズのベッドの我々が、3人川の字で寝ましょ❤︎ 主人と甥と私でね❤︎


となったらめでたしめでたしなのだが、ぶっちゃけみなさまもわかると思うのだけど、姉の甥姪とは、同衾できる。向こうは嫌でもこっちは平気。血のなせる技だ。違和感も嫌悪感も全くない。しかし、義兄の息子は別に嫌いじゃないけど、やっぱ他人なのだ。血を分けてないからな。


結果、 あちきは、何も悪いことしてないし、来る日も来る日も異国でせっせと働いて疲れて帰ってきては、去年は、


ソファーで寝てたんです。


2ヶ月ぐらい、ソファーで寝るのは別に物理的にはそこまでキツくない。快適ではないですが、どうにかなる。問題は心理的なものだ。


なんで、あたしが我慢せねばならんねん。


よそ者が堂々とでかいベッドに眠り、おばあちゃんも、旦那も、息子も、別に損してないのに、なんであたしだけがハズレくじ?家族にいじめられてるような気分になるんだこれ。しかも、勝手に昨年を皮切りに毎年恒例になってるし。


「またソファーで寝るのかよっ!」


それで、去年ワタクシが我慢したからって、しれっとまた甥っ子を呼び寄せようとしている旦那に噛みついた。 そしたら、


「今度はベッド買って、そこに寝かせるから」

「よし」


だいたい、居候が堂々とでかいベッドに寝るなよって話だ。おめえは夏休みだろ?こちとらキリキリまいに毎日働いているんだよっと。


しかし、私は、旦那の、壊滅的に生活力のない事実をスコンと忘れてた。


やつは買ってきた。それはビニールに空気を入れて膨らまし、テントの床に広げ、その上に寝袋を載せて使うものだった。海抜0メートル、床に近く寝る。それだけではなく、それは、おばあちゃんの部屋にも我々の寝室にも入らないデカさだった。


「どこに置くの?これ」

「リビング」


フォースの力を信じて、あの、美しい光の剣で主人を退治しそうになった。あまりに腹が立ち、突然、スターウォーズ再来である。


「甥っ子が一番最初に寝るのに、リビングに置いて寝かせられないだろっ」


大体、邪魔である。邪魔すぎる。男というのはどうしてこう、生活のディテイルについての想像力にかけるのであろうか?思うに女に育児を任せ、自分が担っていないからだろう。結局、薬局、私がそれで寝ることになる。


「僕が寝るからいいよ」

「いや、いいから」


居候であるちびっ子がハズレのエアベッドでも、旦那がハズレのエアベッドでも、全く構わないのであるが、ただし、あたしが甥っ子と同衾したくないのだ。嫌いなわけじゃないが、この世で同衾しても爆睡できる相手は数えるほどしかいない。


それで、そのエアベッドは、そそくさとワンサイズ下のものと交換され、更に息子の部屋に担ぎ込まれた。大好きな息子の部屋でキャンプ気分で寝よう。


この前の土曜日が初回の日だ。空手の付き添いから帰ったら部屋を掃除してあのエアベッドを膨らまさないとな、と思いつつ帰る。


「あれ?掃除機かけたの?」

「かけた」

「あなたがかけたの?」


空気読めない人であるが、流石に結婚して10年以上経つと、奥さんが脳内でフォースの力任せにあれやこれやと想像していることにうっすらと気づくらしい。旦那が掃除機をかけていた。


それで、単純でもあり、口は悪いがかなり心の広い私は、しょうがねえなと思った。そして、ウィークエンドでもあるし、レモン酎ハイもどきを飲んでみた。酒のさの字も知らない息子が匂いだけ嗅いでのたまう。


「これ、ジュースじゃないの?」

「ジュースみたいのが意外と強いんだよん」(ほんとである)


そして、確かに8%はビールより強かった。8%に酔っ払い、勢いに任せてどおんとビニールの上に寝た。


寝られたのは最初の1、2時間だけだった。結論から言うと、所詮これは、例えば空気が綺麗で爽やかな山へいき、テント張って、本来ならそこに寝袋で寝るのだが、ごつごつしていやんと言う時に下に敷くものである。地上で使うものではない。山と比べて湿度は高い。中国広東省深圳市なんて、はちゃめちゃに湿度の高い区域である。


人間は寝ている間にめっちゃ汗をかくので、こんなビニールの上に寝られるわけがない。


「あうぅううぅう」


半分寝て、寝ぼけているので、収容所に囚われて、寝かされている夢を見ていた。江戸と欧州と異世界の収容所がミックスされて交互に出てくる。テレビの見過ぎである。


ところで、義兄とちびっ子は真夜中についたのだ。高鉄という中国の新幹線で真夜中に深圳北駅に着いた。それを主人が迎えに行った。彼らが我が家に着いたのは、ちょうど私が 酔いが覚めてきて、ビニールの上で収容所に囚われている夢を見ていた時だった。


小学生男子あるある。非日常に興奮し、真夜中であるにもかかわらず、騒々しく帰ってくる。からの、声変わりする前の男子の声、めちゃくちゃ響く、からの、オメエは毎日夏休みだが、大人は土日しか休みがねんだよ、からの、土曜の夜に寝られないと日曜の昼に寝てしまい、せっかくの休みがなくなってしまう、あーんど


なんで、他人の家に2ヶ月も居候すんねん、しかも、なに真夜中に迷惑に帰ってきてんねーん、このベッド、全然寝られないんですけどーーーー!


怒り、一気にマックスまで駆け上る。


で、しばし、わちゃわちゃうるさい。一緒にいる義兄と旦那がちゃんと注意しろよーと思いつつ、イライラしつつ待つことしばし。


皆はネタ、静かになった。ところが、寝られないんだ、これがまた。それで結局薬局、期待してたエアベッドはうっちゃって、私はソファーで寝るわけだ。


とほほ……


自分は、奴隷か、使用人か、家畜か

自分は、奴隷か、使用人か、家畜か


人間、イライラするとますます寝られない。羊を数える代わりに不思議な文句を 何度も繰り返しながら、チビっとうとうとした。


ここで、何が起きたと思います?


朝の5時台だったと思う。真夜中に我が家に到着し、遅くに寝たはずのちびっ子が、起きてきてまたあの声変わり前の甲高い声で騒ぎ出したんですよ。


寝室ならば、リビングで誰かが騒いでもドアを閉められるじゃないですか。リビングのソファーで寝てるわけよ。


フォースの力を信じるのじゃあああああ!もちろん、あの綺麗な光の剣で、騒ぐちびっ子をぶった斬りたくなった。しかし、私はフォースのご加護を受けていないので、そんなことはできなかった。


平日をせっせと働き、たっぷり休みたい週末には睡眠を邪魔され、日曜の午後はほとんど寝倒した。頭は重く、体はだるく、心もグロッキーである。からの


日曜の夜は最初っからソファーで寝る。明日は仕事である。最近仕事は詰まってる。寝不足で行くわけにはいかない。ちなみに、土曜に掃除をしたけど床で寝たせいか、或いはエアコンつけっぱなしの部屋で寝たせいか、喉が痛く、また、最近免疫が落ちるとよくあるのだが、皮膚が荒れた。腕に発疹のようなものがでた。


ソファーで寝て、乾燥しすぎないよう室内に洗濯したシーツを配置し、尚且つ夜中にはエアコンを切る。それで、最初は昨日よりは寝られた。ところがである。やはり夜中に目が覚めた。これはなんと言うのだろう?


胸に嵐があるとでも言うのだろうか?嵐は言い過ぎなのだけど。昔、気管支に炎症を起こし、抗生物質で治した。しかし、何度もぶり返している。きっと常在菌とは言わないのだろうけど、根強く残っている菌がいて、私の免疫が落ちると再発するのだ。呼吸に混じってヒュウヒュウと気管支というか、肺というか、雑音が混じる。


ここで更に一段、トーンダウンした。


なんであたしだけが、こんな変な寝方したせいで、体調すら崩さなあかんねん。


体が傾くと心も傾く。自分が本当に惨めというか可哀想になった。今日は月曜日、例え夜中に寝られなくて、朝起き上がった時に体がまるで錘をつけられたみたいにずっしりと重くても、それでも会社にいかなくてはならない。大人だからだ。それでさらに体の調子を崩そうとも、それでもいかなくてはならない。


そして、やはり、明け方、早朝。寝られない、寝られないと困ってたのがやっと少しだけうとうとできた早朝。


またの物音と話し声。今度は姑と義兄だった。義兄は土曜の夜中に到着し、日曜は我が家に泊まり、月曜の早朝に去った。その際は、タクシーを使ったので、主人は奥の部屋で寝てる。その義兄が、やはりリビングで寝てる私の眠りを妨げ、それより酷かったのは姑だった。明け方に台所に立って料理をし始めたのである。


リビングで寝ていて、ガタガタとスーツケースを引きずられたり、話し声を聞いたり、料理までされて寝ていられるわけがない。ただでさえ2ヶ月も子供を我が家に預けるので迷惑をかけているくせに、子供だけ預けてそそくさと去っていく、その去り際に、わざわざ明け方に飯まで食っていくのか。飯まで食わせるのか。


二日にわたる不眠と、他の人は寝てると言う事実と、自分達は寝ていて、それでいて、よく寝られない私にこれっぽっちも気を遣ってないと言うので、本当に久しぶりにまぢで落ちました。


なんでこんな結婚したんだろ?


何歳になっても子供は可愛いのかもしれないが、別にこんな明け方に飯を食わせなくてもいいだろ。途中で買わせて、高鉄の中で食べればいい。それでも、子供のために台所に立ちたいのが母親の心なのだろう。


一体全体、この母心が、美しいか?母親なんて、自分の子供がOKなら、あとはなんだっていいのだ。自分の子供を守るために、他人がどれだけ迷惑してようとこれっぽっちも構わない。


その後、寝不足でも重い体を抱えて会社に行かなきゃいけないグロッキーの底から、こんなことを考えた。


誰も、私のことを大切にしてくれる人はいない


そして、これでもかというほど孤独を感じた。自分の親は私を大切にしてくれたし、今も大切にしてくれる。だけど、そんな親元を離れて、私はどうして自分を大切にしてくれない人と結婚しちゃったんだろう?


あと少しで目覚ましが鳴る。そんな時にそんなことを悶々と考えていたんです。


人が、離婚したくなる時って、こんな時なんじゃないかなと思う。例えば自分の場合、主人はいつも、姑、お母さんのことばっか考えて、私のことを第一に考えてくれなくなった。或いは、くれなくなったように見えた。


自分を第一に考えてくれる人がいない


これがこたえる。これが本当に孤独に感じる。結婚したのに孤独って、私はあると思うんですよね。物理的には孤独でなくとも、家族に第一に大切にされることがない。


数年前にクヨクヨと毎日のようにハマっていた沼にズボりとハマり込んだ。


私がそんなんでもなんとかやってきたのは息子がいたからです。その息子も日本へ行ってしまったら、私を支えてくれる人がいなくなっちゃう。もともとは、息子が日本へ帰るのに合わせて、私も帰るつもりだった。


それからである。重い体を引きずり会社へいき、本当はベストコンディションで捌きたかった案件をノロノロと進める。仕事が溜まってるのだ。少し疲れるとすぐにあちこちに不具合が出る。こんな自分がどうして、他人にベッドを譲らないといけないんだろうか。


人生というのは本当に不思議なものだ。それは椅子取りゲームに似てる。誰かが座ったら、誰かが立たなければならない椅子取りゲームに似てる。母親という人種はこの時、他人の椅子を奪って自分の子供をそこに座らせようとするのだ。それは母親にとっての正義だ。


婚家に嫁げば、嫁の地位はその家で一番下だ。自分が産んだ息子より、娘より下だ。そんなふうに考えれば、女にとって結婚なんてしないに限るのではないだろうか。


自分の心の最も下のところで、しばらくテクテクと歩いた後に、睡眠不足を解消するのと正比例して、自分のこのグロッキーも落ち着いてきた。とにかく寝られないのはだめだ。あれは人をおかしくする。


そして、昔読んでいた俵万智さんの歌集の上の句が浮かんだ。


愛されたくてかけていく


シロップのように自分が可哀想という気持ちをぐつぐつと煮詰めていた自分が、この時、この上の句に少し救われた。


おばあちゃんがわがままにひたすらに息子や孫を愛したいのも

私を支えたくて一心に愛してくれている息子も

いつもは元気でも流石に今回は沼にハマった私も


人間の本質は 愛したいし 愛されたいのだろう。

時々その行為はわがままで、周囲の人に迷惑をかけるものだ。


みんなきっと、少しずつディテイルは違っても、愛されたくてかけていくものだし、そんな本心に 大人は蓋をして涼しい顔をして我慢しながら、自分を少しずつ削ることだってあるだろう。


毎日、晴れとはいかない。

ふざけんなと叫びたい日もある。

だけどだからと言って、奪われた椅子を力任せに奪い返し、

誰かを立ちっぱなしにさせたいわけじゃない。転ばせたいわけでもね。


座ったり、座らせたりしながら、今日も生きていく。


夏休み、どんなにおばあちゃんが優しくても、叔父叔母が親切でも、そして、自分のお母さんが教育含め厳しいママだったとしても、でも、子供の愛されたくてかけていく方向は、いつだってママのはずだ。事情があって夏休みの間はそばに置けないのだろうが、子供にかけてあげるべきはお金だけではなくて時間のはずだ。できるだけそこは無理して夏休みもそばにおいてあげられなかったのだろうか。


これ以上は言うまいと思うが、それならせめて、私のフォースのほこを納め、突然親戚の家に預けられて居心地の悪い思いをしているちびっ子が、別にいていいんだなと自然にいられるように、いじめはすまい。


私だって可哀想だが、そりゃ、大好きなお母さんのそばにいられない、ちびっこだって可哀想だ。これは面と向かって本人には言えないし、あまり言葉にしたくないが。


愛されたくてかけていく


不思議なものだ。言葉には人を癒す力がある。時間を超えて私の心を救ってくれた。


汪海妹

2025.07.03


思い切り 愛されたくてかけていく 六月 サンダル 紫陽花の花

俵万智


美しい言葉をありがとうございます。感謝の心を込めて。

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