泥棒をする人が悪い!では終わらない話
泥棒をする人が悪い!では終わらない話
最近ぽやーっと考え事をしている時によく浮かんでくる話なのだが、それは、泥棒をする人が悪い!とぷりぷり怒っている日本から来た人たちのことである。
中国では日本では考えられないような頻度で、社員のキックバックとかリベートとか、横領とか起こっちゃうのですが、その時、日本から来た人と中国人との感覚がうまく一致しなくて、日系の海外子会社での不祥事案件というのは、かなりの頻度で暗礁に乗り上げる。
それを、中国人と日本人の間に立たされることが多いものとして、横から眺めてきて考えたことを今日は書きたいと思う。結論から言うと、
泥棒をする人が悪い!とまず叫び、その次に犯人を特定し、それを追い出す。追い出せない時は囲い込み、悪いことできないようにする。それから、泥棒はする人が悪い!と他の従業員を教育する。教えていないから人は悪いことをすると考えているからだ。
こういった方向性で進もうと決めて、二番目の犯人の特定で躓くことが多い。
日本のように治安のいい国から来ると、不正をするという行為自体に対する拒絶反応が激しく、感情的になってしまう気持ちはわかる。
例えばわたしなんかは中国に長くいるからして、不正に関しての免疫は強く、日本から来た人に向かって、不正を見抜く方法なるものについて説明しようとする。すると、
「不正なんかないから、起こってないから」
「……」
話題に出すこと自体を止められることもある。自分の身を守るためにやばい話は秘密にするのは会社のためには良くないが、非常に人間的な行為ではある。ただ、実際の中国で次から次と起こってくる事象に対して、隠蔽とか見て見ぬ振りをするとかで対処なんかできっこないのだ。
不正というものを真ん中に置いて、この日本と中国の捉え方や温度差の違いは悲劇的である。
刑事でもない会社員が、社内でどうやら不正があったらしいという情報を耳にして、にわか刑事にでもなったつもりで、従業員の事情聴取をすることもある。いわゆる犯人探しである。
当事者はみんな嘘をつき、尚且つ、当事者ではない傍観者は皆、知らないとしらばくれる。
これが中国である。プロの刑事でもなんでもない我々は、Aの言ったことにオロオロと西に進み、Aの対立相手であるBの言ったことにあわあわと東に進む。
日系企業が中国へ来て少しでも多くの利益が上げられるように、愛を込めてここに書く。
日本人管理者なんてものは、特に中国語が聞き取れず話せない場合、中国人に右から左と操られる存在である、心してかかれ!
最初からこのくらい思っていた方が良い。
ただ、じゃ、そんなに日系やばいのかというとだな、やはり大手さんは管理部門にも力を入れているし、まだ良いのだ。大手さんにあって中堅や中小にはないもの。そして、わたしがあるべきだと思うものは、
個人の力量ではなく、制度によって管理する体制である。
こう堅く書いちゃうといまいち意味が伝わらないので噛み砕くと、
もううん十年この広東省でいろんな日系企業を見てきました。大手さんはここではのぞいて、中堅や中小さんの会社というのは、うまくいっている会社というのは優秀な日本人管理者の個人の能力に支えられて回っていることが少なくない。
この方が日本に帰ると、その管理ノウハウは消えます。
わたしが言っているのは、その個人のノウハウを会社の制度に落とし込むべきだということで、別の言葉で言うと、管理者が変わっても管理ノウハウが右へ行ったり左へ行ったりしないように、重要な骨組みは制度として整えるべきだと言いたいのです。
そのくらい、日本人トップが変わるたびに、会社の変えてはならない部分まで右へ左へと揺れ動いてしまう様子というのを見てきました。
変えてはならない部分は何かというのの例を挙げてみますと、部門の機能や権限は、会社が与えるものであり簡単に動かしてはならない。なぜ二部門にわけて権限を持たせているのかにはきちんとした理由がある。権限を一部門に集中させ、不正を起こしやすくなるのを防いでいるからです。
何代もの現地トップが前例にならい引き継いできた制度を、良く理解しない1人のトップが軽々しく変えてしまうことは割とよくあることです。
これを言い換えると、会社の経営に悪影響を与えかねないような重要な部門の機能や権限範囲を、現地のみで変更できる会社の制度自体に問題がある。どの事項については親会社の承認が必要なのか、まとめられた文書がありますか?という話です。
文書というのは大事です。例えば、財務として支払処理をする前には必ず、確認しなければならない事項というのがあります。胡散臭い支払いではないのかということを確認するためですね。それが揃わないから送金できないというと、払え払えと騒ぐような人もいる。相手が社内の実力者だったりすると厄介です。自分が相手より職位が下である場合もね。
こういう時のために会社は、確認事項が揃わないうちは支払いを拒否すべしという職責、機能、権限を財務に与えていると社内文書に明記し、従業員に知らしめるべきなのです。そうすれば、払え払えと従業員が圧力かけてきた時に、会社の制度を盾に拒絶をし、尚且つ従業員の規則違反を報告できるのです。
会社を守るというのはこういうことです。従業員の良心を信じて、泥棒はする人が悪い!と感情的になったり、犯人は1人だと思い込んで犯人を探し出して処罰しようとしたり、そういうことじゃないんです。また、従業員の良心を磨くために教育をすることでもありません。
規則を整え、権限を分散し、相互に牽制をきかせ、また、捜査機関を社内に置く。規則が形骸化しないようにきちんと機能させ、そして、不正を働いた人がいたら、処罰され社内に公表され、また、程度がひどければ解雇される。会社の毅然とした態度を全社員に見せることです。
普段から徹底した制度の網を張り巡らせておかなければ、犯人なんて見つかりっこありません。すでに起こってしまった事項の白黒つけることに奔走するよりも、やらなきゃいけないことは山ほどあります。
不正を一掃したいと力むがために、改善が遅々として進まないこともある。いけすの中のカツオの群れに紛れ込んだサメを自分もいけすに飛び込んで、罪のないカツオの間を行きつ戻りつしながら捕えようとしてはならない。徒労に終わるからだ。完璧にこだわっても、その完璧は今のままでは永遠に訪れない。1歩目から間違っているということです。
本来であればサメが不正を行う前に、泳げる範囲を狭めておくべきだったのです。それができずに問題が起きた。ならば過去の問題の徹底した究明なぞどこぞに放り投げておいて、遅ればせながらサメを網の中に囲うのです。最初は大きく囲い、徐々にその網を狭め、最後に泳げないようにしてしまうことです。
一匹を追い出しても、それでも社内にまだ第二、第三のサメの予備軍がいるということを忘れてはならない。サメがいてもいなくても、社内に網を仕掛けるのです。その網以上に動けなくなる網を。
会社の経営を守るために設置した網という名の規定は、きちんと運用されなくてはならず、また、規定通りに運用されているか定期に監査されねばならず、現地のトップは管理者としてその網である規定の意義や意味を完璧に理解しておらねばならず、尚且つ、親会社は、そのトップすら隠蔽や不正を行っているかもしれないという疑いを持って、監査を行わなければならないのです。
泥棒をする人が悪い と言っていても何の解決にもなりません.泥棒が今いてもいなくても、泥棒をさせない会社にすることが解決に向かう第一歩です.
思いつくままに書き連ねました。乱筆乱文お許しください。
汪海妹
2025.04.15




