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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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愛とは何か?それは決して独占欲ではないのだと思う。













愛とは何か?それは決して独占欲ではないのだと思う。













しかし、人は時にそれを愛情なのだと勘違いしている。独占欲を消せとは言わない。それは消せるものでもないのだから。ただ、それは愛ではないのだということと、そして、時々でいいから自分から自分が数歩離れてみて、自分で自分を眺める。自分のその独占欲について時間をかけて考えてみるべきだ。


本当に、自分にはそんなにたいした独占欲はないと言い切れるだろうか?


そういう自分は、かつては暴力的と言ってもいいほどに独占欲の強い女だった。アルコール度数の強い酒が、喉をかっとさせて通り過ぎるような、そんな強い燃えるような感情を持っていたのだ。


かつては。


最近誰と話してたんだっけ?誰が友人と話していて、そして、人間には二つの顔があるという話をしてたんだ。二つどころか三つも四つもある人もいるけど、とりあえず二つとしておこう。家の外では優しい人なのに、恋人や伴侶、家族に対して別人のように苛烈になる人がいる。いわゆる、DVをしてしまう人やモラハラをしてしまう人はこういう人なのだろう。


流石にそこまで暴力的ではなかったが、しかし、若い頃の自分は自分を好きだと言った男に対してはガラリとその顔を変えて、暴力的な面を持っていた。


それで、好きで好きでたまらない男の人との縁を自ら断ち切ってしまったのだ。


人間というのは失ってはならないものを失うことによって初めて、成熟する生き物なのである。子供じみた暴力的な独占欲は、この失恋を経て何度も何度も吟味されて、私を変えた。簡単に言えば、自分はあの恋を失ったことによって大人になれたのである。


狂気的な執着や激しい感情を恋愛感情だと混同していた自分は、その恋が終わってしまった後に、誰と出会っても彼に対して持っていたような激しい感情を持つことはなく、なんとなくこう思っていた。


人生で手にするべき相手を手に入れることができなかったので、自分は今、おまけの人生を生きている。


彼によって与えられた呪いはかなり長く尾を引いた。つい最近まで尾を引いていたくらいである。ある日、自由になった。


それは本当に不思議な経験だった。


とある長編の小説を書いていて、その作中の女性が死別した良人からとうとう自由になる場面を書いた。女は自由になり、そして、死別した良人の代わりに彼女を支えてきた男も自由になった。スターバックスの片隅でその場面を書いていた自分は涙が止まらなくて、これはしまったなと声を殺して泣いていた。


それと同時に自分を長く苦しめていた恋から完全に自由になった。フィクションを書くことで、自分も作中の人物に憑依し、同じ体験をしたように思った。最も、私の彼は死んではいないのだが。


超の上に更に超がつくような離れたところでお互い生きているので、偶然ばったりとすれ違うことなどない。もう一生二度と会えないと思って絶望した、あの昔を忘れない。何もかもが色褪せないまま、あっという間にたった十年を、


私は忘れない。忘れないのだけど、いつの間にか何も残っていないことに気がついた。十年どころか、瞬く間に更に十年が過ぎ、最後に別れてから二十年よりもっと時間が経っている。


あの執着は、独占欲は、一体なんだったのだろう?


晴れた日に空を見上げるのが好きだ。この空は、あの人の住んでいる空につながっている。


どうしてだろう?ずっと忘れられない場面がある。


2人でいる時に黒い猫が2人の前を横切ったのだ。あの時、あれを見て何を話したのかを私は忘れてしまった。


もしも、自分にあんな激しい独占欲がなければ、もう少し自分が感情を抑えられる人間だったなら、もう少し自分が大人だったなら……


数え切れない後悔を思い出す。


若い、あの頃はあの激しい怒りと執着を恋心だと錯覚していた。あの激しさで誰かを愛することなどもうないと絶望していた。


でも、本当は長い間尾を引いていると思っていた自分の愛は、恋は、本当はとっくに綺麗さっぱり無くなっていたのだと、ある日スターバックスの片隅で小説を書きながら泣いている時に気がついた。


私がこんなに自分を好きだと言った男に対して、暴力的な感情を抱くのには訳がある。今の自分ならわかる。父である。父が無条件にいつもずっと愛してくれた。私は、自分を好きだという男の人と、父を混同していたのだ。いつもそばにいてなんでもいうことを聞いて愛してくれた父と。


父親と恋人は別の人間であるということがわからず、どんなひどいことを言っても、何時間もむっつりと黙りこんでも、それでも無条件に愛してくれるのだと勘違いしていた。


何度も何度も最後に別れた空港での画像を頭の中で繰り返しては、苦しんだ過去が今となっては懐かしい。


愛は幻とどこかで誰かが言っていたと思うが、その言葉の意味がなんとなくわかるような気がする。私は彼を愛していたのではない気がする。誰かを激しく愛している自分が、必要だったんです。愛とは激しいもので、そして人生に必要なものだと思っていたのだと思う。


でも、人生にただ一つの愛が存在するというような、そういう考え自体が幻なのかもなとふと思ったのです。


それをきっかけにして、私はとても孤独となりましたが、ただ同時にとても楽になりました。何せ、ずっと自分で自分のことを、一生涯での愛を捕まえるのに失敗した女だと思いながら生きていたので。


他人が私を真実理解することなどない、だから、私を理解するのはかつての恋人でもない訳です。私は何も逃してなどいない。


主人と一緒にいて話していても、話が通じているのだか通じていないのだか、さっぱりよくわかりませんが、ただ、別にそれでもいいのかなと思えるようになった。


「ツインレイはいるよー」


私の友人にツインレイと出会ったという子がいて、今幸せにしているのですが、私にもツインレイを探す新たな旅に出ようと危ない誘いをしてくるのです。


笑いながら聞いている。


誰かと出会い、惹かれ合い、まるで相手が自分の双子の片割れであるかのように感じながら共に生きる。そんな濃密な関係を信じたり、憧れたりした日もありました。


きっとそれは訪れる人には訪れて、そして、訪れない人には訪れない、そんな夢なのです。


彼は私と離れてから一体どのぐらいの長い間、それでも私を感じ続けていたでしょうか。隣の空白の空間に、もし私がいたらと彼は何度思ったでしょうか?


そんなふうに想像しても、何も感じない日が来るとは、若い頃の私は知らなかった。痛みのかわりにもっと違う感情が浮き上がってくる。それはただひたすらのノスタルジーです。美しい思い出。


人生は夢のようなものです。飛ぶように過ぎてゆく。


過去になど本当は執着していないのに、まだ愛していると思いたいのであれば、それはきっと本当は今、自分が1人でいるということに気が付きたくないからなのかもしれません。


私を理解する人など、一生現れない。


私の予測を裏切って、友人のいうところのツインレイがある日突然目の前に現れても別に構いませんが、現れなくても別に困らない。そういう人を探さなければならないんだという強迫観念から解き放たれた。だからとても楽になった。


人間は理解しあわなくたっていいんですよ。大事なのは、この人を理解したいと思いながらそばにいるかどうかだけ。


長く尾を引く恋から自由になった。最近でも彼のことを思うことがあるとすれば、それはこの点においてである。


彼がいたから自分は、頑張れたということである。もう会わない人ではあるのだが、しかし、彼に振られるという形で否定されたからこそ、肯定される女になりたいと思って頑張れた。だから、彼はきっと私の人生にとってそういう役割の男の人だったのだと思う。


私を理解する人など一生現れない。すごく虚しい人生を生きる人の一言のようですが、でもそういうわけでもない。誰にも理解などされないと思ってしまえば、隣にいる人がどんなにまとのはずれたことばかり言ってきても、「どうしてこの人と結婚したのだろう?もっといい人がいたかもしれないのに」などとがっかりすることもなく、「ま、いっか」と思いながらそばにいられる。


大事なのは、理解し合うことではなくて、理解したいと思い合えるかどうかなんです。


2025.03.31

汪海妹


追記2019年の年末よりせっせと投稿してきた投稿先である魔法のアイランドが本日とうとう消えてなくなってしまいました。これからは小説家になろうとnoteの二つが私の投稿先となります。( * ॑꒳ ॑*)ノ⸝⋆✧ ありがとう。魔法のアイランド。私の生まれて初めての投稿先でした。



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