余計なひとこと
余計なひとこと
2022.02.20
本日の文章を書く前に先に書いておきたいのですが、私がこういうことを書くのは、親を憎んでいるとか恨んでいるとか、批評したいからではないのです。私の両親にもいろいろな要素があって、その要素のうちの70から80%くらいは良いものだなと思ってます。感謝もしている。だけど、人間ですから私の親にも欠点はあります。それは親としての欠点です。
自分が繊細すぎる人間だからなのかどうかはよくわかりませんが、親のこの欠点により長年苦しんできました。親のせいでうまくいかないと何度思ったことか、そして、自分も人の子の親になってつくづく思うのです。人はやっぱり理想の自分になりたいものだと思うのですね。夢や目標があればそれを叶えたい。だけど、それは簡単に叶えられるものでなかったりもする。そこで、親のせいにする。そして、理想の親というものを求めるものなのかもしれません。
だけど、きっと、完璧な親なんてこの世にいないのです。完璧な人間がこの世にいないのと同じです。
人間が成功するとはどういうことなのだろうか。
振り回されながら、自分なりに悩んで苦しんできたから、色々考えてきたわけで、人間の成功とは何か、このことについてよく考えてきたように思います。私にとってそれとは、幸せになることなのです。
そして、人の幸せの形は、人それぞれだと思ってます。
親の幸せの価値観に長い時間振り回されてきました。どうしてこんなことになってしまうのか長い時間かけて考えてきた。
今、一つ思うことは、私だけではなくて人間はみんな成功できない何かの原因、言い訳と言い換えてもいいですがを持っているのだと思うのです。その言い訳を克服して成功、いわば私にとってはそれは幸せになることなのですが、成功していく人もいる。
だけどね、周りを見渡してみると、たくさんの大人の人たちがやはりまだその言い訳に囚われている。言い訳は親だけではありません。お金がなかったとか、美醜のせいだとか……。本当はでも、大きくなったら人の背中には翼が生えている。飛び方を覚えれば自由になれるんです。
親を恨んだりとか親のせいにしたいのではなくて、自分らしく生きたいのです。彷徨いながら見つけた、私の今現在の指標です。
だから、自由になるために書いています。心を整理するために。そして、それを他の人も読める場所に置くのは、あるいはもしかして、私と同じようなことで悩んだり苦しんだりしている人がいたら、何かの足しになるかもしれないと思ってです。必要のない方は今日の文章は読み飛ばしてください。
***
休みの日も歩こうと思って、雨の中靴を濡らしながら散歩していた。途中で休憩でスタバに入りました。コーヒーを飲みながら、文章を一つ携帯で書いてから帰ろうと思ってた。そんな時に父から動画付きで電話がかかってくる。そんなものに付き合ってると、自分の予定が狂うのです。家の夕飯に間に合わなくなる。サザエさんちばりにうちの姑は6時には夕飯を用意する人なので。
ため息が出ました。
この前姉が言っていた。コロナでずっと帰ってないので、父が私を恋しがってると。父は寂しがりやなのです。人一倍寂しがりやです。
父は4人兄弟の末っ子で、小学校高学年の時に父の父、私の祖父を病気で亡くしている。そのせいもあるのかもしれないけれど、寂しがりやなのです。それを思って電話に出ました。特に用事があるわけではない。おしゃべりがしたいだけの電話。今どこにいるとか、コロナがどうだとか、オリンピックの話をした後に、姪っ子の話が出た。第一志望の大学に無事合格したばかりの姪です。
三人兄弟の一番上で、兄弟が多いのもあって大学に行くのなら国立に行けと言われてた。志望校を聞いた時に、かなりレベルの高いところだったので、大丈夫かなぁ、合格してほしいなぁと思ってたところでした。
「なんで東京大学狙わなかったのって聞いたんだよ」
「は?」
「そしたら、東京大学は無理だって言ってた」
「……」
「で、それで、大学合格して今はホッとしているから遊んでいてもいいけど、大学入ったらちゃんと頑張って有名な人になれよと言った」
悪気もなく言ってのける父の顔を見ながら、呆れた。
「お前よりいい大学行ったな。おばちゃん負けたな。悔しいだろ」
「あのねぇ」
「お父さんとして娘に期待してダメだったから、今度はおじいさんとして孫に期待している」
父は頭は悪くない。だけどね、片親で余裕がなかったのと大学受験の時に一生懸命勉強しなかったから大学に合格しなくて高卒なんですよ。私は大学受験をきちんと経験している。あの精神的な重圧とそれに負けずに毎日頑張って第一志望に合格する喜びを知ってるんですよ。姪っ子の合格した大学はいい大学です。それを合格した矢先に東京大学と比べるなんて。
「そんなにいい大学に入って有名な人になりたいなら、今から自分で大学受験しなさい」
「なに?」
70過ぎた父親に言ってみた。
自分も同じような努力をして結果を出した人になら言われてもいいけどさ。
お父さん、大学受験失敗してるじゃん。
「○○○(姪っ子の実名)が何になるかとかそういうのは本人の大事な問題なんだから、口出すのやめな」
その後なんて言ってたっけ?まぁ、でも、私が本気で怒ってることとか、父親や母親のそんな無責任な発言でどれだけ振り回されてきたか、父は知らないんです。別にヘラヘラと笑ってた。
それでいい。それでいいのだけれど、姪っ子がもし私と同じようなことで、或いは全く同じようなことでなくても家庭のことで悩むことがあって、その時私を相談相手に選ぶことがあれば、ちゃんと話を聞いてあげたいと思いました。
その後電話を切って音楽を聴きながら、買い物を済まして家路を急ぐ。濡れた靴が冷たいなと思いながら。
何年か前、口の悪い父にやはり、お前は頭がいいのに期待したのに何者にもならなかったなというようなことを言われたんです。あの時は隠れて泣いたな。そして、遊んでいた人形が壊れてしまったから、次の新しい人形を父は見つけたのでしょうか?
こんな親はですね。あちこちにいると思うんですよ。
私に起こったことはありふれたことです。
母方の祖父は医者になりたかった。戦争で中国に通信員のようなものとして出陣して、日本に戻った後に医者になる勉強を続けることができず数学教師になりました。その夢を諦めきれず長男に夢をかけた。私の叔父です。母の兄弟は叔父含め、母も叔母も頭が良かったようです。特に叔父が飛び抜けて優秀だったのかな?
だけど、やはり期待のかけ方を間違ったのかな?叔父は医者にはならなかったし、思うようにその才を発揮できなかったんです。
叔父と私は離れて暮らしてましたし、そんなに話す機会もなかったけど、叔父さんと私って似ているなと思いながらある時点から生きてきた。無能はわけではないのに、十分にその能力を発揮できない苦しみを私は知ってます。なんか同じことを繰り返してるなと。だから、母から影響を受けて私は色々悩むようになったのかなと思ってきたのだけれど、何の何の父も立派な親バカという病気だなと。
なんで父があんなことを言うのか、うーん、やはり野心なのかなと。
世に出たいという野心が父の中にあって、自分で叶えられなかった夢を子供で見るんですね。
だけど、私の夢は私だけのものです。
有名になるために小説家になりたいと思い始めたわけではない。お金のためでも。
親が私のその夢に乗っかって、自分の叶えられなかったことを私で叶えようと夢を見た。
人生のジェットコースターにね、3人では乗られないの。
ごめんね。お父さん、お母さん。
一番高いところで振り落とそうか。
ハハハハハ。
それは冗談です。私も父に似て地獄級に口が悪いようで。
でも、一緒には乗られない。それは本当。
今回は泣かなかったな。
今度姪っ子と話す時には、ただ労苦だけを労ってお祝いを言おう。




