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とりとめのないこと 抜粋  作者: 汪海妹
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どうして学校に行かなくてはならないのか













  どうして学校に行かなくてはならないのか













エジソンは学校に行かなくても成功しました。なぜ学校に行かなくてはならないのか。あんなつまらないところ。


学校が好きだなんて一度も思ったことのない身で考えてみる。


学校なんて行かなくたって、起業した人だっているよ!って話ですよ。


うーん……


問題はいくつかに分けて考えるべきだと思うけど、まず、学校に行かなくても、一生生活できるだけのあてがあるかどうかである。生活費を自分の手で稼がなければ生活できない身であれば、行かないよりは行ってた方が仕事は見つかりやすいだろう。


確かに学校なんて行かなくても成功した人もいるが、果たして自分が本当にその成功する方の人間に入れるかどうかはよく考えた方がいい。学校に行かないで成功した人は別に学校に行かなかったから成功したわけではないと思う。


そして、生活費を稼がなくても生きていけるあてがある人は、それじゃあ、学校に行かなくてもいいのかという話である。


ここで、なぜ学校に行きたくないのかについてじっくり考えてみるべきだと思う。例えばそれが、社会の固定概念に染まるのが嫌だとか、そういう理由だったとする。


独自の考え方を学校に行くと曲げられてしまうようで嫌だってやつである。


これについてはとくと考えてみよう。


なんというか、うまく言えないのだけど……、きちんとした考えというのはきっと、人とぶつかり合いながら完成するのだと思うんです。だから、社会に染まろうとせず他人との関わりを避けて、そして、自分でものを考え、そしてそれを現代ならばこうやってネット上に出したりするかもしれない。激しいパッシングや大量のコメントを受けないのであれば、それは一方通行の語り掛けなんですよね。


誰にもつっこまれない場所で自分の考えを述べるのは気持ちいいですよ。自分がちょっと偉くなった気もするしね。でも、本当に自分ってそんなすごいことを言っているのかな?


この自分の考えが本当の意味で成熟するというか、完成するためには、やはり他の人の考えにも耳を傾けてこそと思うんです。


自分で気がついていないだけで、自分は本当は井の中のかわずのようなものなんだと思う。自分は頭がいいと思って、井戸の壁に向かってぶつぶつ言ってるのです。実は誰も聞いていない。


学校に行けば、社会に出れば、


「あんた、間違ってるよ」


って否定されちゃうんだけど、だけど、そのやり取りは自分が成熟するためには必要なのだと思う。


なんてことを言っときながら矛盾しますが、最近は学校に行けなくなってしまったり、外で働けなくなってしまったりする人もたくさんいます。そんな時は、ちょっと長い、いわゆる ロングバケーション をとってしまえばよい。


ただ、いつかは外へと再び出たいのであれば、どうぞ、家にいても24時間の全てを好きなことだけするのに使うことはやめて、少しの時間でもいいから何かした方がいい。家事でもいいし、漢字練習をするとか、あるいはもっと別のことでもいい。


楽をすることを身に染み込ませてしまうと、極端な話、生きている意味がわからなくなると思うんです。そして、学校に行くべきなのに行ってないとか、会社に行くべきなのに行ってないとか、そういうことによる罪悪感に押しつぶされそうになっちゃう。朝から晩まで楽をしてしまうと、どんどん外へ出て苦労をするのが怖くなってしまうと思うのです。だから、小さなことでいいからつまらないけどやらなければならないことを自分にもうけて、それを続けることで、自分を責めずに生きていくべきだ。


普通は人間は、自由な中で自分で自分を律するのは難しいものですから、学校や会社に行ってしまった方が実は楽だと思う。他人に律されるので、つまらないなと思いながらもとりあえず、つまらないけどやらなければならないことを与えられこなすことができる。


自分が大好きなこと、例えばゲームとか、というのは、つまらないけどやらなければならないことをこなして、その余った時間にやるとより盛り上がり面白いものだ。


学校とか仕事って、毎日、めんどくさと思いながらも、続けているからできることであって、何かのきっかけがあってそこから一度逃亡してしまうと、信じられないくらい戻りにくくなるものだなって、そういう感覚はずっと昔からありました。


時には逃げたっていいと思う。人間にはロングバケーションが必要な時というのがある。ただ、ちょっとだけ休むつもりが、ずっとにならないためには、工夫が必要だ。そして、本当にもうダメだと思うまでは、学校には行ったほうがいい。一旦離れてしまうと、戻るのに非常に苦労するからだ。学校がどうしても嫌ならば、学校の代わりに何か、つまらないことを毎日に取り入れるべきだ。


自由に過ごすことを一旦心と体が覚えてしまうと、元の生活に戻るのが格段に難しくなってしまうからだ。楽に過ごすことを心と体に染み込ませてはいけない。学校にどうしても行きたくないなら、学校というつまらないものを何か他のつまらないもので代替すればよい。


これが私の考えである。確かにエジソンは学校に行かなくても発明王になったし、学校に行かなくても起業家となる人はいる。ただ、学校に行かなくても、そういう人は自分で勉強をするし、努力をしている。強い意志がなければ自分で自分を律して勉強することなどできない。それなら、学校に行った方が楽である。他人が自分が楽をしようとするのを律してくれるからだ。


どうして学校に行かなくてはならないのか?それは、体に楽に生きることを覚えさせないためである。別に張り切って一生懸命 学校へゆかなくてもいい。めんどくさいと思いながらでも毎日通えたらそれで十分だ。


まとまりのないままに

汪海妹

2025.02.10

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