自分のことおばさんと言ったら負けですよ!について考察する
自分のことおばさんと言ったら負けですよ!について考察する
数年前、一時帰国してた時のことだ。同郷の友人とあれは確か鍋をつついていたような気がするのだが、日本酒で鍋をつつきながら話していて出た話題である。職場の年下女子に自分のことおばさんと言ったら負けですよ!と言われたらしいのだ。
「ふうん。あ、そこ、煮えてるよ」
「うん」
数日前、ふと、ちょっと、かなり、いえ、結構、やばい体重になってしまい一駅ではなく二駅分歩いている帰宅中にふとこの時のことを思い出した。その後、我々はどんな会話を続けたか、過去にタイムスリップして再現してみようってか。
「おばさんが役に立つなら、全然使うな」
「うん、ありだな」
「いつまでも可愛いキャラでいってそっちで効果があるなら、そっちでもいいけどな」
「そうだな」
「ね、白子ポン酢食べていいすか?」(→私)
「たまの日本だ、食え食え!」
エンゲル係数ならぬ、飲んゲル係数の高い我々である。話が少しズレたが、我々にとって おばさん ぶるのも、というかおばさんだが、可愛子 ぶるのも、別に手段であって そこにプライドも何もない。仕事なんてな、目的があれば、どんな仮面だって被るし、被り変えるものなのだよ、若人よ、と思いました。やれやれ。
ちなみに、これが女性の皆様 万人の結論になってしまっては申し訳ないので、我々がここに至る過程を、客観的に分析してみよう。
一つに我々は日本人女性で、なおかつ、東北の出身である。とある論説には、結婚するなら北の女、遊ぶなら南の女がいいという。我々は北の女であり、結婚向きだ。ここから北の女の特徴を乱暴に申し上げると、我慢強い。
自分が美魔女として扱われるか、或いは、おばさんとして扱われるかなんて、東北の女にとってみれば、ヒジョーに表面的なことである。どーでもいいのだ。そんなことよりもっと大変なことを我慢しながら生きてゆくのが普通だと、北の大地が告げてくる。ヒタヒタとな。そういう土地なんだ。
もう一つの要素を挙げてみよう。我々末っ子族なんです。私は二番目なので、末っ子というとちょっと言い過ぎかもしれないが、私の父が4番目の末っ子で、ものすごい破壊的な末っ子パワーを発揮して生きている人で、彼の二番目の娘ということで末っ子傾向が強い。
よく知らない方、覚えておいてください。思考パターンと言動、及び行動パターンは何番目に生まれたかと結構関係してくる。末っ子とは何か?要領が良いのです。
そこで、先ほどの我々の結論をもう一度繰り返す。末っ子スキルの高い我々は、若い頃には若さを道具として使いましたが、そこになんらこだわりはなく、自分が歳をとってくると、代わりに使えるものを使います。
おばさんとか、お母さん、キャラ?これ、お姉さんキャラとちょっと違いますが、これだって使いようによっちゃ、全然使える。
そんなん、どんな時に使えるんじゃーって話ですが、そこの皆さん、落ち着いてくださいね。仕事はな、女としての勝ち負けを賭ける場ではないのです。コツコツ仕事をして年取ってくると、フツーに客先の方とかが年下になってきます。割合としては男性が多い。
ここで、お姉さんキャラであくまで行こう。ぶっちゃけ、相手に気を使わせます。こっちが客ならまだいいですが、相手がお客さんだったらどうします?
また自社社員でも年下と組む場合が多くなってくる。そんな時、是が非でもお姉さんで通すとやはり後輩は気を使います。
ここで生きてくるのが お母さんキャラ です。これ、実は お父さんキャラ より重宝します。昨今、職場で心を開かない若者世代が問題となっています。お父さんキャラでは無理で、お姉さんキャラでも難しい心の扉が、お母さんキャラだったらかろうじて、かろうじて開くかもしれない?
とある忘年会の片隅で、年下の後輩と並んで座る。オチをつけるために男子と仮定しよう。酒が弱くてジョッキ片手に赤くなってる男子と全く顔に出てない私だ。
「海妹さん、いつもありがとうございます」
「ん、なに?なにもしてないけど?」
「海妹さんといるとホッとするんです」
「え、なに?なにいっちゃってんの?」
私だって昔はここからの展開が素敵だったことだってありましたよ。昔はね。今はこうだ。
「なんか、海妹さんって、田舎のお母さんに似てるんですー」
「それは、どうも、光栄です」
ま、女としてはおいといて、人間としては偉いよあんた、役に立ってるよってやつですよ。
そうか!じゃあこれからは、お母さんキャラの時代だな!と思って、メモして、この記事を閉じようとした皆様。最後にご忠告を申し上げます。
あくまでお母さんっぽいってとこで止め、本物のお母さんになってはダメですぅ。
仕事には緊張感が必要です。また、いつも おばさん、おばさんとおばさんアピールをしてゆくと、美魔女ではないとかそういう問題を通り越して、こう、高齢者の方が イタイイタイ とか言いながら、なんでもしれっと年下にやらせるのと同じ存在に自分がなってゆきますよっと。
これは美醜の問題ではなく、業務上の問題です。後輩の成長のためにやっていたはずの 年寄りアピールが いつの間にか本当になってしまっていて、いわゆる会社のお荷物になっちゃあかーんってことだ。会社に居続けて給料をもらう以上、歳をとってもなんらかの貢献はせねばあかん。
また、お母さんというのは安心する存在ですが、既に大人になった人たちの現場に四六時中お母さんがいると、みんな成長しないのよ。あくまで、落ち込んでいるときにふらっとたまに現れる存在で十分です。酒場にたまに現れる幻のお母さんキャラ!
この適度な距離感が難しい、クー!
みんながんばれ、ちゃんと頑張って、自分の力で成果、手に入れろ。お母さんはここでみんなの背中を見てあげているからさ。柵に寄りかかり、馬に乗って前をかけてゆく後輩たちを見守る。今日は綺麗に晴れたなぁ。悦に浸って横を向くと仁王立ちしながら私を眺める人がいる。
「あ、違いましたね」
「……」
上司に睨まれました。やれやれ。私もちゃんと槍持って、馬乗って、戦場に出かけますかね?ヒヒヒーン!サラリーマンは辛いよ、サラリーウーマンか?
ちなみに最後に美魔女の擁護を。世界中の女子がお母さんっぽくなるのも、やっぱ違うのよ。女の子たちの憧れのキラキラした女の人もいれば、一緒にいてホッとする女の人もいてもいいでしょう。役割なんだと思う。それぞれの得意な立ち位置がきっとあります。お互いに得意な部分で活躍すればいいのではないでしょうか。
肩の力を抜いて生きていけばいいのじゃないの?といっておいて矛盾するようですが、私は、どこまでいっても心の鎧を外せない、人間の不器用さが結構好きです。その不器用な部分まで含めて、自分を好きになって仕舞えば良い。
汪海妹
2025.01.19




